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書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】硫黄島からの手紙~なぜたくさんの人間が自分たちと同じ人間を殺せたのか~

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≪内容≫

2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか--。

 

 こちらも監督は日本人じゃないですが「プライベート・ライアン」と比べると、全然違う。

プライベート・ライアン (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

あちらはアクションの中に兵士が描かれてましたが、こちらは兵士の中にアクションがたまーーーーに入ってるくらい。

 

 ほんとうに総員玉砕せよ!/水木しげるを読んで思ったんですけど、ほんとうにほんっとーに日本の特攻と玉砕には?しかない。木を見て森を見ずとはこういうことでは?と思う。

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 

 日本の戦争映画ってアクションより心情メインな気がするのですが、他の国だってビンタ的なものはあると思うのですが、なぜ日本はビンタ系メインで海外はアクションメインなんだろうか・・・?

 

 見たものをそのまま見ると、日本=四面楚歌、海外=割と自由、って感じに思う。プライベート・ライアンは冒頭で「出ろ!」「出たら撃たれます!!!」とか普通に言い返してて、その答えも「ここはどこも射程区域だ!」とかいう言葉で暴力じゃない。日本なら「非国民がぁっ!殴」のイメージ。

 

 どこまで本当でどこから印象操作なのか分からん・・・。考えすぎ?

 

戦争は人でなく時代

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しょっぱなから体罰シーンであった。鬱

 水木先生が語るビンタ教育しかり、体罰で統一していくのって何になるんだろうと思う。これなんかモノで打ちつけてるし。

 確かに「こんな島アメ公にくれてやりゃあいんだよ」とは言ってたけどさぁ・・・。この時代の常識を現代の価値観で見てはいけないんだけどさぁ・・・・どうしても嫌になる。

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 主人公・パン屋の主人(二宮和也)は戦地で訓練してます。的から大きく外れてまたもや怒られる。二宮くんが若くて(当時22歳らしい)銃を持つ指も華奢だし、どーしても軍人って感じがないんですが、実際の兵士も若かっただろうし身長や雰囲気含めてこんな感じだったのかな・・・と思いながら見てました。

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 さてさて、硫黄島に到着したのは世界の渡辺謙!!・・・じゃなくて、日本陸軍の栗林忠道中将です。

  

 この栗林中将は敵国であるアメリカに駐在していたという経歴の持ち主。

 wikiを見てると涙がじわり・・・。硫黄島の戦いは戦争末期に行われた・・・つまりもうほとんど勝ち目のない戦いです・・・というかこの場所での戦いの意味が「本土決戦までの時間稼ぎ」なわけですから、はなっから死が見えてるわけです。

 

花子

俺たちは掘っている

一日中ひたすら掘り続ける

そこで戦いそこで死ぬ穴

 

花子

俺 墓穴掘ってんのかな

 

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 もう一人の主軸は憲兵隊をクビになって派遣されてきた兵士。

 

 パン屋の主人は何もかも"お国のため"と言われ、憲兵隊にパンから砂糖から機械まで持っていかれてしまった経緯を持っていた。そのため、後からやってきた元憲兵に対していい印象は持っていない。

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 ていうかこのパン屋にやってきたおばちゃん猛烈に怖いんですが・・・「愛國婦人」という襷をかけています。「我々も戦地に夫も息子も送ってるんだからゴダゴダ言うな!」と花子に言います。言いますっていうか、何が怖いってこの距離で使う音量じゃないだろっていう声の大きさ。(変な人だなって思う違和感の正体は大体距離感と思う。)

 

 このおかしさって「我々も戦地に夫も息子も送ってるんだからゴダゴダ言うな!」が正しく聞こえるんですよね。皆がやってるんだから私もやらなきゃ。行くのが当たり前。しかも「ありがとうございます」が当たり前。ここで旦那まで奪われたくないという花子が悪になっている。

 

 ここで「戦争だからしょうがないよね・・・」と思う・・・・ことはできないっ!!!ので、「愛國婦人」でググってみました。気になる方がぜひググってみてください。

 後は、この漫画をおすすめします。

卑怯者の島/小林よしのりから引用文をここに載せておきます。

 

「御国のためとか言いながら、男があんな姿で帰ってきたら差別する!それが女の本性じゃないかっ!女は本来的に子を産み、育てる存在なんだから、本能が保守的に出来ている。恋人や夫や息子が戦場で死ぬことを、女が万歳三唱で喜ぶなんてあり得ないことだ!嬉しそうにバンザイ、バンザイ叫んでる国防婦人会なんて嘘っぱちな連中なんだよ!手足をなくした帰ってきた傷痍軍人には、建前で軍神さまと拝みながら、裏では使い物にならない肉の塊と嘲笑ってるんだよ!君も同種の卑怯な女の仲間だ!」

 

 戦争が人を狂わすのか、人が狂って戦争になるのか、とりあえず狂ってる。

 

 しかもこのおばさん、花子の膨らんだお腹を見て「もう後継ぎもいらっしゃるし・・・」って言いだすんですけど、後継ぎがいたら主人は死んでいいのかい。後継ぎがいないなら精子が必要だから生かすの?そんなの本当に家畜じゃないか・・・。

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 「硫黄島からの手紙」が何を描いているかと言うと、米軍が一日で終わると思っていた戦闘を37日間続けたという部分ではなくて、栗林忠道中将の玉砕の風習をやめさせようとするも聞かないリーダー格と、生きたいと思っている兵士だと思います。

 

 ていうか、リーダー格が中将の「玉砕せず合流せよ!」という命令を無視するんですよね。自分たちは兵士が逆らったら体罰くれるのに、逆らいまくり。中将と兵士の間にいるリーダーが責任感の強さというのか、現場の上司より本国での掟に従ってしまうので、中将の命令無視に気付いたパン屋の主人は混乱してしまう。

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逃げれば仲間に銃を向けられ・・・合流したらそこのリーダーに剣をつきつけられ・・・

監督の技術なのか、俳優の力なのか、パン屋の主人のこのぎょろってした目・・・。

敵国には攻撃をもちろんする。しかし相手からの攻撃で死ぬのは許さず、自分たちで死ぬ。ほとんど米軍が入り込まない地下要塞の中で日本軍は死んでいく・・・。

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 栗林中将と同じくアメリカを知っている人間がいた。それがこの中佐である。そもそも戦争がなぜ起きた・・・というか、なぜたくさんの人間が自分たちと同じ人間を殺せたのか、という点を考えると、この中佐が言う

 

若造、お前はアメリカ人に会ったことがあるのか?

 

という言葉に込められてると思うのです。

 

 相手の国は野蛮人だ!未開人だ!原始人だ!だから我々が統治しなければならない、彼らのためにも。とか、我々が魔の手から救わなければならない!とか。

 

 でも、実は相手の国の兵士たちは自分たちと何も変わらない。家族がいて、愛する人がいて、帰りたいと思ってる。米兵が持っていた手紙は彼の母からの手紙で、我々の日常と変わらない穏やかなひと時が描かれていた・・・。

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 知ってる人間より知らない人間が多ければ、知らない人間の言葉の方が力を持ってしまうこともある。

 

 知る、ってことは傷つくことでもあるし、苦しいことでもある。特にこの時代に敵国を知るというのはとてもじゃないけど難しすぎてどうにもできなかった気がする。

 

 今を生きる多くの人はインターネットやSNSで色んな国の文化や芸術に触れることができて、憎むより愛することの方が簡単なんじゃないでしょうか。

 だけど、それって別に戦争時代に生まれた人たちだってインターネットやSNSがあって簡単に知ることさえできていれば同じだと思うのです。

硫黄島からの手紙

硫黄島からの手紙

 

  あの時代は狂ってたとか、あの時代の人達は理解できないとか、そうじゃないんじゃないかと私は思う。

 

 人じゃなくて、時代。

 永遠の中の一瞬にそういう時代があったということ。

 そしてその一瞬の先に今の我々の時代があるということ。

 

 そういうことを、考えていました。