深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

【映画】メアリーの総て~「われ思う、ゆえにわれあり」は、ほとんどの女に絶対わからないに違いない~

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《内容》

19世紀イギリス。小説家を夢見るメアリーは“異端の天才”と噂される、妻子ある詩人パーシー・シェリーと出会う。互いの才能に強く惹かれあった二人は、情熱に身を任せ、駆け落ちする。愛と放蕩の日々は束の間、メアリーに襲い掛かる数々の悲劇。失意のメアリーはある日、パーシーと共に滞在していた、悪名高い詩人・バイロン卿の別荘で「皆で一つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられる。深い哀しみと喪失に打ちひしがれる彼女の中で、何かが生まれようとしていた──。

 

ずっと映画見てるのですが、なかなかブログを書く時間がない中でこの映画はひっさびさに書きたいわ~と思ったので書きました。

 

 

もうじき
焼け付くような惨めさも消え果る
おれは葬送の薪の上で
業火に焼かれ
歓喜の声を上げるだろう

 

 これ原作読んでないのに、なぜか顔のイメージや哀しき怪物だという情報は知ってたんですよね、、こういうコスプレグッズで知ったのかな?

 この映画は、フランケンシュタインの作者メアリー・シェリーが弱冠18歳にしてこのグロテスクで悲しい物語を生み出した人生を描いています。

 フランケンシュタインがなぜ名作なのか。なぜ、同じような経験していながらメアリーはたどり着き、恋人のパーシーはたどり着けなかったのか。

 現実はいつだってうまくいかないことばかり。その悲しみを天使に置き換えるか怪物に置き換えるか。

 そうとも、人間は美しいものを愛する。美しい人に憧れ美しさを手に入れようとする。だけど美に共感はない。なぜなら人間は穢いから。この事実を証明したのがフランケンシュタインなのだ。

 

現実から目を背けるべからず

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 詩人パーシーは妻子持ちだが自由愛主義を掲げ、メアリーに近づきます。そしてメアリーも彼の才能と、自分の可能性にかけて家族の反対を押し切り彼と駆け落ちします。

 そして長女・クララが生まれますが病死

 悲しみに打ちひしがれながらも必死に現実を生きるメアリー。

 そんな中、親友のクレア恋仲であるバイロン卿の別荘に招待される。貧困に苦しんでいたパーシーとメアリーとクレアはバイロン卿の別荘でしばし暮らし始めるが、そこでメアリーはまたもや裏切りを経験するのだった。

 

 悲しみや悔しさが怒りとなり、怒りがメアリーを突き動かし「フランケンシュタイン」は生まれた。メアリーはパーシーに原作を書き綴ったノートを叩きつけ布団に伏せる。

 パーシーは作品の出来に感動するのだが、こんなことを言うのだ。

 

博士は死体をつなぎ合わせ
理想の人間を創ろうとした
だが出来上がったのは怪物

 

あまりに希望がないよ
彼が創り出したのが天使だったら?

 

そうすれば人類の可能性を示せる
美しいものだけを集めた存在
それこそ人類へのメッセージだ

 

これを聞いたメアリー。

「現実を見て。この惨めな現実を。私を見てよ」

 

 パーシーに出会い、父からの愛を永遠に亡くし、自らの子供も永遠に亡くし、パーシーの親の金を食いつぶし、自分たちの収入はゼロ。バイロン卿に世話になり、クレアがバイロン卿にコケにされても殴ることさえできない。

 かけおちしたときの可能性に溢れていた未来とは全く真逆の未来。すべて失い転げ落ちていく中でまだパーシーは希望とか理想とか天使だとか言っている。

 

 コントなのか?と思うくらいのブーメランをくらったパーシーは黙って部屋を去るのだが、観てる側としては「メアリー優しいな」と思いました。

 私だったら

「何言ってんだおめえ?あまりに希望がない世界から理想とか希望なんて生まれねンだよ!!現実みろやクソガキ!大体死体つなぎ合わせて天使が生まれたらやべえだろうが!」

 ばりに現実的な返ししてますね。きっと。

 

 さらにクレアをコケにしたバイロン卿。

 

愛はなかった
(中略)
だが 私も男だ
年上の男が若い娘に付きまとわれたら
起こり得ることは一つ

(その後メアリーの片目を覆い)

広い視野を持て

 

広い視野持ってたら起こり得ることは一つじゃねえだろ。

お前にだけは言われたくないわ。

 

なんか途中から一周廻ってコメディなんかな、って思うくらいツッコミ所あって。しかもこの頭がお花畑のパーシー&バイロン卿に冷静に切り返すメアリーがまたシュールでちょっと面白かったですね。ほんと。

 この時代はまだ女性の社会進出は乏しく、どれだけパーシーにいら立っても、メアリーの作品を出すためにはパーシーの力が必要だった。それは女性には理性がないと言われていた時代が背景にあるからだと思うのだけど…

 

デカルトの有名な絶対的に確実な第一原理「われ思う、ゆえにわれあり」は、ほとんどの女に絶対わからないに違いない。思考することによって、はじめて私が存在するなどというネゴトに付き合っている暇はない。

私は存在するに決まっているのだ。

(純粋異性批判 女は理性を有するのか?/中島義道 より) 

 

純粋異性批判 女は理性を有するのか?/中島義道~自分の主観的好みと客観的美って切り離せる?~ - 深夜図書

 

 リアリストなだけで理性はちゃんとありますよ。

 

そんなこんなで意外と面白かったこの映画。

副産物としてめちゃめちゃ原作読みたくなりました。

洋書ってどっちの訳の方が分かりやすいのか不安になるんですよね。。

メアリーの総て(字幕版)

メアリーの総て(字幕版)

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 何が悲しいってこの物語で誰が幸せになった?ってところですね。メアリーは作品を世に出せた。だけどそれで悲しみがなくなるわけじゃない。パーシーが捨てた妻は川に身を投げて自殺した。パーシーも事故で死ぬ。メアリーとパーシーが結婚したのは、愛なのかも知れないが、おそらく世間的に名のあるパーシーの名前がなければメアリーの名前で出版できなかったためではないか、と思っている。

 昔の作品で今も残り続けているもので明るい話ってあまりないですよね。苦悩の中で生まれた作品がずっと残る。それだけ負のエネルギーは強い輝きを持ってる。そんなことを感じた作品でした。