≪内容≫
第二次大戦下のニューヨークで、居並ぶセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった……。表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。
有名ですが、本当にラストが映画と全然違いました。
映画版感想記事↓
個人的には本作のラストが好きですし、このラストだから伝わるものがあったので、映画しか知らない人はぜひ見てほしいし、名前だけ知ってる人も読んで欲しいと思いました。
眠りたくもない。死にたくもない。
空の牧場をどこまでもさすらっていたい。
ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング
そうね、それが普通かもしれない。でも、私としては普通よりは自然になりたいんだ
それは残念至極ね。でもね、腰をすえることのできる場所が、すなわち故郷よ。私はそんな場所をいまだに探し続けているのよ
どの年齢でどのタイミングで根無し草から卒業するのか分からないけど、根無し草のままで生きるって事はその間ずっと不安定であるということです。
名作「LEON」の中で鉢植えが出てくるんですけどね、大地に根を張れないって意味なんですが、この描写がすごく良いので根無し草的人生について知りたい人はおすすめです。
で、本作のホリーは「ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング」と出てくるように、常に旅行中なわけです。
そして「私はそんな場所をいまだに探し続けているのよ 」とあるように、彼女は彼女の故郷をずっと探し続けているわけです。
この「ティファニーで朝食を」がニューヨークで人気になったということから、たくさんの人たちがホリーに共感している=そんな場所をいまだに探し続けている感覚を持っている人たちが割といる、という風に解釈しました。
理想と現実。
現実は冷たい、とか言うし、理想と現実は違うよ、とかね、ありますよね。
ホリーの根無し草的な生き方に説教したい人間はたくさんいると思うし、大人になって自分で生活しているのに文句言ってくる人っているよね。
「普通はこうだよ」とかいう呪いの言葉。
で、なんでこういうこと思ったかっていうと、ホリーってそういういちゃもんを撥ねつけて自分に正直に進んでいくんです。
そうね、それが普通かもしれない。でも、私としては普通よりは自然になりたいんだ
世の中って暗黙のルールがあって「普通」があるでしょ。
だけど世の中の「普通」が自分にとっての「自然」とイコールになるとは限らないのに、ならない奴はアウトローとされちゃう。
でも確かにホリーはすごく危なっかしい。
ついつい「あなたのために言ってるのに!」って自分の心の底から善意を押し付けたくなっちゃう。
だけど、それはホリーにとって「不自然」なことをしろって言ってるのと同じなのかなとも思えてくる。
そうすると、結局のところホリーの好きにしたらいい、と思えてくる。自分がその先に感じるのが不幸だとしても。
こういう風に、相手が不幸になるかもしれないと思いながら見守る姿勢をとることを人はときに「冷たい」「無関心」という評価を下す。
そういう周りからの評価が怖くて、相手が不幸になったとき「でも、私はこうした方がいいって言ったんです」って事実が欲しくって、相手に過剰にいちゃもんをつける。
なんか、もうそういうのって優しさじゃないよなって思う。
結局相手がそういう武器が欲しくて言ったのか、本当に幸せを願って言ったのかって見えないし、時間って感情もあやふやにするから分かんなくなっていっちゃうんだけど、見守るってそんな悪いことかなって思う。
世間の「普通」が自然に感じられないなら、世間の「幸せ」が自然に感じられない人間だっているんだよ。
とはいえ、自分にとっての自然を追いかけ続けるっていうのは、他人との共有を蔑ろにしてしまうことでもある。
社会は共存ですから、そこに背を向けたら生きていくのはぐっと難しくなるわけです。
だから大人になるっていうのは、自分にとっての自然と他人との共有のバランスをとることになる。
いつからそれが出来るようになって今生きてるんだろうな、と思う。
そういうピュアなものを捨てたり、また出会ったりする物語が他にも収録されています。
傷ついたことで、曖昧だった感情にしっかりと輪郭が出来ることもあるから傷つくのことは全くのマイナスってわけじゃない。でも自分のイノセンスな部分や情熱を自ら捨てるのは100%マイナスだと思ってる。
だから人から何と言われようが、頑張りたいことは頑張る!