≪内容≫
19世紀初頭、ナポレオンのロシア侵入という歴史的大事件に際して発揮されたロシア人の民族性を、貴族社会と民衆のありさまを余すところなく描きつくすことを通して謳いあげた一大叙事詩。1805年アウステルリッツの会戦でフランス軍に打ち破られ、もどってきた平和な暮しのなかにも、きたるべき危機の予感がただようロシア社交界の雰囲気を描きだすところから物語の幕があがる。
名作を読む。
この「戦争と平和」を読んで私が得たもの。
それは自信です!!
私が・・・この私が・・・この長編小説を読み切っただと・・・?そして、ほんの少しでも面白さを感じられただと・・・?
そして、「あれ?もうこんな時間?」というようないわゆる"時が経つのも忘れて"という秘かに憧れていた神秘体験をしていただと・・・?
とはいえ、長いです。
一巻を読み始めたときは、1/3くらい読んで「戦争と平和 長い」でググりました。
先人よ!助けて!!挫けそう!!!
と藁にもすがる思いで検索したら一巻を過ぎれば大分楽になるという言葉がたくさんあったので、それを信じて読み進めました。
世の書評ブログ、ブックレビューほんとうに大好きです。ほんとうに助かってます。心の支えです。
読むっていう行為は一人なんですけど、一人じゃ読み切れなかっただろうな、と思うときがたくさんあります。
私のこのブログもそういう存在になれたらいいな、と思い日々書き連ねています。
アンドレイ、ニコライ、ピエールの生き方
本書の登場人物は559人らしいです。おそろしあ。
主要人物はもちろん10人ほどだと思いますが、中でもナターシャ・アンドレイ・ピエールが主軸の模様。
でも、この三人以外の登場人物も素敵で、アンドレイの妹マリヤやロストフ家(ナターシャの家)なんかほとんど皆いいキャラしてます。
特に、ロストフ家の居候のソーニャとナターシャは二歳しか離れていなくて、まだ十代なんですが女性としての生き方が全く違う。女性陣はソーニャ・ナターシャ・マリヤ、男性陣はアンドレイ・ピエール・ニコライ(ロストフ家の長男)が個人的に魅力的かつ惹きつけられる人たちでした。
本書を読む前は題名からして、「戦争は良くない、平和を願おう」みたいな内容かなーと思ってたので、「五分後の世界」みたいな世界観だと思っていたんです。
ですが、どちらかというと恋愛がメインかな、と思います。戦争の描写も出てきますが、戦争の勝ち負けや社会的な話ではなくて、日常生活の延長に戦争があるといったような感じでした。
前に読んだ「卑怯者の島」の中で、戦争に行くと決まった子供をバンザイで見送るシーンがあるんですが、そのときにすごく嬉しそうに見送るオヤジがいるんです。そのオヤジが見送ってるのは自分の息子なんです。厄介者がいなくなって嬉しいっていう感じで、他の大人たちは涙を我慢してのバンザイなのに、そのオヤジだけイエーイって感じですっごくゾっとしたんです。
だけど戦争に参加した人が皆「お国のために」「仕方ないんだ」というような感情だったわけではないんですよね。
このオヤジみたいに喜ぶ人もいたでしょう。
本書の中でも生きる意味を見つける為、現在の生活からの逃避先として戦地に向かう人がいます。
ロシア民族の代表者には、的が撃滅され、ロシアが解放されて、最高の栄誉に立たされたあとは、ロシア人として、もうすることが何もなかった。国民戦争の代表者には、死ぬこと以外に、何ものこされていなかったのである。そして彼は死んだ。
日常の生活に満足できず、戦地でこそ自分が満たされるような感覚を持つ者。だけど、それでも弾丸に身体を撃ち抜かれ、瀕死の状態に陥ったときに思うのは、「あの生活に戻りたい・・・!今なら分かる、あの生活の尊さが・・・!」ということだったりするんです。もちろん、そんなことを思う時間もなく即死してしまう人物もいるのですが。
日常が戦争になってしまうと戦争が終わったとき、どこに帰るのだろう?
私の見解ですが、アンドレイは日常の生活こそ空虚でまみれていました。だからこそ戦地に自分の居場所を探した。つまり日常を戦争に置きたくて、置くことが出来た。
だからこそ、彼は遅かれ早かれ亡くなってしまったんじゃないかと思う。
彼の対極にいるのがニコライです。ロストフ家の長男。ロストフ家は親父がちょっと優しすぎるというか、将来より目先のことを見てしまう人故に何度も家計が傾くんです。その度に母がニコライに頼る。しかも妹のナターシャも大胆なことをして病気になったり、世話の焼ける家族がいっぱい。なので、ニコライは戦地にいても家に呼び戻されたり、戦いたくても家族を優先したりするんです。
そしてナポレオン撃退後はすっかり落ち着いて、財政困難に陥ったロストフ家を回復させます。
そしてピエール。彼はどこにも居場所がない人でした。人の意見に流され流され、時代に流され、翻弄される人生です。長い間答えを保留にし続けて彷徨い続けるんですね。これって誰にでもできる事じゃありません。誰でもすぐに答えを見つけたがるし、自分の道を決めたがる、というか決めなきゃいけないと思って決めちゃう。ピエールは迷う故に色んな人に出会い、色んな意見を聞いて生きていきます。これもなかなかできる事じゃありません。ピエールは本作の主人公です。
私がピエールのシーンで一番見どころだと思うのは、捕虜生活の場面。
自分と同じ捕虜のカラターエフという男に対してピエールは特別な感情を持っているのですが、彼に死の匂いを感じだしたとたん、ピエールは彼を避けるんです。
そこではじめてピエールは、大きな生命力と、注意を転換するという救う力が、人間にそなわっていることを理解した。
カラターエフはもちろん、自分も足の傷のせいで歩くのは困難なのですが、歩けなければ殺されます。カラターエフがその内体力の限界によって殺されてしまうだろうと、ピエールは気付いていました。だけど、その現実を考えてしまえば自分も立ち止まってしまう気がしたのではないかと思います。
ショックなことが記憶喪失を引き起こすように、注意を転換するというのは、救う力なんだということ、カラターエフが死んだというのに悲しまないなんて非情だ!と思うのなら、それは事実を事実として受け止められる場所や立場にいるからなのでしょう。
いつでも現実を直視して生きるというのは、ある意味で自殺行為なのではないだろうか、と思ったシーンです。
アンドレイ公爵が見つけたもの
私、アンドレイが好きです。
アンドレイはリーザという女性と結婚していて、マリヤという妹がいます。
一巻でアンドレイはリーザとの結婚生活に嫌気が差していて、ピエールに自分の結婚の失敗について語ります。
何の役にもたたぬ、老人になってから、結婚することだ・・・さもないと、きみの中にある良い、貴いものが、すべて滅び去ってしまう。すべてがつまらんことに消耗されてしまう。
リーザとの結婚生活は傍目には何の支障もなかった。
だからリーザもアンドレイの戦地行きが理解出来ない。社交界で華々しく生きていきたいのに、アンドレイが戦地に行くことでリーザはアンドレイの父と妹が暮らす田舎に引っ込まなければならないのです。
しかもリーザは妊娠中であった。身体的な不安に加えて、友達のいない田舎への転身と夫が戦地で死ぬかもしれないという精神的不安も重なった。
ああ、こうやってお互い悪くないのに生き方の違いによってすれ違うのだな・・・と思ってしまう夫婦であった。
アンドレイは戦死することなく帰ってきた。丁度リーザの出産のときにタイミングよく帰ってきたのだが、リーザは子供を産んで死んでしまった。アンドレイはリーザに同情するのだけれど、あっさりしたものでした。
しかしアンドレイは恋をします。
年の離れたナターシャに強烈な恋心を抱き、婚約まで取りつけるのですが、自分の親父が結婚を許さない。せめて一年待て、と。アンドレイはナターシャを説得し、一年待つことを取り付けますが、その間婚約破棄しても構わないとナターシャに言うんです。一年間君を縛るつもりはない、もし他に好きな人が出来たなら破棄しても構わない、という感じで。
ナターシャは最初こそアンドレイを待ち続けるのですが、まだ恋に恋しているような状態で、しかもアンドレイとは遠距離恋愛のような状況。手持ち無沙汰で、恋への情熱を持て余しているようなじれったい苦痛を感じながら過ごします。そんな中とある男にアプローチされてコロっといっちゃうんですね。ナターシャは婚約破棄の手紙をアンドレイに送ります。
アンドレイは他の男のお手付きなんか!と、ナターシャに対して憎しみを抱きます。ある意味でアンドレイというのはすごく純粋なんですね。たぶん。愛しあっているなら距離も時間も我慢できないはずがない、という感情なのでしょう。ナターシャが相手の男にたぶらかされて病に伏せっていると聞いても冷笑をこぼすだけ。
そんな男が・・・
人間の愛で愛していれば、愛から憎悪に移ることがある。だが、神の愛が変わることはありえない。何ものも、死も、ぜったいにそれを破ることはできぬ。これは魂の本質なのだ。 だが、おれはこれまでの生涯にどれほど多くの人々を憎んできたことか。しかしおれがだれよりも強く愛し、だれよりも強く憎んだのは、彼女だった
戦地で重傷を負ったアンドレイは愛の境地に達します。
ナターシャをたぶらかした男アナトーリと戦地で出会うのです。しかもアナトーリは負傷して泣きわめいている。
あんなに憎かった男の哀れな姿を見てアンドレイは自分も重症でありながら憐みの気持ちを持ちます。そして、臥せっている間ナターシャのことを思います。
アンドレイは日常の生活では許せないことがたくさんあったのだと思います。平和な生活の中では何かが違うことは分かっても、それが何か見つけることが出来なかった。
戦地という生きるか死ぬかの場所において、そして自分が傷を負い生きるか死ぬかの状況に置かれたとき、アンドレイは何が大切なのかに気付いたり自分を省みることができたように感じました。
アンドレイって自分がすっごく強いんです。迷わない。
だからピエールの妻が浮気をしたことに対してピエールが悩んでいるときに、「過ちをおかした女を許してやるべき」だと助言しておきながら、ピエールがナターシャの過ちについて触れるとこんなことを言う。
過ちをおかした女を許してやるべきだとぼくは言った、しかしぼくが許すことができるとは、言わなかった。ぼくはできない
いや・・・まあ、そう・・・ですよね・・・。という感じ。
ピエールはこういうところにアンドレイの強さを見ていたんですが、こういう強さは瞬発力は抜群ですが、耐久力が弱かったりする。
戦争と平和は長いですし、その分一人一人のドラマが濃厚なんですが、私はこの「人間の愛で愛していれば、愛から憎悪に移ることがある。だが、神の愛が変わることはありえない。」のシーンが一番じわーっときました。
このシーンに辿り着くためだけに読んだとしてもおかしくないといえるくらい、ガツンときたところでした。
生きていると憎みたくなくてもいらっとしちゃうこともあるし、嫌いになりたくないのに嫌なところばかり目についてしまうときがある。
そういうとき、私は「ああ、なんでそんな風に思っちゃうんだ、そんな風に思ったところで自分もイライラするし、同時に相手も悪い奴にしてしまう、でもどうしても相手を好きになれない・・・なぜ・・・もういやだーーーーー!!!!」と負のループに陥ってしまいます。なので、人を好きでいるために人と距離を置く、という生活をしています。
だけど、そうか人間だもんね。人間の愛で愛するならやっぱり万能じゃないんだよな・・・と思えたシーンでした。
私の好きなアニメ「ノラガミ」でも、毘沙門(神様)が「お前は間違ってもいい、人間だろう」と言うシーンがあります。
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私たちは神じゃなくて人間だから、やっぱり不完全で不器用な生き物だと思う。
愛したいのに憎んだり、嫌いになりたいのに大好きだったりして、いつでも矛盾した相反する感情を持って生きている。
アンドレイは兵士として、ピエールは捕虜として戦争に参加しています。その戦争の中でお互いが平和について幸福について、生きることについて、愛について、そういうことを感じたり気付いたりしながら物語はすすんでいきます。
変りたいと思う気持ち、何かを変えたいと思う気持ち、自分の感じた違和感から目を反らさずに生きること。それが人生を変えるってことだと思う。
長かったけど読んで良かった。読みたい本が落ち着いたらもう一回読みたい。