《内容》
日本人初のノーベル文学賞に輝いた川端康成の作品には、日本的な美とともにエロスが限りなく漂っています。『伊豆の踊子』の薫を見つめるまなざしにも、『雪国』の駒子を覚えている島村の指にも。それは端整な文章が誘う甘美な「魔界」。さあ、川端ワールドをたっぷり召し上がれ。わかりやすい評伝・名作の要約・音読したい名場面・人気作家のエッセイなど、文豪の新しい魅力が発見できる画期的なシリーズ。
川端康成を読みたいと思うのだけど、とりあえず有名どころの「伊豆の踊り子」と「雪国」は読んだし、「古都」も読んでみたけど、次は一体何を選べばいいのだろう?と思ったのでナビを買ってみました。
色っぽい川端文学
川端は、女性の唇を表現するのに蛭のようだと書く。唇が蛭だといわれればとても気持ちが悪くてイメージするのも嫌になりそうだが、言われてみると血を吸った蛭のぬらりとふくらんだ艶やかさが、いかにも官能的な女性の唇の表現としてぴったりしているようにも思えてくる。一度これを読んでしまうと、蛭のような濡れた怪しい輝きを放つ唇を探すようになってしまう。たった一文で、悪の呪いをかけられたようなものだ。下品になる寸前のところで止める「寸止め」の技術が見事だ。
はいッ私もその呪いにかけられました〜!!
前読んだ時はおどろおどろしさの方が気になっちゃってそんなにエロティックとは思わなかったんですが、本書を読むと「エロいわぁ」と思います。(単純)
エロいとは別に心理描写や背景描写に関して美しいと思う部分はたくさんあり、その点は勉強して自分の中に積極的に取り入れていきたい。なんとなくエロさ(性癖)に関しては感銘を受けても自分に取り込むことはできない気がする。
駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。
(「雪国」)
「美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさ」という表現が美しくて・・・!こういった表現力は身につけたいなぁと思いながら読んでいました。
とりあえず本書で紹介されていた
息子の嫁に恋する老人の話・・・「山の音」、眠った若い女と添い寝する老人の話・・・「眠れる美女」を読みたいと思います!
ところで川端と同じ時代に、同じように美しい日本の女性を追い求めた作家がいる。谷崎潤一郎である。二人はライバルだったが、「女性観」は微妙に違っていた。谷崎には強い「母恋い」の渇きがあったが、川端はそれほどではない。川端が執着したのは「少女」であって、「母」ではなかった。
いや、谷崎さんの気持ち悪さパないわァ〜と思ってたらライバル川端康成だったんかい!!
美しい日本女性に私もなりたい。