《内容》
1939年の華やかなニューヨーク。作家を志す20歳のサリンジャーは編集者バーネットと出会い短編を書き始め、その一方で劇作家ユージン・オニールの娘ウーナと恋に落ちる。だが太平洋戦争が勃発し、サリンジャーは戦争の最前線での地獄を経験することになる。数年後、苦しみながら完成させた初長編小説「ライ麦畑でつかまえて」は発売と同時にベストセラーとなり、サリンジャーは天才作家としてスターダムに押し上げられた。だが、彼は次第に世間の狂騒に背を向けるようになる…。
サリンジャーと言ったらこの作品。
「ライ麦畑でつかまえて/サリンジャー」の記事を読む。
この映画の中でもライ麦の主人公・ホールデンは自分だ!だからサリンジャーには俺の気持ちが分かるはず!っていう読者がサリンジャーに話しかけるんだけど、サリンジャーは避ける。
サリンジャーはホールデンの創造主ではあるけど、決して自分が”ライ麦畑の捕まえ屋”になろうとは思っていないから。
そこのところはサリンジャーの娘さんの本に書いてあります。
そうやって作者がどこまでも孤独で居たからこそ生まれたホールデンなりグラース家の人々に読者は惹きつけられる。
本作は人々を魅了しながらも自身は孤独であり続けたサリンジャーの半生の物語である。
戦争が彼にもたらしたモノ
ものにならずに申し訳ない
でも もう語ることがないんだ
ホールデンのことも
どんなこともね
サリンジャーは実業家の父を持ち裕福な生活を送っていた。しかし大学は何度も中退になり続かない。将来どうするか、と考えたときサリンジャーは作家になるため創作講座に通い始める。
少しずつ作品が掲載され始めた矢先、太平洋戦争が勃発。サリンジャーは志願し戦地に向かうが、厳しい寒さとさっきまで話していた仲間が次々と死んでいく光景に心を壊してしまう。
戦争中ずっとサリンジャーを励ましていたのは創作であり、ホールデンの物語を書き続けることであったが、戦地から帰ってきたサリンジャーを待っていたのは戦地での悪夢だった。
絶え間ない暴力の記憶が悪夢となりサリンジャーを蝕んだ。サリンジャーは救済を瞑想に見出し、瞑想とともに再びペンを取るようになる。
だがしかし、一度得た強烈な記憶は消すことなどできない。
サリンジャーの作品には、戦争の記憶がこれから先どこまでも付きまとった。それはグラース家の長男・シーモア(バナナフィッシュにうってつけの日)へと継承される。
書くことは僕の祈りになった
出版は瞑想の妨げになり瞑想を汚す
夫や父親や友になるすべを僕は知らない
なれるのは"作家"だけ
ただ書くことに身を捧げ
見返りを求めなければ
幸せになれる気がする
一躍人気者となったサリンジャーとその作品たち。もちろん映画化や次の作品を待つ期待の声も大きくなった。
しかし、職業としての作家ではなくサリンジャーの祈りの方法が、世間の作家業となったことで、サリンジャーは世間との壁を感じる。
そして自らが幸せになるために、その後は祈りのためだけに作品を書き続けたのだ。
「ああいう大きくてたくましい若者たちが」
ーそこで父は頭を振ったー
「決まって前線に配置されて、きまって真っ先に殺された、つぎからつぎへとまるで波みたいに前線に押し出されて」。
そういって父は片手を広げて手のひらを外に向け、寄せる並みのように前に押し出した。
(我が父サリンジャー/マーガレット・A・サリンジャー より)
有名すぎるライ麦だけど、個人的にはサリンジャーの戦争の話の方がすごく記憶に残っている。もし戦地に行っていなかったらサリンジャーは夫や父親や友になるすべをどこかで手に入れてもっとたくさんの作品を出版し、我々もそれを目にすることができたかもしれない。
だけど、私が一番好きなのは、戦争で傷を負って自殺したバナナフィッシュのシーモア・グラースと、戦争によって亡くなったウォルト・グラースの元恋人が語る「コネティカットのひょこひょこおじさん」なのだ。
もっとたくさんサリンジャーの作品があったなら、それはすごく読みたいけれど、もう何度もこの2作品を読み返してる。