≪内容≫
第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし負傷兵だらけで食料も困窮している最中、少ない食料しか持ち合わせていない田村は追い出され、ふたたび戻った部隊からも入隊を拒否される。そして原野を彷徨うことになる。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら、田村が見たものとは・・・
日本の戦争映画って敵軍とどう戦うかとかどう戦ったかっていうのより、自軍の中のことを描いてるのが多い気がする。私がそういうのを選んでるだけなのかなぁ。
どうしてこの時代に生まれたってだけで、こんな思いをしなきゃならなかったんだろう?って戦争の作品に触れたときいつも思う。
影だけが彷徨う島
何をもってリアルって言葉を使えるのか分からないけど、この歯がボロボロなところとか、最初に比べるとだんだんガリガリになっていくところとか、肌も真っ黒に変わっていくところとか、私が想像する戦争はこういう姿だからリアルに感じるのかもしれない。
戦争と聞くと、戦闘で死ぬものだと考えてしまう。でも実際は餓死だったり病死だったり、普通に生きている我々の身近にある虫歯とか水虫とかそういうものが蔓延して死のきっかけになったりしていたこともあるようです。
戦争が100%戦闘で死ぬもしくは相手を殺して帰還し、国を守ることだとするならまだ納得いくかもしれない。というか、当時の人たちはそう思っていた部分もあると思う。
こんな風に食糧の取り合いで同じ日本人同士が殺し合いをするなんて、思っていなかったんじゃないのかな。
本作は、敗戦の色が濃くなったフィリピン・レイテ島に滞在していた兵士の物語。主人公は結核を患い野戦病棟に行くが、食料も手当てをするための薬も底を尽きている状態の中では、病人はただの厄介者であった。
兵士たちは生き残るために他人から奪ったり、嘘をついて騙したりする。蹴落として少しでも食い扶持を減らす。更には仲間まで食べる。肉だけじゃない。道端の花が脳味噌に見えるほど、彼らはソレを見たのだ。
真っ黒になって島を彷徨う兵士はまるで影のようだ。本体を失くした影。タイトルの「野火」は、若草のために焼かれる枯草のことを指し、これからの世代と戦争の役回りを担った世代とみているのだろうか。
戦争を知らない人たちが増えて、戦争経験者は口を閉じたまま亡くなっていく。戦争を知らない人からしたらその経験は貴重であり、語られるべき重要な出来事だと思う。
だけど、サリンジャーが口を閉じたように、水木しげるが怒りしか湧かなかったように、本当の経験者からすれば語れるようなことなどないという気持ちなのかもしれない。
戦争を知らない人間だけになったらまた繰り返すだろうか?その役回りとして焼かれて消えた我々と同じ人々の上で呼吸しているというのに。