≪内容≫
「お姉ちゃんは最高におもしろいよ」と叫んで14歳の妹がしでかした恐怖の事件。妹を信じてはいけないし許してもいけない。人の心は死にたくなるほど切なくて、殺したくなるほど憎憎しい。三島由紀夫賞最終候補作品として議論沸騰、魂を震撼させたあの伝説の小説がついに刊行。
本谷 有希子といえば「乱暴と待機」を昔読み、映画も見たんですが「何か意味わからんし、気持ち悪い・・・」という感想でした。
この話に出てくる待子と乱暴と待機の奈々緒が何とも似てるような・・・
こういう女性を描くのが得意なのか・・・
しかし、ストーリーとなるものはキャラクターが普通過ぎてもつまらないので読み手が引くほど狂った姉妹達というだけでさーっと読み切ってしまいました。
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
まず、このタイトルの意味って何?と思いまして。
この腑抜け(いくじなし、まぬけ)とは登場人物皆そうなわけですが「悲しみの愛を見せろ」ってところがわからないのです。
悲しみの愛ってところは宍道が待子を抱いた時?
清深が澄伽に現実を突きつけた時?
「愛が悲しい」とか「悲しい愛」って何となく虚しさや報われない一方的な愛を連想させるのですが「悲しみの愛」「愛の悲しみ」って本来「愛」という言葉で表せられる暖かくて優しいものが削がれて禍々しい、毒々しい憎しみを表してるような気がするんです。
「悲しみの愛」にはエゴしか見えません。
唯我独尊、見るからにエゴイストな澄伽。
自己否定することで自分のエゴイズムから目を背ける清深。
家族を幸せにしたいという大義名分を得て逃げ続ける宍道。
自分からも他人からも逃げ続ける無自覚のエゴイスト待子。
そして、冒頭で死んだ両親もまた、澄伽というモンスターから逃げだしたエゴイスト。
親がエゴイストだと被害をこうむるのは絶対的に子供なんです。
この構図、映画「エスター」とよく似ています。
親が「ま、いいか」「とりあえずいいか」と目を瞑っている間に子供は危機に曝されています。
物語としてはかなりヒヤヒヤ面白いですがね、現実では絶対にダメなことです。
姉の日記を盗み読む妹
世の中の妹の方々は結構やっていると思うんですがやってませんか!?
妹って姉に興味津津なんですが悲しいかな、姉は妹にはたいてい興味ないんですよね。
本作の妹・清深は姉の面白さを第三者に向けてしまうわけですが、ここで本人に「おねーちゃんって何でそんなに自分大好きなの?超ウケるw自意識過剰じゃね?w」って言っちゃえば良かったのに。
こういうのね、大事なんですよ意外と。
姉妹に言われるのと他人に言われるのじゃ傷付く度合が桁違いなわけです。
そんで親から言われても年が離れてるし環境も違うから「親にはわかるわけない」ってちょっと自分を守れちゃうんですけど、年の近い兄弟から言われると同級生も同じことを思ってる可能性がグっと上がる訳で、自分を客観的に見る事を覚えていくんです。
これは絶対年齢が早い方がいいです。大人になってから言われたって直したくても直せなくなってくるから。若いうちは軸も柔く細胞も若いからね、再生能力も早いから。
最後の最後で清深は澄伽に遂にモノ申すのですが
私だって限界まで我慢したよ・・・!おもしろがっちゃ駄目だってずっとずっと自分に言い聞かせてたよ! お父さんとお母さんのことも・・・漫画に使えそうだとか思っちゃ駄目だって必死で・・・!
でも・・・じゃあどうしてお姉ちゃん、帰って来ちゃったの?駄目だよ、帰って来ちゃ!そんなおもしろいのに私の前に戻って来ちゃ駄目じゃない・・・!わざわざ目の前で見せつけておいて我慢しろだなんて生殺しだよ!お姉ちゃんは、自分のおもしろさを全然分かってない!
そんなおもしろいのに私の前に戻って来ちゃ駄目じゃない・・・!
あれ?この話ギャグだっけ・・・え、結構人死んでるんですが、家庭崩壊してるんですが・・・(;´д`)
姉にいじめられている可哀相な妹は全然可哀相ではなくとんだ黒幕でした。
姉・澄伽
冒頭からずっと姉の異常性が綴られています。
- 両親が猫を助けて死んだのに猫のぬいぐるみをプレゼント
- 嫁の待子に「兄の事は私が一番知っている」といい人ぶる
- 両親に焼香もせずまず寝る
- 所属している劇団から強制退団させられる
- 兄と何だか男女の関係
- 東京の小森哲生さん(映画監督)と文通する為のレターセットを待子に買いに行かせる
- 兄に殴られ咳きこむ待子に「わたしのそばは?」と用意をさせる
- 女優になれないことを妹のせいにしていじめる
- 田舎から上京するのに反対され父にナイフを向ける(過去話)
- 上京資金の為に身体を売る(過去話)
- つまらない田舎 を潰すために妹を熱湯風呂に入れる
- 自分の良い所を100個書いて歌にしろと妹に課題を出す
小森さんに自分の才能を見出してもらえたと思った澄伽は妹に「今までごめんね」といって許すことにしますが、これが澄伽の地獄の始まり清深の覚醒の始まりでした。
兄・宍道
母の連れ子として来たお兄ちゃん。
本当の父が失踪して苦労しながら育ててくれた母を幸せにしたい。
そんな心優しいお兄ちゃん。
母亡き今、残された家族だけは幸せにしたいと思う宍道だったがその強い思いが自分を破滅へ向かわせたのだった・・・。
何がどこで間違ってしまったのか分からない。
だが四年前、清深の漫画の件で部屋から出て来なくなった澄伽を必死で説得しているうち、気付けば自分は澄伽という人間を肯定するために彼女を抱かなくてはいけないことになっていたのだ。「お前じゃなきゃ駄目だ。」と何十回も、何百回も言わされた。そして「澄伽以外、誰のことも死ぬまで必要としない」と本気で誓わされた。その時の切羽詰まった澄伽の様子は、恋愛感情というものからは遠く掛け離れたものだった。
この後、澄伽が上京しても自責の念に苛まれ続ける宍道。
その為待子と結婚しても一切肉体関係がない状態。
妹の澄伽を抱きながら妻の待子にDV三昧の日々。
これね、以前のこの記事にも書きましたが
宍道が妹たちを何とかしようとしたって何にもならないんですよね。
「自分が何とかしなければ」っていうのは結局エゴでしかないわけです。
それで妻の待子を傷つけてちゃ意味ないでしょ?
しかもその結果死んでしまうなんて、悲し過ぎるじゃないですか。
妹・清深
澄伽の文通相手の小森哲生とは妹の清深だった。
姉を怖がりながらも好奇心と探究心には勝てなかった清深。
姉が今も変わらず面白いままなのか試したくてしょーがない清深は姉の文通相手に成り済ますために郵便局でバイトまで始めたのだ。
両親が亡くなっても宍道がいたからまだ清らかなままでいようと思っていた。家族の不幸をネタにするような最低な人間にはならないと思っていた。
しかし宍道が死んで澄伽と二人っきりになった清深を止めるものはもう何もなかった・・・。
お姉ちゃんを本当に必要としてたのは私の方だったよ・・・。お兄ちゃんは、お姉ちゃんの良さなんて少しも理解してなかった
姉の他の誰とも違う価値・・・それを本当に知っているのは清深であり、生かせるのも清深であった。
「女優になる」という大義名分を振りかざしてやりたい放題突き進んでいく姉はキャラクターとしては一級品。
ハチャメチャでやりたい放題。都合の悪い事は周りのせい。
だけど本当は不安でいっぱいだから兄に無理やり自分が必要だと強制。
絶望的なまでに客観視が出来ない姉と冷酷な程共感能力に欠けた妹。
最後の最後で喰われちゃった澄伽。
ここからどうなるかな?
そして、家族を喰いモノにし続ける清深は家族と離れたらどうなるかな?
でもなんだかんだ言ってこの人の毒が気になりすぎるw