夜になると、僕は化け物になる。寝ていても座っていても立っていても、それは深夜に突然やってくる。
ある日、化け物になった僕は、忘れ物をとりに夜の学校へと忍びこんだ。
誰もいない、と思っていた夜の教室。だけどそこには、なぜかクラスメイトの矢野さつきがいて――。
ベストセラー『君の膵臓をたべたい』『また、同じ夢を見ていた』に続く、住野よる待望の最新作!!
住野よるさんの本は初めてです。
テーマは「いじめ」でした。
いじめられっ子の女子と男子というのはヘヴンに似ています。
ヘヴンは男子もいじめられていますが。
うーん。何となくアニメになりそうな内容だなぁって思いました。そこまで重くなくて、だけど葛藤や無意識の罪の意識が描かれている作品。
「悪の華」や「聲の形」に近い感覚です。
なんか一番ありそうないじめ
俺は、いじめれっこを見るといつも思うことがある。下手なんだ。振る舞いが。矢野に関しては、その最もたるものと言っていい。
主人公あっちーと、いじめられっこの矢野さつき。
矢野に対してのいじめはシカトとか、机にチョークの粉をつけたり、足をひっかけたりするような過激ではないもの。
故に教師もいじめとして把握していない。
だけど、そこにあるものは確実に「いじめ」であり、原因は矢野にあるとあっちーは言う。
矢野はもともとシカトされるくらいだったが、クラスメイトの緑川が読んでいる本をいきなり奪い捨てたことから完全に「いじめられるに値する人間」と認識される。
そして矢野という人間を悪にすることで他の全員が団結する。
あっちーは化け物になって夜の校舎で矢野に会う前からずっと傷付いていた。矢野をシカトしながら、自分も傷付く。夜も眠れなくなるほどに。
クラスの輪からはみ出ないように行動しても傷付く。
クラスの輪からはみ出たらいじめられる。
こういう状況に陥る人間って多いんじゃないかな?と思います。
自分ではどうにもできない空間にいる感覚。
大人になった今なら「くだらない」の一言で表現できる。
だけど、思春期の独特の一体感に選択肢はほぼない。
強制的に「こっち側だよね?」という答えが用意されているから、自分のしたい、したくないでは済まなくて、相手への肯定、否定になってしまう。
ある意味ここで「誰も傷付けずに生きていくなんて無理だ」ということを悟り、無邪気に楽しさややりたいことだけで生きてきた時間が終わる人間は多いだろうと思う。
固定概念というフィルター
頭の中が、今までの記憶に沈み込んでいくのを感じた。何度も何度も、彼女はその顔で笑ってた。どうしてそんな風に笑ってられるんだと、ずっと思っていた。
頭がおかしいから。
僕らとは違う神経で生きているから、そんな風に楽しそうに、身勝手に空気を読まずに笑っていられるんだと思っていた。
僕とは、違うから、それが普通なんだと思っていた。
それで理解した気になっていた。
なっていた方が、よかった。
いつもいじめられてもにんまり笑う矢野を空気が読めないおかしな奴と見ていたあっちー。
しかし怖いとにんまりしてしまうという事実を告げられ、あっちーの矢野への評価は180度変わる。
笑う=楽しんでいる、という固定概念が余計に矢野を異質に見せて、加害者でいることを甘んじる原因になっていた。
目に映ったものだけで他人を計るのは愚かだ。
だけど、それ以外に判断出来るものはどこにあるだろう?
笑顔、笑い声、身ぶり、手ぶり、そういったものから自動的に「明るい子」という判断が下され、そこに気遣い、やさしさ、という付加価値がついて「人気者」になっていく。悪の教典のハスミンのように。
それ以外で判断出来るものと言ったら「言動」だと思う。
私はその人の顔や容姿や声といったものより「話し方」「言葉の選び方」を見ていて、そこからその言葉に違和感を感じない人を「話してみたい人」として見てる。
つまり話してみないと分からない状態です。
本書の中のいじめはまずいじめと認識する前から、矢野はちょっとおかしい奴としてシカトされています。
つまり誰もが話していないのに、矢野を決めつけている状況です。
矢野の変なアクセントのついた「おはよ、う」や、「知ぃらぁなぁ、い」という最小限の言葉で判断されています。
夜に会う矢野はとっても魅力的です。
やる前から無理だと決めつけるあっちーに「試したの?」と聞いたり、化け物の分身をシャドーと呼ぶあっちーに「なんかはずいね」と言ったり。
どんどんあっちーの中の矢野は変わっていきます。
夜に聞いた矢野が大切にしていること、好きなアーティスト、クラスメイトへの気持ち・・・
人は話してみないと分からない。
というか、話したところであっちーとクラスメイトの関係が表しているように、分かり合えることなんてほぼない。
それなのに、どうして見た目で決めつけるんだろう。
欲しいのは知識。
足かせは固定概念。
ばけものはだれだ
誰も気がついていなかった。
ここに化け物が座っているのに。
ここに、ずるい僕が座っているのに。
本当の姿なんて、見ただけでは分からない。
自分自身ですら、分かっていないのだから。
中盤に"いぐっちゃん"というシカト慣れしていない女の子が出てきます。
彼女はシカトするより、落ちたものを拾うという方が習慣付いていました。落ちているものを拾って渡す、それはいぐっちゃんの中であまりに自然な行いで、相手が限定される行いではなかった。
だから、つい、拾ってしまった。
矢野の消しゴムを。
そこから「裏切り者」として集団に糾弾されてしまったいぐっちゃん。
彼女を救ったのは矢野でした。
矢野はいぐっちゃんを殴ったのです。そして、自分がクラス全員の悪意を買うことで彼女に「可哀相」というイメージを与えた。
クラスメイトは矢野の想像通り、いぐっちゃんへの制裁は無かったかのように彼女へ駆けより矢野を罵った。
あっちーは混乱していた。
これがクラスの中での正しいことなんだと分かっていても、物を拾うという世界共通で当たり前のことが矢野にだけは、このクラス内においては裏切り行為になるという現実をどうしても呑み込めない。
あっちーは最後、自ら集団を抜けます。
さっきまで話していたクラスメイトは一瞬であっちーを疎外し始めるけど、やっとあっちーは夜にぐっすり眠れたのでした。
いじめと大人の戦争の話はほんとうに暗くなります。
どっちかというといじめの方がなるかなぁ。
いつも、もし自分だったら・・・と思う。
私は実際には集団に属すると碌なことがないと思って、いじめがなくても集団には属さず、その日その日で話す子も変わればぼっちの時もあり・・・という学校生活だったのですが、それって見ないようにしただけなんですよね。
関わりたくない・・・って自分のことだけ考えてた。
だからもし目に見えるようないじめが起こってたら病んでいたと思う。
見たくないものを見せられ続ける生活は想像しただけでも嫌になる。さらに他者からの圧もかかれば自己防衛が勝って加担してしまうかもしれない。
その状況に立たなければ実際どう動くかなんて分からない。
誰か一人を悪にして団結する集団ほど卑しいものはない。
汚いより、醜いより、卑しいのが私は一番いやだ。
一番いやなのは、人数に怯えて嫌だといえない自分だ。