ある知人を思い出しました。
スリ師ではないですが、その人が言っていたことが少しだけ理解出来たような気がしました。
持たざる者
自分で手に入れたものではない、与えられたものを誇る彼を、醜い存在なのだと思った。
親に買ってもらったオモチャを自慢する少年に対して主人公が抱いた感情。
子供は生まれたときから大人になるまで与えられる存在です。
お金も力もないのだから、大人に食事を与えてもらい、教育を施してもらう。
それが一般的な子供。
しかし世の中には、与えられないことが普通の子供がいる。
この少年がなぜスリ師になったのか。
答えは簡単で、与えられないなら奪うしかないからだ。
彼のいう「塔」とは、彼の幻想なのだけれど、これは神なんじゃないかと思う。
誰かに自分を見ていてほしいという願望。
誰かの持ち物に触れたときの違和感から解放される快楽。
スリという行為は彼にとって世界と繋がる行為だったのではないかと思う。
少年時代は上手く出来なかったから見守る存在が必要だった。
そのために塔は姿を現しつづけ、彼のスリが上達するたびに彼は塔が無くても世界と繋がる時間が長くなった。
そのうちに塔は必要ではなくなったので消えた。
ほんとうの孤独
お前達に、身寄りがないからだよ。この世界の中で、お前達は孤独で、お前達が死んでも、気づく周囲の人間がいなかったからだよ。身元が判明するまで、長い長い時間がかかる。手がかりのない死体を目の前にした時、警察は、俺達がつくった架空の証拠にまず飛びつくだろう。あの時の俺には、そういうフリーの人間が必要だったんだ。
ほんとうの孤独ってこういうことだと思うんですよ。
以前、知人がお店をやりたいというので起業したらいいのではないかと言ったことがあります。その人は真面目だし、色んなことを繊細に考えていたので後はやるだけだと思ったし、やった結果失敗しても成功するかなんて誰にも分らないし、失敗を恐れたら一生起業出来ないと思ったから、私はやってみたらいいじゃない。と言ったんです。
その人はこう言いました。
「君には両親がいる、いざとなったら守ってくれる人がいる。だから何だって出来るんだ。何だってやってみようって思えるんだ。そういう人間が一番強いんだ。お金を持っているとか、夢を叶えたとか、実力があるとか、そういうことじゃない。後ろ盾がある人間が一番強いんだよ。」
その時私は、そんなこと言ったら何も出来ないじゃないか。両親がいたってお金貸してくれるかなんてわからないし、家族じゃなくても親友や友人がいれば守ってくれるじゃないか。って思ったんですね。
だけどたぶん、彼が言っていたのは引用した部分のことだったんだと思います。警察っていう社会的な存在が辿り着けないほどの孤独。
つまり社会との繋がりが希薄だという孤独。
事件が起これば警察はまず家族に連絡しますよね。その次にもし携帯電話が残されていたら着信履歴やメール履歴から関係を探すかもしれない。
いずれ身元は判明しても、途方に暮れるほど時間がかかるかもしれないし、その中で諦められてしまうかもしれない。
この本を読んで、あのときの言葉の意味が少しだけ理解出来たような気がしました。私は与えられた人間です。多くの人間と同じ、普通の家庭の普通の両親の元に生まれました。ケンカもしたし嫌いにもなったけど、悪いことしても良いことしても、親が見ていてくれました。私には塔は見えなかった。塔は必要なかった。
ほんとうの孤独ってたぶんこういうことを言うんだと思った。
何かと繋がろうとする
新美も。お前達も、相当な馬鹿だよ。
そんな人生を選んだくせに、何かと繋がろうとする。
馬鹿の極みだ。お前達は本当は、フリーでいればよかった。
主人公は危険な仕事を依頼され、断るが断ったら親子を殺すと脅される。
彼はその親子とは何の関係もない。
スーパーで母が子供に万引きさせているのを目撃したことが出会いで、度々万引きを繰り返す子供にスリのアドバイスをするようになってしまう。
本当は辞めさせたいので、自分がとったお金で買うように大金を渡すが、それを知った母が自分の客になれと強要し、子供の母を買う・・・という流れで関係が出来てしまった。
主人公は最後、結局撃たれて瀕死の状態に陥ります。
そのとき、もう消えていた塔が姿を現す。
そのときの彼は世界と遮断されかかっていた。だからこそ塔が現れたのだ。
彼は孤独だった。だけど、瀕死の状態でも世界と繋がろうとしていた。
世界中の金持ちから財布をスって、汚い子供たちに与えたいと思っていた。
誰もが美しいと思う花火。その花火を見上げる客達の財布をスる動きも、主人公にとっては花火と同じく美しいものだった。
自分が他人の物と触れるときの火花は一般的には美しいものではないけれど、その火花を美しいと思う人間がいるのだ。
社会は全ての人間を助けてくれるわけではない。
ある程度の規定の範囲内にいれば、孤独と認定されない。
自分から助けを呼ぶ方法も分からず、真綿で首を絞めるような毎日を送っている子供に児童相談所はやってこない。
花火のように派手な虐待だけが救いの対象であり、火花は見過ごされてしまうように。
花火は美しい。
与えられたものを当たり前に受け取ることは、視点を変えれば厚かましく図々しいことのようにも思える。
私はこの主人公のことを憎めない。
与えられたから奪わずに生きてこれただけのように思うから。
自分が嫌になる。