≪内容≫
中学校の国語の時間。「走れメロス」の音読テープに耳をふさいだ森見少年は、その後、くっついたり離れたりを繰り返しながらも、太宰の世界に惹かれていった―。読者を楽しませることをなによりも大切に考えた太宰治の作品群から、「ヘンテコであること」「愉快であること」に主眼を置いて選んだ十九篇。「生誕百年」に贈る、最高にステキで面白い、太宰治の「傑作」選。
日本でユーモアがある作家と言ったら太宰治かなぁ・・・と思う。「人間失格」が有名すぎるからジメっとした印象が強い気がするけど「津軽」とかけっこう面白いんです。
俺は田舎に来て食べ物を乞うようなことはしない絶対にね!キリッと鼻息を荒げた矢先に「林檎もらっちゃった」とか「お酒飲んじゃった」とか出てくる。絶対に顔はテヘヘ(*ˊᵕˋ*)という表情をしているに違いない。本当に~しちゃったという文言で書かれているのです。お茶目さんDAZAI。
森見さんの太宰治評もすごく愛があり、この本は色んな思いやりが詰まった本だとおもいました。
太宰治はいろいろと人生で失敗している。年表を見ていると、とくに二十代の頃など、読んでいるだけで辛くなるほど、救いがたい悲惨な失敗の連続である。とても笑っていられない。三十代になって比較的落ち着いてもなお、生活する人間として太宰は不器用である。しかし、どれだけまわりに迷惑をかけても、太宰の根底には皆にサービスしたいという気持ちがある。あるいは失敗の連続であったからこそ、皆にサービスしたいという気持ちを強くしたのかもしれない。
(編集後記より)
人に迷惑をかけたくなくてもかけてしまう性根というのはあると思う。かけられた側はサービスうんぬんはいいから迷惑をかけないでくれ、それこそが最大のサービスだから・・・と思うかもしれない。というか実際迷惑をかけられたらそう思うのが普通と思えてくる。
しかし、私も三十代になって思う事がある。
人には得手不得手があり、他人が求めることと自分が出来ることとが噛み合わないことの方が多いのだ。相手が求めることがどうしても出来なくて、だけどどうにか自分なりにお返ししたくて見当違いなことをやってしまう愚かさも含めて人間なのだ。
二十代のころはこういう人間に対してなんて自分勝手なんだろう、と思っていた。迷惑なだけだし、望んでないし、だったら関わらないでくれ、と思っていた。黙って立ち去ってくれればそれが一番うれしいからって。
太宰治がなぜ人気なのか。
私が思うに、やはり"欲望"だと思うのです。IT/スティーヴン・キング でも、最後「欲」について語られています。
失敗だらけで、人間失格で、どーしようもない自分。だけどそういう自分でも諦めることが出来ない。そっぽ向かれても、呆れられても、人を笑わせたい、伝えたい、認めてほしい、そういう理屈や理性では抑えきれないものがいつの時代も絶えず人の心の琴線に触れるのだと思います。
19編の簡単なあらすじ
失敗園・・・ある家の庭に植えられた野菜たちの心の声。
綿の苗
「私は、今は、こんなに小さくても、やがて一枚の座蒲団になるんですって。本当かしら。なんだか自嘲したくて仕様が無いの。軽蔑しないでね。」
カチカチ山 お伽草子より・・・兎は年若い処女で狸は中年の男であると見た太宰治視点のカチカチ山。
カチカチ山の物語に於けるウサギは少女。そしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑いを容れぬ厳然たる事実のように私には思われる。
貨幣・・・百円紙幣の女の話。お金の擬人化。
あなたの財布の中の百円紙幣をちょっと調べてみて下さいまし。或いは私はその中に、はいっているかも知れません。
令嬢アユ・・・世間知らずな佐野君のちょっぴり切ない六月の恋。
「この蚊針はね、おそめという名前です。いい蚊針には、いちいち名前があるのよ。これは、おそめ。可愛い名でしょう?」
服装について・・・服装が決まらない悩みの告白と思いきや、話しはそれだけにとどまらず。たかが服。されど"服"。
あの人の弱さが、かえって私に生きて行こうという希望を与える。気弱い内省の窮極からでなければ、真に崇厳な光明は発し得ないと私は頑固に信じている。とにかく私は、もっと生きてみたい。謂わば、最高の誇りと最低の生活で、とにかく生きてみたい。
酒の追憶・・・酒によって変わっていく生活。
ただ、飲めばいいのである。酔えば、いいのである。酔って目がつぶれたっていいのである。
佐渡・・・予想を裏切られた佐渡の旅。
見てしまった空虚、見なかった焦燥不安、それだけの連続で、三十歳四十歳五十歳と、精一杯あくせく暮して、死ぬるのではなかろうか。
ロマネスク・・・古風な顔に変身した太郎と、誰とも喧嘩せず喧嘩を極めた次郎兵衛、嘘つきの三郎という奇天烈な三人の奇妙な絆。
勝手にしやがれ。無意識の世界。
満顔・・・上記「ロマネスク」執筆時に起きた出来事。
年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。
畜犬談・・・犬嫌いが犬を避ける為に媚を売った結果犬に好かれる。それでも犬嫌いなはずだったが・・・。
私は仕方なく、この犬をポチなどと呼んでいるのであるが、半年も共に住んでいながら、いまだに私は、このポチを一家のものとは思えない。
親友交歓・・・そんなに仲良くなかったはずの同級生が親友顔でやってきた。
とにかくそれは、見事な男であった。あっぱれな奴であった。好いところが一つもみじんも無かった。
黄村先生言語録・・・山椒魚に凝った先生と、その書記の話。
やっぱり先生は、私などとは、けた違いの非常識人である。
『井伏鱒ニ選集』後記・・・井伏さんとの記憶。
旅は、徒然の姿に似て居ながら、人間の決戦場かも知れない。
猿面冠者・・・作品を書きたいのか、作家になりたいのか、とにかく想像と批評ばかりで筆が動かない男の話。
そのような文学の糞から生まれたような男が、もし小説を書いたとしたなら、いったいどんなものができるだろう。
女の決闘・・・屑な芸術家の情婦に妻が決闘を申し込む。その小説を太宰(DAZAI)がアレンジして我々に話してくれる。
私にはわかっている。あの人は、私に、自分の女房を殺して貰いたいのだ。
貧の意地 新釈諸国噺より・・・不器用な男たちの酒盛り。
駄目な男というのは、幸福を受取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。
破産 新釈諸国噺より・・・文字通り破産していく一家の物語。
男のかたは、五十くらいから、けちになるといいのですよ。三十のけちんぼうは、早すぎます。
粋人 新釈諸国噺より・・・借金とりから逃れても金をむしられる男。
「くどいわねえ。何度言ったって同じじゃないの。あなただって、頭の毛が薄いくせに何を言ってるの。ひどいわ、ひどいわ。」と言って泣き出した。泣きながら、「あなた、お金ある?」と露骨な事を口走った。
走れメロス・・・いわずもがな。
間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
オススメは「女の決闘」
彼は、もともと女性軽蔑者でありました。女性の浅間しさを知悉しているつもりでありました。女性は男に愛撫されたくて生きている。称讃されたくて生きている。我利我利。淫蕩。無智。虚栄。死ぬまで怪しい空想に身悶えしている。貪欲。無思慮。ひとり合点。意識せぬ冷酷。無恥厚顔。吝嗇。打算。相手かまわぬ媚態。ばかな自惚れ。その他、女性のあらゆる悪徳を心得ているつもりでいたのであります。
男性も女性も一度読んで頂きたいオススメのお話。
現代においては男とか女とかいうより、人としてこういう人もいれば、こういう人もいるって感じなので、これを読んで「女性ってこうなんだ!」とあんまり率直に読み過ぎてしまう人はいないとは思いますが、でも、女性ってたぶんこうやって生きてきたのかな・・・とは思いました。
男の女に対する軽蔑。それを凌駕する女の執着。
太宰治は本当に女性を描くのが上手いというか、女性の視点、女性の無意識の奥底にあるものを掬う。
私は太宰治と言ったらまず女生徒をオススメするが、男性にはつまらないかもしれない。 でも、女ってこんなかわいいのか・・・と思えるかも。かわいいんですよ、ほんとに。
本作の中の「葉桜と魔笛」は結構有名です。
美しい漫画で登場してた。まずなんてたって「葉桜と魔笛」は文字的に可愛すぎるだろうDAZAI!こんな可愛い漢字の組み合わせってなかなか見ないでっせ。
とはいえ、「奇想と微笑」は男性である森見さんが選出しているので、男性はこちらの方が楽しめるかも。面白い作品が集まってるし。
愛される太宰・・・何が才能ってサービス精神があることが一番の才能だと思う。