郵便配達員として働く三十歳の僕。ちょっと映画オタク。猫とふたり暮らし。そんな僕がある日突然、脳腫瘍で余命わずかであることを宣告される。絶望的な気分で家に帰ってくると、自分とまったく同じ姿をした男が待っていた。その男は自分が悪魔だと言い、「この世界から何かを消す。その代わりにあなたは一日だけ命を得る」という奇妙な取引を持ちかけてきた。僕は生きるために、消すことを決めた。電話、映画、時計…僕の命と引き換えに、世界からモノが消えていく。僕と猫と陽気な悪魔の七日間が始まった。二〇一三年本屋大賞ノミネートの感動作が、待望の文庫化!
私は大の猫好きです。
しかし猫と暮らした事はないし、猫カフェに行っても遊ぶことはありません。
猫が居る。それだけで幸せな気持ちになるのです。
猫がきまぐれに自由に生きている姿を見ることが一番嬉しいのです。
だから「世界から猫が消えたなら」何も困らないけど、私の幸せは一つ無くなってしまいます。
世界から何かひとつ消したら一日寿命が延びる
自分と同じ顔をしたアクマ(アロハ)からそう持ちかけられた主人公。
アロハが言う通り、人間は何万年もかけて無数のガラクタを作ってきた。何か消えたところで誰も困らないし、むしろ世の中がシンプルになって、きっとみんな僕に感謝することになるだろう。
しかし、消すものはアクマが決めます。
まずは「電話」を消す事になりました。
スマホがなくなったら?
なくなったら困ります。
でも死ぬわけじゃありません。
でも困ります。
携帯はその登場から、たったの20年で人間を支配してしまった。なくてもよかったものが、たった20年で、なくてはならないものかのように人間を支配している。人は携帯を発明することにより、携帯を持たない不安も同時に発明してしまった。
まだ携帯を持っていない時よく使っていたもの。
こういうプロフィール帳。
ここにあらゆる情報を書く。
将来の夢とか、どんな人になりたいとか。
携帯が出て今では「前略プロフ」とかも超えてtwitterやSNSで自分の情報を紙に書かなくても何とかなるようになってしまいました。
別に面と向かわなくても、目の前に相手がいてもいなくても自分のことを発信できる時代。
時計が消えたら?
決まり事がある、ということは同時に不自由さを伴うということを意味する。だが人間は、その不自由さを壁に掛け、部屋に置き、それだけでは飽き足らず、行動するすべての場所に配置している。挙句の果てには自分の腕にまで時間を巻きつけておこうとする。
でも、その意味が今はよく分かる。
自由は、不安を伴う。
人間は、不自由さと引き換えに決まり事があるという安心感を得たのだ。
人ってやることがないと寂しい。
仕事してて「もっとゆっくり寝てたいよー!」と愚痴る。
でも実際休日に一人で思う存分寝てると「何してるんだろ・・・」と寂しくなっちゃう。
お年寄りが定年退職して身体が動かなくなって一日中家にいる。
子供や若者は「いいな~働かなくていいなんて」と言う。
でも、お年寄りは寂しくていっぱいなんです。
誰かとお話したくって仕方ない。
人にとって「ただ生きる」は難しい。
役割を求めてしまうから。
その役割を分担するために時間配分は必要。
だけど、自分で自分の役割が見つけられたらそれは必要じゃなくなるかもしれない。
世界から僕が消えたなら
自分が存在した世界と、存在しなかった世界。そこにあるであろう、微細な差異。
そこに生まれた、小さな小さな"差"こそが僕が生きてきた"印"なのだ。
世界から自分が消えたって何も変わりません。
そりゃある程度の人は悲しませちゃうと思うけど、携帯や時間がなくなるより全然大したことないし。
だから生きている内は自分が生きた証なんて見えなくて当たり前なんですね。
もしこの主人公の様に、寿命を告げられた時、どう思うかな?
今まで大切にしてきたことって自分の生き死にを考えた時本当に大事なことだったかな。
「忙しいから」と掛け直さなかった親からの電話。
楽だけ求めて暴飲暴食する毎日。
楽しさだけに身を任せてする夜遊び。
生きる為に仕事して、その仕事に殺される日々。
本当に大切なこと、見なおしてみよう。