《内容》
エストニアの新鋭、イルマル・ラーグ監督が母親の実話を元に描く感動作。憧れのパリにやって来た家政婦と、裕福だが孤独な老婦人という境遇の異なるふたりが、反発しながらも固い絆で結ばれていく。
今回も女同士の話なんですが、こういうのってなぜか続く。一時期ずっと主人公が孤児の小説だったときもあるし、なぜか食指が偏るときが。
もう一人の私
人生の中で、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
もし生まれ変わったら、今の自分とは全く違う自分になりたい、と。
私は、生まれ変わったら蛯ちゃんとか女子アナみたいな王道コンサバファッションが似合って、自分もそういう女性らしい系統を好むような女性らしい女になりたい、と結構本気で思ってます。
でも、それを言うと「いや今からやればいいじゃんw」って言われるんですが、違うんですよ。今の私はそういうファッションに身を包んだ女性に憧れを抱きながらも自分自身はジーパンにスニーカー的なファストファッションを選びたい人生なんです。
男性は分かりませんが、女性にはこういう憧れの女性像っていうのが誰にでも多かれ少なかれあると思うのです。勝手な憧れ。それは女性だけでなく土地やブランド品、コスメ、男・・・etcetc。そして、数多くの女性の中から憧れの対象の女性、自分とは合いそうもない女性、自分の昔にそっくりな女性を嗅覚で感じ取る。
理屈ではない、その人の仕草や話し方、間の取り方、ちょっとした視線の動き・・・そういった説明できない感覚的なものが、全く違う土地で年代も違う女同士を結び付ける。
母親の介護を終えたアンヌの元に、パリで暮らす老夫人の面倒を見てくれないかと依頼がくる。その老夫人はアンヌと同じエストニア人で、フランス語を勉強していたアンヌに話がきたのだ。
老夫人はアンヌに冷たく当たる。夫を亡くし、年下の恋人ステファンとだけ関係を持つフリーダ。ステファンはフリーダと若い時に恋愛関係はあったが、現在は自分の人生を生きようとしていてフリーダとかかりっきりではいられない。
フリーダの冷たい言葉はかつて自分が誰かから言われた言葉のようである。
故郷であるエストニアの思い出を大事にとっておきながら、彼女は頑なにエストニア人を拒む。彼女はもう帰れないのだ。それほどまでに歳月が経ってしまった。
だけど、帰れないと感じるということは帰りたいという気持ちが裏側に潜んでいる。その帰り道を照らすのがアンヌなのである。
かつて自分が言われてきたであろう言葉をアンヌに投げかけることで、過去の自分をもう一度振り返っているのだろう。
アンヌがパリに憧れを抱く姿に過去の自分を重ねながら、一方で固く閉じてしまった自分とは反対に若く率直な心に「こうなれるかもしれない自分」を見たのである。
この映画すっごいいいと思うんですが、熱烈にすすめたい映画ではない。なぜかというと、自分でも何がいいと言えないから。哀しみとか切なさとか、そういう言葉に出来ない感情がじんわりと胸に滲む映画。
特にめっちゃ好きなのが、最終的にステファンがいらなくなるところ。