組織によって選ばれた「社会的要人」の弱みを人工的に作ること、それがユリカの仕事だった。ある日、彼女は見知らぬ男から忠告を受ける。「あの男に関わらない方がいい…何というか、化物なんだ」男の名は木崎。不意に鳴り響く部屋の電話、受話器の中から語りかける男の声―圧倒的に美しく輝く「黒」がユリカを照らした時、彼女の逃亡劇は始まった。世界中で翻訳&絶賛されたベストセラー『掏摸』の兄妹篇が待望の文庫化!
どうして中村さんの作品の主人公は総じて施設出身なのでしょうか。
不条理の体現としてなのか、思い入れがあるのか・・・。
いつもどこか救われない(釈然としない)結末という感想だったんですが、本書はちょっとハートフル?みたいな・・・いいの?みたいな・・・ちょっと混乱しています。
娼婦
前回の掏摸の姉妹作品ということで、早速読んでみたんですが・・・。
本書の最後は全てを奪われて一から始めるっていう終わりなので、そこから自分の王国を築くって意味の「王国」なのかな?と思います。
そしたらすっごい前向きに終わる感じです。
もしくは、絶対悪である木崎の「王国」か。一から始めてもそれは木崎の王国に過ぎないというメッセージか・・・。
後、本書は主人公が女性というところにびっくりしました。
「火」も女性だったけど、なんというか、あとがきでよく自分が思っていたことで~みたいに書いていたので、異性を主人公にすることはないかなって思っていました。
ただ、本書を読んで中村さんの主人公って男とか女とかそこって重要じゃないな~って思いました。もちろん性的な描写は変わってくるんですが、目線が変わらないというか。性的なことが性的に書かれていないというか・・・。
なんだろうな・・・これが作風ってものなのか、ちっとも興奮しない。いつも「やり切れなさ」みたいなものが強すぎてそこ以外に焦点が定まらない感じです。
男でも、女でも。
月
それはもしかしたら理不尽な復讐だったのかもしれない。この男に対してというよりも、自分を囲む、人生というものに対して。
わたしの思いに関係なく、わたしの周囲を決めていく、この世界の意志のようなものに対して。自分の望むようにならないのなら、壊してしまえばいい。
たとえ自分の望むようになったとしても、もう壊してしまえばいい。捨てられる前に、興味がないと思われる前に、わたしは世界を裏切ればいい。
掏摸では塔が見えていたのに対し、王国では月が現れます。
これは女性が主人公だからかなぁと。
女性は月の満ち欠けで体調が崩れたりするので、月との関係は深いとされています。
本書の恐ろしいなと思うところは、私が彼女が助かったことに違和感を感じたことなんです。
普通は「助かったー!良かったー!」と思うと思うのですが、私は何かマンガのヒーローはどんな悪役にも負けない!みたいなそういうご都合主義に思えちゃったんです。
そして、そんな自分は木崎側なのか?と自分で自分が怖くなる。
作者が本書でぶつけてきたのは
「木崎を絶対悪だ!と思っているお前も実は可哀相だと思いながら不条理の中で死んでいく奴の運命を認めているんだろう?」
ということじゃないかな・・・と思うと鳥肌立ちます。
彼女が救われたのはハッピーエンドではなくて、読者に対して「さぁどう思う?」と言われているようで。
彼女がそのまま殺されるか、掏摸のように最後の最後で死にかけるかしたならどこかで腑に落ちた。
でも彼女は生きて新たな人生を歩もうとしている。
いいじゃないか。彼女は娼婦で悪いこともしたけど、それは孤児を救うためだったのだし。彼女の人生は木崎が作りだしたものだった。そこから抜け出せるんだから、いいじゃないか。いいじゃないか・・・。なのに、なぜ腑に落ちない。
心のどこかでオメラスの物語が蘇ってくる。
人々の平和と栄光と繁栄の影で、一人不条理を背負う者。
その者を救えばオメラスという理想郷は崩れる。
それを知っているから誰も助けない。
不条理の中で叫んでいる者を誰もが知っているのに。
どこかで他人事だと思っている。
どんなに悲しんでも、涙を流しても、他人事という境界線はちゃんと引いている。
可哀相・・・ならあなたが代わりに一人でオメラスの地下に幽閉されるか?
そんな不条理を誰が好き好んで受け持つか。
ならば、生まれながらに背負ってしまった者はその運命から逃れることは許されないのか?
許さないのは木崎じゃなくて、その他の一般市民ではないのか・・・?
子供の存在
子供の視線の先の自動販売機を見ながら、手元の自分の紅茶を眺めた。「これいる?」わたしがそう言うと、子供は表情を固めたまま、紅茶を見、小さな手を伸ばしかけ、でもまだ躊躇していた。
わたしは微笑む。
身体に温度が広がっていく。
掏摸もそうですが、全くの赤の他人の子供がキーパーソンになっています。
子供の存在が掏摸のときも、本書でも主人公と世界を繋げる役割を果たしています。
子供にとっては大人という存在はみんな木崎みたいなものかもしれません。親と言う名の絶対神になり、子供の人生のシナリオを書き上げる。
不十分な考察で出来たシナリオはときどき間違える。そのたびに親は「なぜ言うことを聞かないの!」「出来そこない!」と罵る。
自分たちには隠されている、けれどどこかに存在するシナリオの主人公は自分で、その通りに動かなければ怒られてしまうのだ。
そんな不条理を自分にも見るから、どうしても放っておけないんじゃないかなぁと思います。
世の中のどれくらいの人が赤の他人の子供を放っておけないと思うだろうか。
しかも近くに親がいるなら尚更のこと「親がいるじゃない」と、親に任せると思う。他人からしたら、子供が親といるのは普通だし、子供が泣いていても躾だと思うだろうし、親と万引きしていたら通報しても自分じゃ注意はしないだろう。
一番の不条理を背負うのは子供で、そこから抜け出せる子供もいれば大人になっても抜け出せない人もいる。
それを知っているのは抜け出せなかった大人だけだ。
私は掏摸にこそ希望を見たけど、王国は単純な話じゃなくって、読者の真意を問う話に感じました。木崎というキャラクターは本当は身近な私たちなんじゃないのか?と思う。綺麗な言葉ですっごい遠回りをした言葉使いや言い回しの会話をしているだけで、本質は木崎と変わらないんじゃないか?という気になってくる。
オメラスから逃亡した彼女は次の国ではどちらの人間になるのだろう。また一人不条理を背負うか。背負っている者を助けるのか。それとも傍観者になるのか。
もう・・・ほんと落ち込む。