≪内容≫
修道院出の夢見がちな少女エマは、情熱的かつ華やかな結婚生活を夢見て年上の医師チャールズ・ボヴァリーと結婚する。しかしその生活はエマが思い描いていたようなロマンティックなものとは程遠く、静かな田舎町と退屈な夫の存在は次第に彼女の心に暗い影を落としてゆく。やがて心の隙間を埋めるかのように、エマは知人の紹介で知り合った美しい青年レオンに惹かれてゆく。レオンもまたエマに情熱的な思いをぶつけるが、人妻という立場はかろうじてエマの恋心を押しとどめ、思いは実ることなく彼は仕事のために都会へと去っていってしまう。再び孤独になったエマは、ほどなくして雇い人を夫のもとへ診察に連れてきた資産家のマルキと出逢う。ひと目会った瞬間からエマを気に入ったマルキは、世慣れた態度と甘い言葉で彼女を口説き始める。エマは既存の道徳観を超越するかのようなマルキの堂々たる振る舞いに戸惑いを感じつつも憧れを抱き、遂には体を許してしまう。夫ではない男に抱かれ、かつてない幸福を感じるエマ。それがやがて訪れる悲劇の幕開けだとも知らずに……
名前だけ知ってる名作のひとつで、謎にこちらから先に観てしまったw
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こっちが喜劇なのに比べてこっちはモノホンの悲劇ですね。笑えない・・・。
人生は退屈がベター
これは物語ですがね、こういう・・・なんというか人生には輝く瞬間が必ずあり、私にはまだそれが訪れていないだけ!と思う人も実際にいると思うのですが、これって難しい問題だなぁと常々思います。
花が一年中咲かないように華やかな時間って一瞬なんですけど、有名人がその瞬間を切り取って掲示すると、あたかもそれがその人の日常だと思っちゃうことってあるじゃないですか。
で、このボヴァリー夫人こと、少女エマはそれが医者の妻になることで手に入れられると思ったんですね。
だけど、実際の医者の仕事は華やかではない。小さな村の病人たちは当たり前だが貧乏くさいし、病気なのだから当たり前に咳が漏れ、清潔感とは程遠い。そんな人たちを見るのが医者だ。すなわち、職業・医者という名前だけが華やかなのだった。
夫は芸術に関心もなく、仕事でも野心がなく、ただ自分にできることをやっているだけだった。エマは夢見人らしく芸術を愛し、都会に憧れ華やかな世界を待っていた。
そんなエマの満たされない心につけこむように何人もの男がエマに声をかける。
服や家具や食器、アクセサリー、そして愛。
夫では得られないものが、勝手に向こうからやってくる。エマが動かずとも、何人もの男がやってきて、彼女に夢を見させ、彼女が本気になると去っていく。残るのは、彼女が夢を見た代金だけだった。
ボヴァリー夫人といい、アンナ・カレーニナといい、女性のこういう物語って需要ありますよね。
彼女達のやってることは、全然ダメなんですけどね。理性で自分を説得できない人間の弱さがすごく魅力的というか、非難しきれない部分があるような気がします。
しかし、働く人というのは多かれ少なかれリアリストです。この物語で言えば、エマには友達が出て来なかった。つまり彼女の周りは医者である夫、商人、メイド、書記官など、皆働いていた。束の間のロマンスに選ばれたのがエマだったのに対し、エマはロマンスを日常にしようとしたのだ。
この映画と対比して考えてしまうのがこれ。
シャネルは働かない貴族を暇人と言い、自分は絶対になりたくない、と言った。シャネルはめちゃくちゃ地に足が着いてる。
シャネルだって「人生は退屈」と言っている。だけど、その退屈さを変えるのを自分に課したか他人に求めたかで、この二人の人生は全く真逆になった。
消費者に回ると世間から疎くなるのは自明の理だと思うのですよ。だから常に、消費者であり生産者である必要が誰にでもあると私は思うのです。
でもボヴァリー夫人が不幸だったかと言われるとそこは彼女にしか分からないし、太く短い人生の方を好むのを誰に止めれるわけでもない。だけど、確実なのは、人生の基本は退屈だということ。