≪内容≫
田舎のナイトクラブからパリへ、そして世界へ──コネクションも財産も教育もない孤児院育ちの少女が、世界のシャネルになるまでの物語。
シャネルのものなんか一個も持ってないけど、シャネルの名言的なものはよく目にする。特に
私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの。
この言葉が大好き。
人任せの人生は退屈
これはココ・シャネル(以下ココ)の考え方であって、待つことのできる女性はそれはそれで強いなと私は思う。でも、生きることを考えると、ただ待つだけじゃ死んでしまう。
結局男を待って死ぬことになったら、それを選んだのが自分でも、死んだのは男のせいだと思ってしまうのではなかろうか。
誰かを恨む人生は嫌。
それなら自分の人生は自分で創る。自分の命は自分で守る。自分の食い扶持は自分で稼ぐ。選べなかった自分の生まれを憎まないためにも、選べる年齢になった今、ココは自分の人生を自分で創り上げていく。
働きたくなくて遊んでばかりの貴族たちに嫌悪感を持つココ。
だけど、彼女の援助になるのは貴族なのです。ここのところココのしたたかさを感じます。なんでもかんでも嫌!で跳ねのけたらワガママだけど、清濁併せ呑むところはこらえてきたからこそココは自分の道を作れたのだと思います。
この時代、働くことは当たり前ではありませんでした。女性を大切にする=働かせないという心理があったのです。女性は身体を締めつける服を着たり派手な飾りで日常を華やかに演出していました。
ココはそんな女性の在り方に疑問を抱いていました。
なぜ呼吸するのも苦しいくらいに締め上げたコルセットを着なきゃいけないのか。なぜ馬に乗るのにロングドレスを着て横乗りしなくてはならないのか。なぜ頭に不安定な帽子を載せつづけなきゃいけないのか・・・。
そういう発想はココが幼いときから社会と向き合わざるを得なかったからかもしれません。ただ易々と生きていくには不安が大きすぎる人生。バカでは生きていけない。ココの強さは現代で言うと西原さんと同じようなものを感じます。
例え愛した人と結婚出来なくても、ずっと一緒にいられなくても、永遠のお別れが来ても、仕事があれば立っていられる。
自立って怖いことだよね。
だって簡単なことなら自立って言葉が死語になったっていいじゃない?って思う。だけど未だに自立が唱えられるのは、それが人にとってとても勇気のいることだからだと思うのです。
恋愛に生きて死ぬ「グレート・ギャツビー」も物語としては大好きだけど、現実考えるとリアリストな人間になりたいと思う。ていうか、大体成功してる人は超リアリストだと思ってしまう。例えどれだけ夢のあることを言っていて同じ世界に住んでるとは思えない不思議っぷりだとしても。