≪内容≫
この世には不思議なことなど何もないのだよ―古本屋にして陰陽師が憑物を落とし事件を解きほぐす人気シリーズ第一弾。東京・雑司ケ谷の医院に奇怪な噂が流れる。娘は二十箇月も身籠ったままで、その夫は密室から失踪したという。文士・関口や探偵・榎木津らの推理を超え噂は意外な結末へ。
上司に薦められて読んでみたら・・・めっちゃ面白いじゃんかー!!!!!!
と興奮しました。
このシリーズを全部読むことに決めました。
面白い、めっちゃ面白い。
日常と非日常は連続している
私を含め、おそらく少なくない人数の人達が妖怪や幽霊の存在を非現実だと思っていると思うし、戦争やテロは非日常だと感じていると思います。
しかし、その一方で有名な恐山などの霊場やイタコという存在、陰陽師、霊媒師などの職業があることを認知していますし、雑誌ではよくパワースポットなる場所が紹介されていたりします。
じゃあ認知しているものと、非現実、非日常として処理しているものの違いはどこから生まれるのか?
「日常と非日常は連続している。確かに日常から非日常を覗くと恐ろしく思えるし、逆に非日常から日常を覗くと馬鹿馬鹿しく思えたりする。しかしそれは別のものではない。同じものなのだ。世界はいつも、何があろうと変わらず運行している。個人の脳が自分に都合よく日常だ、非日常だと線を引いているに過ぎないのだ。いつ何が起ころうと当たり前だし、何も起きなくても当たり前だ。なるようになっているだけだ。この世に不思議なことなど何もないのだ」
見えなくても在る。
在るけれど、見えない。
そういうことがあっても、不思議なことではない。
そのことがすとんと腑に落ちる、そういう読後感でした。
関口巽という男
このシリーズは古書店の主人かつ陰陽師である中禅寺秋彦が憑物を落としていく話らしく、そう考えると主人公は中禅寺秋彦なのかもしれないのですが、本作は関口巽という、中禅寺の旧友が主人公だと思われます。たぶん。
関口が中禅寺の妹から旦那が失踪し、二十箇月もの間子供を身籠っている女がいることを聞く。そして、そのことを記事にしようと中禅寺に問いかけることから物語が始まって行きます。
で、この関口なんですが、すっごいクセモノだと思うんですよ。
彼自身が自身の過去を捏造したりするという、なんともリアリティ溢れるキャラクターであるがために真実が分からなくなる。
小説なり他人の物語って自分にはどれが真実でどれが嘘かなんて分かりませんから、相手が真実なのだと言えばそれを信じますよね。
それを信じて読者や聞き手は自分なりに推測して物語に入っていくわけです。
しかし関口は霊媒体質なのか、「これは誰の夢なんだろう?」「これは誰の記憶なんだろう?」といったシーンがよく出てくるし、失踪した男の記憶などもさも自分の記憶のように語りだします。
私は、偶然に道を尋ねた相手の男が発した、ただ一言を封じ込めておくだけのためにーあのときの記憶の一切を闇の彼方に封印していたのだ。のみならず、ヤミ市への嫌悪などという無関係な理由を後から捏造して、この地に足を踏み入れることすらも避けていたのだ。私は鬱病の殻を破ったのではない。 鬱病の殻の上に正常という殻を無理やり被っていただけなのだ。
関口はボーっとしていて、誰かの語りによって覚醒することも多々あります。
関口にとってこの事件は自分が封印した闇との対峙なのだと思います。
ゆえに彼は見えないし、忘れている。
だから読者にも見えないし、分からない。
彼に見えないこと、彼が闇の彼方に封印したまま忘れ去ったものは、他の誰も語ることはできません。
なので、読者は真実を知ることは出来ません。
「(中略)我我は誰一人として真実の世界を見たり、聞いたりすることはできないんだ。脳の選んだ、いわば偏った僅かな情報のみを知覚しているだけなんだ」
私が思う関口と涼子の関係
ネタバレします。
で、関口は涼子のことをほんとうに犯したの?
というのが読者にとっては気になるところだと思います。
私はめっちゃ気になりました。
①そもそも失踪した男は関口の学生時代の先輩の藤野牧朗という男で、学生時代、藤野は妻である梗子に猛烈な恋心を抱くも恋文を渡せずにいた。
②友人に言っても笑われるだけなので、後輩であり誠実な関口に"くおんじきょうこ"という女性にこの恋文を渡してきてほしい、その後があれば、それからは男らしく出来るから!頼む!とお願いする。
③関口は顔も知らぬ"くおんじきょうこ"に手紙を渡しに行く。
目的の久遠寺病院に辿り着くと、一人の少女が現れ、その手紙をくれと言う。関口は「久遠寺京子」と書かれた宛名を見せて、この人本人に渡さなければならないと答える。
すると、その少女は「京子は私よ」と言う。
④京子はうふふと笑っており、「遊びましょう」と誘ってくる。しかしスカァトから見える白い肢からは赤い血が流れており、ちょっと様子がおかしい。
関口は白い肢を見てはいけない、と思うが目をつぶることが出来ない。
⑤だんだん記憶が戻ってきた現在の関口は「私は彼女を凌辱したのだ」と気付く。
というのが簡単なまとめなのですが、そもそもは藤野牧朗が自分で恋文を渡しに行かなかったこと、梗子という漢字を京子と書いたことが行き違いの原因になります。
久遠寺家には病弱な姉の涼子と活発な妹の梗子がおり、関口が恋文を渡しに行った日は、病弱な涼子を残し、家族は旅行に行っていたのです。
なので手紙を受け取ったのは涼子でした。
ではなぜ涼子は「京子は私よ」と言ったのか。
涼子は世話役である富田というロリコンにおもちゃにされていました。
久遠寺家の庭にはたくさんの薬草が生えており、その中に麻酔薬として使っていたダチュラという花がありました。
これはヨーロッパでは催淫剤として扱われていました。
富田はこれを涼子に使っていたのでした。
そして、関口が出会った涼子はダチュラによって朦朧としている状態だったと考えられます。彼女の意識はダチュラによって眠らされてはいても、心の奥底ではなにをされているのか知っていたようです。
そこに恋文を持って現れた関口は涼子の目に救世主に映ります。
京子は実際にいないし、字は涼子に似ています。この瞬間彼女の中でもう一つの人格である「京子」が生まれたのでした。
本書(文庫版)は7章あるですが、その3章の冒頭、関口が見ている夢は、このときの涼子との出来事なのではないかと私は思っています。
なので、まぁ抱きしめるくらいのことはしたかもしれませんが、最終的にはしていないんじゃないかなぁと思います。
というかすることが出来なかった→救うことができずに逃げた、というような気がします。
涼子は自分を見てよ!助けてよ!と訴えるも、関口はホルマリン漬けにされて並べられた小さな涼子の部屋の光景に目を奪われている。
そして黒衣の僧侶に目を奪われている。
黒衣の僧侶が意味するのが権力者であり、涼子から子供を奪い取った母と考えると、それに目を奪われている関口は折檻されても仕方無いと自分でも思っている。
なんかぐるぐる考えすぎてどっちでもいいわ!
そんなん大した問題じゃないわ!!と思えてきました。
関口は京子に手紙を渡し寮に戻ったあと、おかしくなってしまいます。
たぶん、最後に出てくるあの部屋を見たのだと思います。そして京子と涼子、二人に会ったのではないかと思いました。
あまりに非現実なものが現実の延長として入ってきたので、心を閉ざし闇の彼方に閉じ込めてしまったのだと思います。あの日、助けを求めてきたであろう涼子ごと。
途中まで読んでいたのですが、気になりすぎて寝る前に三時間くらいぶっ通しで読んだら、堕胎手術を受ける夢見ました。痛みはないけど意識がある中で手術が行われてて、先生の手が赤黒い塊がドロっと掴んで、銀のトレーにのせました。「ほら、これが赤ちゃんですよ」って。怖いより、なんか狂うって感じでした。狂うって感じなんです、自分の中で何かが生まれ宿っていたということも、それが得体のしれないただの赤い肉塊でしかないことも、それをきちんと人間という形に出来なかった自分も、何もかもが一気にわーって押し寄せてうわーーーーーーってなるところで起きました。
夢ってリアルだからほんと薬になりますね・・・。