≪内容≫
朝鮮半島を南北に隔てる板門店/共同警備区域=JSAの北朝鮮側歩哨(ほしょう)所内で、韓国側による殺人事件が発生し、韓国人の父をもつスイス軍女性将校ソフィアが捜査のため同地を訪れた。北と南、双方の意見の食い違いに彼女は大いに戸惑うが、やがて悲しくもむごい真実が画面で明らかにされていく…。
韓国映画見てて思うんだけど、男の人が泣くのが多い気がする。というか、映画の内容は暴力的なんだけど、人に対して依存しちゃう部分があるというか、結構簡単に自分を明け渡してしまう感じ。だから、ストーリーとしてはかなり分かりやすくなっていると思う。
正論は時に人を殺す悪に転じる
この映画の見方は色々あるだろうなぁ、と思います。
北朝鮮側と韓国側の兵士たちの心情に寄り添うのも良いし、一つの国、つまり言葉が通じる相手と戦わなければいけない状況を自分の国に置き換えて考えるのもいいし、どれだけ仲良しでも敵国の兵士とは相容れないのだとクールに割り切るも良し。
私はこの映画で一番要らなかったのは真実の解明だったと思う。
真実を明らかにすることが、一番最悪の状況を生み出していく・・・この映画の道筋はこれです。
物語の主役はこの四人。
韓国の兵士が二人と北朝鮮の兵士が二人。北朝鮮側の所内で発砲事件が起こり、北朝鮮側の兵士が二人死亡する。もちろん当時現場にいたのはこの四人で、存命なのは北朝鮮の兵士一人を除く三人だった。
韓国の兵士は北朝鮮側が自分たちの方に来ることを望み、
北側は韓国の兵士を自分側に持ってきたい。
どちらも国は捨てたくないが、敵国にできた仲間と殺し合いをしたくないのであった。
四人は交流を深めてしまう。誕生日を祝ったり、「兄貴」「同志」と呼び合ったりし自分たちで自分たちを追いこんでしまうのだった。
しかし、当然のように終わりはくる。
いつものように四人で北朝鮮側でだんらんしていたところに見回りがやってきてしまう。早く帰れば良かったのに、回数を重ねるごとに安心してしまい長居した韓国側は窮地に置かれる。
上官に責められる北朝鮮側は韓国の兵士たちを逃がすことも出来ない。結局は守ることも、守られることも出来ないのが彼らの関係なのだった。
夜毎語り合った関係も他者の乱入で崩れてしまうくらい脆いものだった。
チェーホフの銃の言葉を借りるなら
そして彼女も引き金を引くのだ。
「なぜ引き金を引いたの?」、と。
その答えを探すのが彼女の仕事なのだけど、彼女の非人道的な進め方により現場にいた韓国の兵士が一人自殺を図りビルから投身。
そしてもう一人も・・・。
人類学者でもある将軍は、滞在期間が長いこともあり韓国と北朝鮮のやり方を知っていた。全てを明らかにすることではなく曖昧にすることで平和が保たれるのだと。
だからこそ中立=無関心である中立国に監査の依頼が来たのだ。
それなのに彼女は全く無関心ではない。なぜなら彼女の父親は北朝鮮将校であり、彼女はその娘だったから。
彼女は意図せず韓国の兵士を二人自殺に追い込み殺したのである。
結局捜査の動機である「この事件が戦争に発展しないため」というのもただのお飾りでしかなかったわけです。何も手を打たなかったらそれもそれでおかしいから、とりあえず手を打つ。真実なんていらなかった。
中立国の人道主義とはなんでしょうね?目をつぶること。見なかったことにすることでしょうか。それは確かに戦争の終結にはつながらないけれど、少なくとも目の前の人間を追いつめることにはならない。
正解はないし、もし正解が生まれたらそこには新たな誤りも生まれる。