深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

悲しみよ こんにちは/サガン〜あの人は、わたしが自分自身を愛せないようにしてしまう〜

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《内容》

セシルはもうすぐ18歳。プレイボーイ肌の父レイモン、その恋人エルザと、南仏の海辺の別荘でヴァカンスを過ごすことになる。そこで大学生のシリルとの恋も芽生えるが、父のもうひとりのガールフレンドであるアンヌが合流。父が彼女との再婚に走りはじめたことを察知したセシルは、葛藤の末にある計画を思い立つ…。20世紀仏文学界が生んだ少女小説の聖典、半世紀を経て新訳成る。

 

 

 当時、サガンと言えば、「おんなこども」の読む作家の代表格だと思われているふしがあった。

(中略)

 全国を学園紛争の嵐が吹き荒れていた時代だった。革命を掲げ、論じ、デモの隊列の中から火炎瓶を投げては、機動隊にジュラルミンの楯で押しつぶされそうになっていた学生も、うすぐらいジャズ喫茶で煙草の紫煙に包まれながら、深夜まで、どこかで聞きかじったような言葉を連ね、仲間と議論し続けていた、無精髭とぼさぼさの長髪をトレードマークにした男たちも、私の知る限り、皆、こっそり陰でサガンを読んでいた。

(あとがきより「サガンの洗練、サガンの虚無」/小池真理子)

 

 そうなんだ!!

 私は本屋で偶然手に取り、開いた1ページ目の言葉に強烈に惹きつけられて買ったのですが、当時もすごい人気だったんですね。(人気だから今なお新装版で書店に出るのか)

 

 内容は父一人子一人で自由気ままに生きていた18歳の少女セシルが父の再婚相手に憧れと憎しみを抱きとある計画を立てる・・・という珍しくもなんともない話。今のまま自由に生きていたい・・・でも再婚相手のアンヌに従った方が”いい人間”になれる気がする・・・そんな揺れ動くセシルが魅力的ですっかりサガンにハマってしまいました。

 

私はそれを受け入れる。悲しみよ こんにちは

 

ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。その感情はあまりに完全、あまりにエゴイスティックで、恥じたくなるほどだが、悲しみというのは、わたしには敬うべきものに思われるからだ。悲しみーそれを、わたしは身にしみて感じたことがなかった。ものうさ、後悔、ごくたまに良心の呵責。感じていたのはそんなものだけ。でも今は、なにかが絹のようになめらかに、まとわりつくように、わたしを覆う。そうしてわたしを、人々から引き離す。

 

 18歳のセシルが「悲しみ」と出会うまでの物語が「悲しみよ こんにちは」です。セシルの視点で語られるので感情も発展途上で分かりやすく堅苦しいところもない。だけど、それでいて表現が美しく絶品。

 

 セシルは勉強が嫌いで楽しいことが大好き。父親のだらしなさに嫌悪感を抱くこともなく父の愛情を一身にうけ、父親を愛していた。

 

 ある夏、父と愛人のエルザとセシルはバカンスに来ていた。そこで父は新しくアンヌという女性を呼んだと言う。

 

 アンヌは亡くなった母の旧友でセシルの憧れの人だった。センスが良くて賢いアンヌに強烈に憧れながらもアンヌの洗練されたクールな気質自分と父の楽観的で騒々しい生活に馴染むわけがないとセシルは不安になるが、やってきたアンヌは明らかに父に恋していたのだった。

 

 彼女は父を欲し、手に入れ、わたしたちを少しずつ、アンヌ・ラルセンの夫と娘に仕立てあげようとしている。つまり教養があって育ちがよく、幸福な人間に。というのも、彼女はわたしたちを幸せにするだろうから。わたしにはよくわかる。どんなに簡単にわたしたちが、不安定なわたしたちが、そうした枠組みや責任のなさの魅力に、負けてしまうか。あの人は、あまりにやり手なのだ。

 

 セシルはこのバカンスで出会ったシリルという青年と恋に落ちる。海辺に出てはシリルと会って話したりキスしたり・・・した。

 

 ドキドキしてシリルに会いたくてたまらないのに、アンヌは二人を見やるとセシルに勉強をするよう命令し部屋に閉じ込めてしまう。教養があって育ちがよく、幸福な人間にするために。

 

 あの人は、わたしが自分自身を愛せないようにしてしまう。幸福や、愛想のよさや、のんきさに、わたしは生まれつきこんなにも向いているのに、彼女がいると、避難や良心の呵責のなかに落ち込んで、心のうちでしっかり考えることもできなくなり、自分を見失ってしまう。

 

 セシルはアンヌと話していると自分をばかみたいに思う。アンヌが自分をばかにしているのも分かっている。不安定より安定した方がいいことも。アンヌが安定しているからこそ正しくて憧れるのに、その安定に自分が嵌ることは耐えられない。そのジレンマはとても懐かしい。思春期よ、久しぶりって感じです。

 

「こっちへいらっしゃい」アンヌが言った。

険悪な声ではなかったので、わたしは近づいた。すると彼女は手をのばしてわたしの頬に触れ、おだやかにゆっくり話しだした。わたしが少しばかででもあるみたいに。

 

 父に突然切り捨てられたエルザをけしかけ、自分の恋するシリルを利用し、なんとかアンヌを自分たちから引き離そうとするセシル。

 

 だが、冷酷になりきれない未熟なセシルは自分の作戦がうまくいっても悲しんで、うまくいかなくても満たされない。

見たいのに今見れないだと!?↓

 父とセシルがアンヌに手紙を書くシーンなど、もう二人が情けなさすぎるというか、父と娘なのにまるで小さな兄妹が学校の先生に謝罪の手紙を書いているようで、それもこの物語の悲しみに一役買ってる。