≪内容≫
ここに収められた「イワンのばかとそのふたりの兄弟」はじめ9篇の民話には、愛すべきロシアの大地のにおいがする。そして民話の素朴な美しさの中に厳しい試練に耐えぬいたトルストイ(1828‐1910)の思想の深みがのぞいている。ロマン・ロランが「芸術以上の芸術」「永遠なるもの」と絶讃し、作者自身全著作中もっとも重きをおいた作品。
村上春樹作品によく出てくるトルストイ。
恥ずかしながら全然知らなかったんです、戦争と平和とか。
洗礼(なづけ)の子
どうしたらこの世から悪をとりのけるのだろう?
というお話。
主人公である洗礼の子は、世の中の悪をとりのくための旅に出ます。
その途中、人を殺すことを商売にしている追剝に出会います。
洗礼の子は悔い改めるように諭すが、追剝は神さまなんか怖くないからお前の言うことはきかない。と聞く耳を持たない。そして次に会った時は殺すとまで言われてしまう。
洗礼の子は追剝に殺されたら罪をつぐなうことが出来ないと思い、追剝に脅えてしまう。
追剝のように自分の言葉が届かない人間に出会ったとき、そしてその人間が悪いことをしているとき、どうすれば自分の言葉に耳を傾けてもらうことができるだろうか?
そういうお話です。
主題である「イワンのばか」も、もちろんステキなお話でしたが、本作と後に紹介する二つの物語が私の中に強く残りました。
作男エメリヤンとから太鼓
ひとが、父よりも母よりもよく言うことをきくものを見つけたら、それがおまえのさがしているものなのだ。
百姓である心優しきエメリヤンに突然嫁にしてほしいという女が現れる。
女はたいそうな美人であったため、王様に見初められるが、女はエメリヤンから離れようとしない。
どうしても女がほしい王様はエメリヤンを忙しさでいびり殺そうと企むのですが、女の助言によってエメリヤンはどんな仕事もこなしてしまう。
そこで王様はエメリヤンにこう命令した。
「どこともわからないところへ行って、なんともわからないものを持ってこい。もし持ってこなかったら、おまえの首をはねるからそう思え」
これには今まで助言してきた女も慌てます。
そして自分の母の元へいくようエメリヤンに伝えるのです。
エメリヤンは女の母の元へいく途中兵隊にあったので、どこともわからないところへ行くにはどっちへ行けばいいのか、なんともわからないものを持ってくるにはどうしたらいいかひとつ聞いてみる事にしました。
「じつはおれたちも」と彼らは言った。
「兵隊になったはじめから、どこともわからないところへ行こうとしてるのだが、どうしてもそこへ行き着けないし、なんともわからぬものをさがしているのだが、それを見つけることもできないのだ。だから、おまえさんに教えてあげることもできないよ」
エメリヤンはその後、女の母に会い助言をもらいました。
そしてあるものを持って王さまのところへ戻ります。
予想通り王さまは、行って来た場所も、持ってきたものも違うと言う。
エメリヤンが持ってきたものは果たしてなんだったのか。
それが持つ力とは何だったのか。
童話のようなお話ですが、それでいて強烈に胸に残る。
三人の息子
ある人々は、人生とは満足のたえざる連鎖であるように考えて、生を喜び、生を楽しんでいるけれども、ひとたび死の時に見舞われると、その幸福が、死の苦痛によって終わるこの生命が、なんのために彼らに与えられたのか、たちまちその意味を失ってしまうのである。
あるとき、三人の父親が長男に「わしが暮らしてきたようにくらすがいい、そしたらおまえも幸福になれよう」と言った。
長男はその言葉通り、父親のように暮したが無一文になってしまい幸福にはなれなかった。
次に次男もその言葉を受けた。
次男は長男の姿を見ていたので、長男とは違った解釈の幸福を考えた。
しかし彼は自殺してしまった。
そして三番目の息子も同じ言葉を受けた。
三番目の息子は、二人の兄の姿を見ていたので何が幸福なのかもっとじっくりと考えることにした。
そして答えを見つけたとき、彼の元にもう一つの言葉が降りた。
「わしが暮らしてきたようにくらすがいい、そしたらおまえも幸福になれよう」と言われたとき、三人の目には三様の父の姿がありました。
どれもきっと本人にとっては偽りない父の姿なのです。
しかし、父の言葉の本質を理解したのは三男だけでした。
とても読みやすく、一話が短いのもあり、すぐに読み終わってしまいました。
悪でもって悪をとりのぞくことはできない。
ではどう考えて生きていけばいいのか。
そういった答えのない問題を考えるヒントになるような本でした。
9作品すべて読みやすく、とても分かりやすかった。 私はばかでいいやと思った。