≪内容≫
友達のいない少女、リストカットを繰り返す女子高生、アバズレと罵られる女、一人静かに余生を送る老婆。彼女たちの“幸せ"は、どこにあるのか。「やり直したい」ことがある、“今"がうまくいかない全ての人たちに送る物語。
住野さんは三作目ですが、本作が一番自分的には好きでした。
過去と未来を繋ぐ物語
人は、悲しい思い出をなくすことは出来ないの。でも、それよりたくさんのいい思い出を作って、楽しく生きることは出来る。
主人公は小学生の女の子で、クラスに友達がいなくて読書好きの賢い少女。
学校に友達はいないけど、外の世界にはアバズレさん、南さん、おばあちゃん、そして猫の彼女が友達。
彼女はたくさん読書をしていたから賢いし、正しい。
だけど友達はいない。
彼女は自分が賢いことも正しいことも知ってる。
それに加えて度胸があって口が達者だ。
クラスのバカな男子に絡まれてもクールに言い返すことが出来ちゃう。
だから言い返すことのできない人、自分の好きなことに誇りをもてない人のことを「いくじなし」で「弱いやつ」と思ってしまう。
彼女は強くて賢くて正しい。
だけど、クラスメイトと仲良く出来ない。
先日読んだ「ふたご」の冒頭も、友達ができない夏子の話だったんですけど、「正しい」が強すぎると人と距離ができちゃうんですよね。
本作の少女は「言い過ぎ」なのですね。
相手の逃げ場を完封するほどに言い過ぎる。
例え相手がふっかけてきたケンカだとしても、そこまでしちゃうと正論故に残酷なのですね・・・。
大人で言うグレーゾーン、空気を読む、そういったところでしょうか。
大人だって難しいですよね、こういうところは。
もっと違う言い方をすれば「愛嬌」「なぜか憎めない人」「癇に障るヤツ」「付き合いづらい」になりますかね。
人って正しいことをしてる人を好きになるんじゃなくて、自分をいい気持ちにさせてくれる人を好きになるのだと思う。
少女がアバズレさん、南さん、おばあちゃんと楽しい時間を過ごせたのは、彼女が正しいからではなくて、彼女たちを癒すことができたからだと思うんです。
世の中で、こうすればいいのに!っていう「良かれと思って」ってことも、結果として良い場合でも伝え方とかタイミングによって全然受け入れられないこともあります。
それは、良かれと思って側のタイミングでやるからなんです。
正論もそうで、正しいことに気付いた人間が自分のタイミングで振りかざすから、反対側にいる人間は心の準備が出来てないところに、いきなり斬り込まれた感じになっちゃうんですよ。
優しくないのです。
それが正しくても、良かれと思っても、相手のことを思ってやっていたとしても、相手の事情や時期を無視することは優しくないのです。
そして優しくないことは受け入れられない・・・というのは火花で丁寧に描かれています。
本書の主人公の女の子は小学生ながら、そんな局面に立っています。
この子にシンクロする学生時代を送ってきた人って多そうだなぁと思って読んでました。私は黙っちゃうタイプだったので、こんな論破できるヤツがクラスにいたらびっくりするよ・・・と思ってました。
彼女は人を思いやれる優しい少女なのですが、その優しさを相手に届けるためには、それなりの言葉だったりタイミングがあるのですね。そんなお話でした。
強くてやさしい人間になりたい。