深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】万引き家族~なぜ悪いことには終わりが来るのか~

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≪内容≫

是枝裕和監督、犯罪でしか繋がれなかった家族を描いた感動作。今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹・亜紀の4人が暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主・初枝の年金で、足りない生活費は万引きで稼いでいたが…。

 

 血のつながらない人間たちが集まって"家族"になる。このテーマはこちらの映画でも描かれています。

at Home

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この映画の感想記事を読む。

 

  大人の強さは現状維持子どもの強さは現状打破

 

家族という血の神話

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  この家族、誰ひとり血が繋がっていない。だいーーーぶ薄いけど、松岡茉優演じる亜紀樹木希林演じる初枝は一応遠縁になる。子供たち二人はそれぞれ本当の家族に虐待されたり放置されたりしているのを連れてきてしまい居ついたのだった。

 

 映画の内容欄だけみると、お婆ちゃんの年金と万引きで生活している家族と想像するかもしれませんが、実際はリリー・フランキー演じるは日雇いで工事現場に行っているし、安藤サクラ演じる信代はクリーニング店で働いています。

 

 引きこもりでもなく、かといって外の世界に馴染めるかというとそうでもない人たちが集合して生まれた家族はお互いに同じ傷を持っていました。

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私もねえ
自分殴ったことありますよ
痛いねえこれ
痛い痛い
痛いよね

 

  血の系譜を"家族"と呼ぶとして、DNAや血なんて普段は見えやしない。だから、家族の証明は戸籍だったり、客観的に見て当事者に家族に該当するような目に見える信頼関係だ。

 

 だけど、世の中には血こそ別であれ同じ痛みによって刻まれた傷痕を持っている人間がいるのだ。それは理解できない人間からすれば"スティグマ"という烙印になるが、理解できる人間の前では聖痕になる。

 人は一番最初の繋がりに"血"を求める。それはルーツの問題で変えられないものなのかもしれない。しかし大多数の人に無条件に降り注ぐ血の恩恵が与えられなかった人間だっているのだ。その人たちがそれでも生き抜いていって自分の足で歩いて見つけた同じ傷を持つ人間と触れ合うことを、ただやすやすと与えられたものを咀嚼して生きてきただけの人間が理解しようともせずにぶった切るなんて、これほど理不尽なことがあるかいな、と思ってしまいます。

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捨てたんじゃないです
拾ったんです

 

誰かが捨てたのを拾ったんです

 

捨てた人っていうのは他にいるんじゃないですか?

 

  お婆ちゃんが亡くなった後、葬儀の費用や自分たちのことも考えて自分たちで埋葬したのだが、それは死体遺棄である。それだけでなく子供たちを誘拐したのだと取調べで言われるのだが、信代は捨てたのでもなく誘拐でもなく「拾った」のだと言う。そして拾うことができたのは、捨てた人間がいるからで、その捨てた側の人間は罪に問われないのか?ということなのだと思います。

 

 始めたのは大人ですが、幕引きはお兄ちゃんがしました。

 これができたのはね、この寄せ集めの人たちの中で「家族」という概念を自分の中に住み着かせられたからだと思うのです。

 たぶん、子供がどれだけ素直でも大人から冷遇され続ければ信じることはできなくなります。だから、駄菓子屋のお爺ちゃんの万引き忠告も大人を信じることができなかったら効かなかったと思うのですよ。

 

 お兄ちゃんの行いによって家族は離散します。だけど、それはお兄ちゃんが一緒にいる大人たちを責めたり、間違っていると否定し他の大人を信じ始めたからでなく、他の大人を信じられるくらいの愛情を夫婦とお婆ちゃんから与えられ、最後に入ってきた妹の存在によって愛を与える側に動こうとしたからなのです。

 

 全部愛がないとできないことですよね?だって、愛されてるって思えなきゃ壊すことは非常に難しい。大人は子供を愛して、子供は大人を愛したから、お別れのときが来たんですね。

 愛によって繋がって愛によって離れた。始まりも終わりも愛だから、例え第三者にとっては愛のない行為だとしても彼らの内には愛が生まれ息づいている。誰を傷付けてもいいとか、犯罪を許すとかそういうのではないが、愛というのはある種の差別であるし、差別できなきゃ特別な人なんて作れない。差別するから自分と他人に境界線を引けるしそれぞれが自立できるのだと思うと、やはり一番最初の差別は家族とそうでない人たち、なのだと思う。それが出来たあと社会への入口に愛を見つけられるか。それがこれから先のこの家族の物語なのだと思う。