深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】彼女がその名を知らない鳥たち~愛は人生における最大の暇つぶしであり、最高の生きがいとなりうる~

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《内容》

沼田まほかるのベストセラー小説を、『凶悪』の白石和彌監督が映画化したサスペンスフルな恋愛ミステリー。15歳年上の陣治と暮らしながら、8年前に別れた黒崎のことが忘れられない十和子。ある日彼女は、刑事から黒崎が行方不明だと告げられる。

 

 これが好きな人は、「私の男」や「愚行録」「春琴抄」も心に刺さると思いますし、同じ沼田まほかる作品の「ユリゴコロ」もヒットすると思う。

 私的には「私の男」が一番好きなので比較させてもらうと、桜庭一樹作品に出てくる女性は割と肝っ玉というか、「男に頼らないでやってく!こいつは私の男なんだから!」という強さがあり(女性主体)、沼田まほかる作品はフラフラしている女に男がどうしても惹かれてしまう(本作、ユリゴコロ、アミダサマ)、もしくは女に男が呼ばれて男が女を世話する(男性主体)、という点が異なります。

 こういう映画を見ると、「あ~邦画の良さってこれなんだよなぁ。」と思う。暗くて一途。一途さが狂気に変わるのが邦画って感じです。

 この一途さも暗くて絶対に折れない(しかも墓場まで持って行く覚悟)のが日本熱しやすく冷めやすい(ものすごい勢いで盛り上がって急に死んだりする)のが韓国綺麗なところだけ描く(ハッピーな後日談か泣ける後日談になるものしか作品にしない)のがアメリカっていう印象です。

 

愛は一番の暇つぶし

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  この映画を見た後一番最初に思ったのが「ああ、私愛に対して正解を求め過ぎてるな。」でした。

 「あなたはこれを愛と呼べるか?」と問われてますが、そんなん人によって違うし違うから愛なんじゃ!愛に正解はないんじゃ!!というのが率直な感想です。

 

 さて、本作は蒼井優演じるニートで元彼を引きずりながら嫌いな男に養ってもらう十和子と、まるで十和子の僕のように尽くしまくる汚い男・陣治(阿部サダヲ)の愛について描かれています。

 別れた男を忘れられず、一緒にいる男は蔑みながら、十和子のクレームによって家に謝罪に来たデパートの男(松坂桃李)と関係を持つ十和子。久しぶりに元カレ以来、熱を上げる存在に出会った十和子は、家をあけることや陣治にあたることが多くなった。もちろん一緒に暮らす陣治は十和子の異変に気づき、「おっかないことになるからやめろ」と忠告したり、相手に嫌がらせをしたり十和子をつけたりする。十和子はそんな陣治に冷たく当たるが、しつこい陣治に一つの疑問を感じ始める。「おっかないこと」とは一体何か?そんなとき、別れた男が失踪扱いとなっていることを警察から聞いた十和子は陣治に得体の知れない恐怖を感じ始める。

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  ブルーカラーの陣治の汚さ(顔の垢や歯、咳など)と、元カレと不倫相手のホワイトカラー的インテリさによって自分にしてくることがどうであれ、十和子は綺麗な方を選ぶ。陣治といるときの私は本当の私じゃない。本当の私はホワイトカラーに愛される女なのだ、というように。

 おそらく「彼女がその名を知らない鳥たち」、っていうのは十和子にとっての愛をくれる相手(彼女が名を知っている鳥たち)はホワイトカラーだけなんです。でも世の中には、彼女がその名を知らない鳥たちが持っている愛もあるわけで、この物語はそういう別の愛に気付く物語でもあると思うんですね。

 

 んで、じゃあなんで陣治はこんなに汚いのか?ブルーカラーとか関係なく身だしなみは綺麗に出来るでしょ。と思う人もいると思うんですが、人ってたぶん誰かの罪を背負うと汚れてしまうんだと思います。

 '穢される'のではなく物理的に'汚れる'んです。例えばあまり家庭環境が良くなかったり、両親が解消できていない問題が持ち込まれた家に生まれて、お風呂に入れなかったり生活が安定していないと子供だって汚れますよね?

 家の中でワンオペで子育てするお母さんや病気でお風呂にも入れない、手術後でお風呂禁止シャワー禁止の患者。汚れますよ。だって、自分のことをできる時間や体力がないんだから。

 陣治の汚さはそのことを表しているんだと思うんですよ。働いて、スーパーに寄って、家に帰ってご飯の用意して、十和子のマッサージして、寝て、起きて、働いて・・・とてもじゃないけど自分の世話をする時間がないんです。

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  じゃあ陣治はなんでこんなクソみたいな女に惚れてるの?ていうかこれって執着じゃん?愛じゃなくない?奴隷じゃんって思う人もいると思うんですが、たぶん愛ってそういうものなんじゃないのかな、っていうのが私の見解です。

 支え合うのが愛とか、見守るのが愛とか、世話するのが愛とか、愛の意味って人の数だけあると思うんですが、あきらめとかじゃなく愛って人生における最大の暇つぶしだと思ったりしたんですよ、この映画を見て。

 

 人になんて言われようが、それが間違っていようが陣治にとって十和子っていう女性を守ること、もはやそれが愛だろうがわがままだろうが執着だろうが、とにかく十和子を守ることが彼の人生だった。で、人それぞれ自分の人生とはコレ。と誇れるようなものが欲しかったりするじゃないですか?俺は仕事に生きた、とか、子育てをやりきった、とか、研究とかとにかく人は人生を楽しむために人それぞれ生きがいを見つける。その生きがいの一つが「愛」なんだと思ったりするのです。

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  でも世の中にはその「生きがい」が見つけられなくて、十和子みたいに都合のよい人間扱いされてしまう人がいる。十和子の存在によって生きがいを見つけた陣治は、十和子に生きがいをあげたかったんじゃないかな、と思うのです。だから十和子を本当に愛してくれるホワイトカラーがいたなら、きっと嫌がらせせずに送りだしていたと思う。でも結局、同じ過ちが繰り返されてしまったから、自分が十和子と一緒にいても十和子に生きがいをあげることができないことを悟り、自分自身を「生きがい」として彼女に捧げた・・・というのが私の考察です。

 

 この映画ですごく伝わってくるのが

人って自分のためには強くなれないけど、誰かの為なら強くなれる、ってところです。

  愛をものすごく神聖なものだったり、ものすごく綺麗で暖かい最高級の毛布みたいなものだと思っていると愛に対して「これは愛じゃない!」みたいに裁いてしまうんだけど、なんでもない当たり前のもんさ、と思えばあれも愛、これも愛、ってたくさん受け入れることができるし許すことができて、その方が幸せなんだと思うようになりました。