深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

第三の嘘/アゴタ・クリストフ~読書は何かを得る、というより何を持っていないのかということを突きつけてくる。~

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≪内容≫

 ベルリンの壁の崩壊後、双子の一人が何十年ぶりかに、子どもの頃の思い出の小さな町に戻ってきた。彼は少年時代を思い返しながら、町をさまよい、ずっと以前に別れたままの兄弟をさがし求める。双子の兄弟がついに再会を果たしたとき、明かされる真実と嘘とは? 『悪童日記』にはじまる奇跡の三部作の完結篇。

 

 これは一生手放したくない三部作だな、と思いました。話しがずれますが、本を読み始めたときは200Pほどの一冊完結の本が好きで連作シリーズを好きになれなかったのですが、三年くらいたった今は俄然長編の方が好きになってしまいました。基礎体力がついてきたのかな?

 

嘘の効能

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真実を知るということは、自分自身を、あるいは他人を切り刻むがゆえに、つねに血にまみれたショウがつきまとうものだ。

(スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬より引用。)

 

 「スタンド・バイ・ミー」の記事を読む。

タイトル「第三の嘘」に提示されているとおり、真実と嘘とが入り混じっているのがこの三部作なのでした。第一の嘘「悪童日記」第二の嘘「ふたりの証拠」ときて今回が第三の嘘で終結なのである。

 

私は彼女に、自分が書こうとしているのはほんとうにあった話だ、しかしそんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう、そこで自分は話に変更を加えざるを得ないのだ、と答える。私は彼女に、自分の身の上話を書こうとしているのだが、私にはそれができない、それをするだけの気丈さがない、その話はあまりにも深く私を傷つけるのだ、と言う。そんなわけで、私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあってほしかったという自分の思いにしたがって描くのだ、云々。

 

  これは冒頭14Pに書かれている主人公・私の語るところで、すでにこの時点で真実を描くには残酷すぎるから美化してますよ、と言われているのである。

 しかし、美化しているといわれてもそこまで綺麗な話でないだけにリアル感が漂うのがこの作品の独特な色気というか魅力であり、悲しみであると私は思う。

 

 この三部作を「ミステリー」や「サスペンス」にカテゴライズして、結局のところ、もしくはとどのつまりに辿りつこうとする楽しみを奪う権利は誰にもない。読書の楽しみ方は人それぞれで、それが自由であるからこそ読書という一つの生活スタイルは延々と続いていると思うので。

 

 しかし私の場合、謎解きしたいと思う気持ちが2割くらいで残りの8割はもうそれが真実だろうが嘘だろうがどうでもいい、描かれていない部分にこそ語ることのできない苦しみが隠されているのだろう・・・という想像の世界に旅立ってしまった。

 

 われわれが新聞に印刷しているものは、現実とまったく矛盾している。「われわれは自由である」という文を毎回百回は印刷する。しかし、町へ出れば、いたるところで外国軍の兵士たちを見かけるし、この国の監獄に多数の政治犯が拘束されていることを知らない者はいない。

(中略)

「われわれの暮らしは豊かで幸福だ」という文を毎日百回は印刷する。初めのうち私は、母と私以外の人々の場合にはそれが事実で、私たち二人は「あのこと」のせいで貧しく、不幸なのだと思っていた。しかし、ガスパールによれば、私たちはけっして例外ではないそうで、彼自身、妻と三人の子供をかかえて、かつて経験したことがないほど貧しい暮らしをしているそうだ。

 

  この物語の本当の意味を知るには、私はあまりに持ち過ぎているな、と思う。平和な国の平和な時代に平凡な家庭に生まれ、凄惨ないじめや事件に遭遇したこともなく、自分の落ち度以外で他人や社会から尻拭いを押し付けられたこともない人間には、ただ生きているだけでは到底身につかず、かつ想像するための何かさえ身近にないのだということが、読書をしているとよく分かる。

 読書をして何かを得る、というより何を持っていないのかということを突きつけられる。

 それは当たり前だけれど気持ち良いものではない。だけれど、それを辞めてしまったら自分は人の気持ちの分からない愚鈍な人間になってしまうのではないかという恐怖心と、自分の知らない出来事や他人の気持ちに触れたいという人好き精神の矛先が読書になっているようだ・・・。

 

 なんだか、本の感想というより私の読書に対する思い、みたいなエントリーになってしまったので、最後になりますが本作「第三の嘘」について書きます。

 まず、双子は存在したのか、という点においては双子もしくは兄弟だったのだと思います。ただ、本当にあった出来事の部分は本作の内容だったと思います。もちろん二人いたけれど、二人の決別は父親を地雷の踏み台にして国境を越えたあの瞬間ではなかった。

 

 二人は物理的にもっと幼い頃に別れてしまいます。大人や社会の都合によって。だからこそ悪童日記双子は、「ひとつの夢にすぎない」のです。

 

「どうして、みんな眠っているの?なのにどうして、ぼくだけ起きているの?」 

 

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

第三の嘘 (ハヤカワepi文庫)

 

  この一人だけ起きている苦しみは、リュカの子供マティアスの悪夢に直結すると思います。たった一行の言葉の背景にはどれだけの地獄があったんだろう。これは、ちょっと毛色が違うけれど「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でいう影の部分、半身の物語だと思います。