≪内容≫
地元を飛び出した娘と、残った娘。幼馴染みの二人の人生はもう交わることなどないと思っていた。あの事件が起こるまでは。チエミが母親を殺し、失踪してから半年。みずほの脳裏に浮かんだのはチエミと交わした幼い約束。彼女が逃げ続ける理由が明らかになるとき、全ての娘は救われる。著者の新たな代表作。
最後の最後に「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」の意味が分かる・・・!
作中に出てくる「すべての娘は、自分の母親に等しく傷つけられている。」というのはどうなんだろうか。
そうかも。と思えるような、そうかな?と思うような・・・
女子の友情って浅いとか言われがちですが、結構根深いんだよなぁ・・・とこの本を読んで確信しましたね。
私は好きです、女の友情。
女は30歳になったらオシマイ?
三十までにやりたいことをやって、落ち着いてなきゃいけない。何でもいいから、結婚したり、結果出しておかなきゃ、笑われるし、おしまいなんだって思ってた。そのときまで何にもないままだったら恥ずかしいし、でも、逆に言えば、そこで、苦しいのもきっと終わりになるって思ってた。
2009年に単行本として刊行されたと記載されていました。
今は8年後の2017年ですが、この感覚分かりますか?
いや、これは年号の問題ではなく読む人の実年齢で感じるものなのかもしれない。
私はもう少しで30歳になる年齢ですが、こういう感覚は懐かしいです。
主に24~27歳くらいの時に感じていたように思います。
現実に子供が欲しいから若い子がいいと言う男性はいたし、先日読んだ本の話の中でも、男性が「30代との合コンきつかった」的なことを言っていました。
私の環境は幸いにも年齢に支配されるような人間がいなかったようで、だからこそ縛られずに生きてこれたのだなぁと本書を読んで思いました。
年齢で物事を考える感覚はほとんどありません。
年齢も"女"ということも記号でしかなくて、人としてどう生きていくかってことを考えています。
一人で生きているわけじゃないから、やっぱり他人の価値観が影響してくることは仕方ないことで避けられないことだと思います。
もし、私の周りの友人が「30歳までに自分の方向性決めないとダメだよ」とか「30過ぎて男探してもいないよ」とか年齢で物事を決める人間だったら、私も「そうか・・・そうかもしれない。」と思っていただろうなと思います。
年齢で価値を決める人間がダメとは言いません。
ただ、そういう人間と話していると見えない"何か"に縛られているような窮屈さを感じます。
そういう窮屈さの中で「なにか話さなきゃ!」と思っても、狭い空間に受け入れられるような言葉や話題を見つけなきゃいけない、と思ってしまい、全然自由に話せなくて息苦しく感じます。
人としての魅力は年齢じゃなくて、何者かってことでもなくて、その人がどれだけ自然で自由であるか、だと私は思っています。
30歳になろうが40歳になろうが、オシマイなんてことはない。
母と娘
私が話をするのは、いつだってお母さんだったから。
その人の方がおかしいよ。チエミは悪くないよというのは、お母さんだった。お母さんが見方でなければ、私にはもう、相談相手がいないのだ。
深いなぁ・・・って思いました。
チエミは一人っ子で、周りからは"異常"と言われるくらい家族の仲が良く、密着しているような関係でした。
合コンに行っても途中で親に電話をする。どこで、何人で、何をしているか、どんな職業の人で、かっこいいかどうか・・・一通り母に話したら父に変わる。
何をするにも「お母さんに聞いてみる」と言うチエミ。
そんな彼女を快く思わない人間はたくさんいた。
自立出来ていない、家族でそんなに固まるのは異常だ、気持ち悪い、おかしい・・・などなど。
女の親友
私を守って、男の子に飛びかかっていったみずほちゃんを見ながら、私は、みずほちゃんが男の子だったらいいのにと思っていた。
好きだったのは、お兄ちゃんじゃない。
本当に手に入るなら、私は、みずほちゃんが良かった。
島本理生さんの解説がそのまま「そうですよね!そうなんですよね!!!!」と百回頷きたいくらい共感出来た。
恋人未満、家族以上って感じかなぁ、女同士の親友と言うのは。
結婚出来ないことは分かっているし、そこまでして独占したいわけじゃないんだけど、出来る限りずっと一緒にいたい。
同じことで悩み、同じことで笑い、泣き、感動したい。
そう思うから「同い年の子を産もうよ!」という考えが生まれる。
私も出来るなら、親友と同い年の子を授かって、同じ学校で同じ地区で育てたい。
ある意味で、もう求めていないんです。
チエミはみずほ以外の友達を求めていないんだと思います。
私がもし子供を産んで、親友が産まなかったら、自然にママ友という繋がりが出来るだろうし、OOちゃんのママという立場での友人が出来ると思います。
そこで学校のこと、進学のこと、子供のこと、旦那のこと、家のこと、親のこと・・・そういう話でしていくと思います。
だけど、ほんとうはそういう話の全部を親友と共有したい。
みずほちゃんと共有出来ればそれでいい。
そういう気持ちがあったんじゃないかな・・・と思っています。
親友がもし結婚するとなったら、旦那さんに嫉妬するだろうなぁ。
私が親友と結婚出来るわけでもないし、おめでたいことだけど、どうしたって「取られた」っていう感情が湧いてくる。
チエミはそれでも、みずほの結婚式に美しい刺繍を贈ったんですよ。美しい刺繍を・・・
解説から
不思議なことに、女は、露骨な悪女よりも、無自覚な同性を疎む傾向がある。多くのものに否定されながら、それを踏み越えるしかなかった女たちにとって、無自覚さは、奪われてしまったものの象徴だから。
ドキっとした。
本当にその通りだと思った。
露骨な悪女を見るより見た目コンプレックスだらけなのに笑顔で楽しそうに生きている女を見ると叩きたくなるのだ。
悪意を無垢な身体に染み込ませたくなる。
世の中にはこんな嫌な奴もいるし、あなたのことを「やばい」って思う人間もいるんだよ、って。
私が一所懸命にそれと戦っているんだから、あなたも戦いなさいよ!という理不尽な心。私も捨てたんだから、あなたも捨てなさいよ、私がずっと気付かないで子供のままでいたかった心はもう取り戻せないんだから、あなただけ持たないでよ・・・っていう懇願に近い気持ちですかね。
私は、化粧バリバリでスタイルが良くいわゆる女子力高めの人よりも、眉とファンデとチークくらいしかしていなくて、服もノーブランドでジーパンにTシャツで特にサラサラでもない黒髪みたいな女の子の方がよっぽど強いと思っています。人としてね。
着飾らなくても愛してくれる人がいるっていう何よりの象徴に感じるから。生きていく中でそれが一番強いことだと思う。
第二章から、ほんとうに泣けてくる。