《内容》
1999年、春。旧友たちとのピクニックに場違いな恰好で現れたキム・ヨンホ。そこは、20年前に初恋の人スニムと訪れた場所だった。仕事も家族もすべてを失い、絶望の淵に立たされたヨンホは、線路の上で向かってくる列車に向かって「帰りたい!」と叫ぶ。すると、彼の人生が巻き戻されていく。自ら崩壊させてしまった妻ホンジャとの生活、互いに惹かれ合いながらも結ばれなかったスニムへの愛、兵士として遭遇した「光州事件」…。そして、記憶の旅は人生のもっとも美しく純粋だった20年前にたどり着く…。
私の大好きな桜庭和樹さんがこの映画についてお話していて、それでずーーーっと見たかったのだけど、ほとんどなくって困ってたら、ついにprimeに登場した・・・!
この映画を見ると「私の男」の「花と古いカメラ」の意味とかが分かってすごく・・・エモかった・・・
さらに、この映画の監督は「バーニング」の監督。
この監督に限らないんだけど、韓国映画って基本むきだしで傷ついていくスタイルなのでものすっごい痛いし苦しい。でもそこが好き・・・。
転がり続ける人生の果てには何が見える?
主人公・キム・ヨンホの自殺から始まるこの物語。
「帰りたい・・・」と泣きながら線路の上で電車に轢かれることを選んだヨンホの走馬灯といっても間違いではないと思うこの作品は、ヨンホの現状からどんどん過去にさかのぼり、彼が帰りたい時代にたどり着いたとき、彼はきっと命尽きたのだと思う。
現状からみるヨンホは共同経営していた人物に裏切られ、職を失い家族からも拒絶されホームレスとなっていた。そこで、彼は拳銃を裏取引で手に入れ自分をここまで貶めた人物を道連れにしてやると意気込む。しかし、その数があまりに多すぎて結局迷うのだった。
そんなあるとき、ビニールハウスに彼女の元恋人の旦那が現れ、彼女に会ってほしいと言われる。元恋人のスニムは危篤状態で話すこともできず、病院のベッドに伏していた。その姿にヨンホは涙を流しながら思い出のペパーミントキャンディーを渡す。そして帰り際、スニムの夫から「君のものだとスニムが言っていた」と言ってカメラを渡されるのだった。
しかしヨンホはそのカメラを売ってしまう。ヨンホは永遠にさまようことを余儀なくされたカインのように誰からも愛されず誰も愛さず、ただ放浪する人生を歩んでいた。
その宿命の終わりは彼が死ぬことでしか訪れなかったとでもいうように。
さて、このヨンホがなぜ放浪の人生に舵を切らねばならなかったというと、これはもう時代のせいであった。
韓国は今でも徴兵制が続いているが、ヨンホのときは光州事件の真っただ中であった。
スニムが送ってくれたペパーミントキャンディーを大事にし、日々を過ごしていたヨンホ。優しいヨンホは軍隊の中ではみそっかすのようで、先輩に蹴られたり、散らばったペパーミントキャンディーを踏みつぶされたりしていたが、軍隊がヨンホを変えたのではなく、ヨンホを変えたのはヨンホ自身だったのだ。
だがもし時代が違えば、ヨンホは元の世界に戻れたのかもしれない。それが、この物語のやるせなくて切ないところだと思います。
尾崎豊も死んでしまったけど、ヨンホの心とシェリーの歌詞は私の中で非常にリンクします。
シェリー 俺は転がり続けて こんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも
捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮しさ
転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる
ヨンホの何もかもを受け入れたかったスニムと、たぶん自分で自分が一番許せなかったヨンホの切ない物語。
生まれた時代ってものすごい人生を左右しますよね。きっと生まれる時代が違えば天才にもなりえたしバカにもなりえた。人殺しを余儀なくされる時代も、従順な羊でいることを求められる時代もあって、時代という誰にもどうにもできないものへの畏怖みたいなものをすごく感じました。