≪内容≫
不意に部屋に侵入してきたTVピープル。詩を読むようにひとりごとを言う若者。男にとても犯されやすいという特性をもつ美しい女性建築家。17日間一睡もできず、さらに目が冴えている女。―それぞれが謎をかけてくるような、怖くて、奇妙な世界をつくりだす。作家の新しい到達点を示す、魅惑にみちた六つの短篇。
暗いです。
いや、村上春樹の作品はだいたいにおいて暗いのですが、会話にユーモアがあったりおどけた要素があったりするのですが、本作はほとんどそういうものがなくて、ただただ暗い。
TVピープル
僕のところにある日TVピープルという、小さいとは違う人と縮度が違うといったような存在が現れ、TVを置いて帰って行った。
僕と妻が住む家にTVは置いていなかった。そしてそれは妻が出かけている間に行われたことだった。僕は妻が帰って来て怒ったり不思議がったりするだろうと予測したが、妻はTVについて何も言う事はなかった。
TVピープルがTVを置いていった数日後、もう妻はダメだから帰ってこないと言われる。ぼくは自分の言葉を失ってしまった。
・・・という話です。
TVピープルって、TVから出てきた物体?なので縮度がおかしいんです。そして僕以外の人間はTVピープルの存在を不思議には思っていない。
妻はTVが出現しても受け入れる、同僚はTVピープルについて聞かれても、会話することをしない。
僕は不思議に思いつつ、だんだんTVピープルが話すことに疑問を持たなくなってきた。TVピープルが飛行機といえば飛行機以外の何ものにも見えなくなってしまう。
TVピープルは大衆心理のメタファーでもあり、集団の強さ、思考を奪う存在だと私は思います。
TVって目的があって見るのはいいと思うんですが、無目的にチャンネルを回して何かをとりあえず見るっていうのは、選んでいるようで選ばされているに過ぎないと思っています。
実家に帰ると家人がTVを見ているので、ご飯のときとか見るのですが、そうすると見たいなんて露ほども思っていなかったのに、ついつい続きが気になって見続けちゃって、お風呂に入るのが遅くなったり、読書が終わらなかったりします。
それって意味もなくTVに時間を吸い込まれているような感じがしませんか?
時は金なり、というなら私たちは個人財産をTVにつぎ込んでいるとも思えます。せめて投資出来ているならいいけど、TVは時間を吸いとるだけで将来的なリターンはくれないと思う。
その時だけの感動と、興奮のみで自分の時間を明け渡すのはいかがなものか。
そして、その一瞬だけで世の中を知った気になるのもいかがなものか。
疑問を持たなくなったとき、人は言葉を失う。
加納クレタ
ねじまき鳥クロニクルで登場する加納クレタ。
彼女は問題を抱えていた。
その問題とは
男たちは私を見るとみんなきまって犯そうとするのだ。誰もかれもが私を見ると地面に押し倒して、ズボンのベルトを外すのだ。
ということだった。しかもむりやり暴力的に犯されるのだった。
姉の加納マルタは、男がクレタを襲うのはクレタのせいではなく、クレタの体の中の水のせいだという。
クレタの体に水が合っていないのだという。
だけど、クレタはマルタのように水の音を聞くことができない。
クレタは火力発電所の設計という才を持っていたため、たくさんの火力発電所のデザインをして、社会復帰をした。たくさんのお金をもうけたお金で男におそわれないように、屈強なガードマンとありとあらゆる警報装置をつけたビルの最上階に住んだ。
それでもクレタはおそわれるのだった。
その男に喉を切り裂かれたあと、クレタは自分の水の音を聴いた。
・・・というお話です。
クレタの本名は加納タキであるが、クレタを体を侵す水の音は「私は加納クレタ」だと言う。
加納クレタという名前はマルタの仕事を手伝うときの名前だった。
そして、おそらく襲われているときは「加納タキ」だったのだと思う。
自分の奥底の無意識と意識上の人物が違うのだ。
しかしそれのどちらが本物なのか、そもそも本物とは何を指すのか、どんな意味があるのか。
なぜ男はおそうのか?
おそうのは男だけなのか?
そこら辺は分かりませんが、ねじまき鳥の綿谷ノボルのように、他人の無意識を掘り起こそうという気持ちを働かせるのだろうと思う。
その原因がなんなのかは、いまいち分からない。
だって、自分の無意識と意識上の人物が違うとか、同一人物だとかって分かる人はいないんじゃないかと思うから。
クレタが火力発電所のデザインに長けていたというのは、火を大きくする力があるという意味なんじゃないかなぁ、と思っています。
眠り
眠れなくなって十七日目になる女性の話。
これは恐らく昏睡状態の中で走馬灯のようなものを見ている感じじゃないのかなぁ、と思う。最後の車が揺らされているのは、心電図がピーというところで、親族が揺さぶったりして目を覚まさせようとしているんじゃないかな・・・と思う。
本作は歯科医の夫と一人息子を持つ専業主婦の話です。
いつも同じ毎日を繰り返す彼女は眠れなくなり、ふとこんなことを思う。
じゃあ、私の人生というものはいったい何なのだ?私は傾向的に消費され、それを治癒するために眠る。私の人生はその繰り返しに過ぎないんじゃないか?どこにも行かないんじゃないか?
結婚する前は本が大好きで、本の虫だったのに、今では内容さえ思いだせない。チョコレートが大好きだったのに、歯に悪いということでいつからか食べなくなっていた。
夫に対しての不満、子供に対しての不安、そういったものが今更ながら押し寄せてきた。
いつからか私という個人の楽しさや充実感は、妻であり母という役割に消費されてしまった。
消費されつくして、彼女は昏睡状態に陥ったのではないか・・・と私は思う。
女性が子供を産んでママになるとOOちゃんママという名前でよばれるようになって、自分がなくなっちゃう感じがすると言ったような記事を見たことがあります。
何かを得るということは何かを失うことでもあるとは思うのですが、自分を失ってしまったら生きていくことは難しいと思います。
自分が好きなこと、いやなこと、不満や不安、そういったものは失ってはいけないものなのだろうなぁ、と思いました。
すべてが終ったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしました。
なんてことになるような愉快な話はどこにもない。