≪内容≫
妻の小さな過去の秘密を執拗に問い質す夫と、夫の影の如き存在になってしまった自分を心許なく思う妻。結婚三年目の若い夫婦の心理の翳りを瑞々しく鮮烈に描いた「愛撫」。幼い子供達との牧歌的な生活のディテールを繊細な手付きで切り取りつつ、人生の光陰を一幅の絵に定着させた「静物」。実質的な文壇へのデビュー作「愛撫」から、出世作「静物」まで、庄野文学の静かなる成熟の道程を明かす秀作七篇。
「静物」が読みたかったんですが、「静物」が一番難しかった。
この案内で得たものは大きい。
秀作七編
- 愛撫
- 恋文
- 噴水
- 十月の葉
- 臙脂
- 机
- 静物
この七編です。
割と静物に至るまで分かりやすいんです。
特に「机」なんて、ああ今も昔も人って変らないのね、って思いましたよ。
仕事がある時よりも無い時の方が多い会社に働いている人間は、本能的に背中をまるめて坐るようになるのであった。
「机」というのが何ともいいですよね。
今なら「デスク」と言いますもんね、たぶん。
すごいな・・・と感動したのは「静物」ですが、好きなのは「愛撫」と「十月の葉」です。
「愛撫」は主人公の私とヴァイオリンの先生との間に流れる何とも言えない空気が見事に描かれている、といった感じでした。
庄野さんは女じゃないからこういう経験をしたことなんてないと思うのに、(もしかしたら男女逆パターンであったとか?体験談を聞いたとか?)どうしてこんなにあますことなく描けるんだろう?と思った。
「十月の葉」は切ない。戦地と故郷、一人身と所帯持ち。時代は流れ、立場は変わり、手紙は途絶える。
ほんと、昔も今も本質は変わらないんだよなあと思う。
時代が変わっても、便利さや科学が進歩しても、人の心の移ろいは変わらない。
今読んでも、何にも古くない話たちでした。
静物
解説より
「静物」の位置づけと意味の了解が、庄野潤三論のなかでもおそらく最もむずかしい問題といえそうで、傑作という評価については誰が見ても異論がないのに、世界の底のほうにそっと堪えられている不安に乗ったような感じの平和な親子五人の日常はどう理解、評価したらいいのか、むずかしい。
登場人物は、主人公の夫と妻、子供三人。
特に仲互いしているわけでもなく、夫と妻もどこにでもあるような夫婦の会話をしている。子供たちはすくすくと育っているようで、お父さんに釣り堀に連れていってとせがんだり、駄々をこねてお母さんに甘やかされていたり、どこにでもあるような家族の風景の連続が、この作品です。
しかし、時折どこにでもあるような家庭にはあるはずのない不安が描かれる。
あの日の朝、部屋の隅っこに縫いぐるみの仔犬と一緒にころがっていた。何が起こったかを知らないで、みなし子のようにころがっていた。
自分の生まれたばかりの長女を「ころがっていた」と表現する不気味さ。
この作品にはたくさんの生物が出てきます。
最初は釣り堀、そしてそこで釣った赤い金魚、子供が学校から持ってきたオケラ、お父さんが話すイノシシとアユの話、そして蓑虫。
で、私はこの金魚と蓑虫の描写がすごく気になりました。
金魚↓
金魚が入って来たのは、こういう部屋である。硝子の容れ物に水と一緒に入ってるものだ。それはいかにも危なっかしく見える。
いきなりボールか何かが飛んで来て、まともに命中するかも知れないし、誰かが押された表紙に当って倒すかも知れない。そういうことなら何時でも起りそうである。
ところが不思議にそうはならなかった。
子供が突然おとなしくなったわけでもないのに、金魚の泳いでいるまるい硝子の鉢は割れもせず、引っくり返りもしなかった。
そうして日が経つにつれて、以前からこの部屋にあった物と同じような具合に見えて来た。特別気にはならない存在となった。
もっとも、何時か誰かがやるかも知れないという不安は、決して父親の頭から無くなってしまいはしなかったが。
蓑虫↓
戸外で見ると珍しくも何ともないこの虫が、屋根も天井もある家の中に巣をこしらえてぶら下がっている姿は、不思議な気持のするものである。
私は金魚=妻で蓑虫=夫なんじゃないのかなーと思いました。
妻はおそらく自殺未遂しています。そういう直接的な表現はありませんがそうとれる描写があります。まだ一番上の女の子が生まれたばかりのときです。
金魚がやってきたのは、三人の子供たちが遊びまわっている部屋でした。つまり子供たちがぶつかったりする可能性があり、危ないんじゃないかと漠然と父親は思ったわけです。
しかし、父親の心配とは裏腹に金魚と子供たちは上手に同じ部屋で共存していきます。
そして夫である主人公。
彼は、妻と子供たちが上手に共存している家の中でおそらく孤立しています。
しかしそれは彼の問題です。
子供たちも妻も、子供という役割と妻という役割に何の違和感もなく過ごしています。ですが、彼だけはおそらく父親という役割に馴染めないのです。
故に妻を「この女」、長女を「女の子」長男を「男の子」次男を「小さい男の子」と呼ぶのです。
自分は家から出ればただの男であり今までと何も変わらないのに、家に帰ると違う何者かに変貌しなければならない。父親という役割をこなさなければならない。
外で生きている自分は自然なのに、家の中にいる自分は不自然である、ということを表しているのが蓑虫かなあ・・・と。
そもそも家族の平和な話なのに「静物」っていうタイトルはおかしさを超えて怖いです。
静物・・・静止したままで、活動しないもの。
平和な家庭ってどんなものをイメージしますか?
私はクレヨンしんちゃんとかサザエさんとか、ちびまる子ちゃんが思い浮かびます。
この三つの作品の一家って騒がしくないですか?
あるあるーっていう平凡な日常を描いていると思うので、多分家庭って騒がしいものなんですよ。玄関が開いたり閉ったり、家の中で眠ったり走ったり、笑ったり泣いたり。
だけどこの「静物」の平和な家庭は止まっているんですね。
本作は一人称なので、子供と妻たちのことはよく分かりません。
子供は明るく、妻も自殺を繰り返してはいないと思います。ですが、私の中では夫が止まれば家庭が止まるのだという風に感じました。
もしくは、妻が止まれば家庭も止まる。
夫と妻がどちらも機能していなければ止まってしまうもの。
それが家庭なのかな・・・と。
この作品はほんとうに自分の想像力が割と頼みの綱です。
文章の静かさが、誰にも分かってもらう必要はないと言ってるかのようにも思える。だからサラーっとちょっと謎もあるけど仲良くやってんジャン!みたいに流して読むこともできるっちゃできると思います。
だけど夫の一言や、話や、行動にどうしてもそこはかとない不気味さを感じる。
愛とはほど遠い何か。
もしかしたらそれは男であるときは持っていたのに、父親という役割を与えられた瞬間に消えてしまったのかもしれない。
とか、色々深読みしちゃえる作品は少ないと思うのでとても好きです。
こういう文章を書くのってすごい難しいと思うし、芸術だと思う。すごくかっこいい。