「謝ったら負け」と思っていませんか?自分を正当化する人々、自己主張ばかりの人たち…どんな相手でも、いかなる場面でもぜったい負けない心の作り方。
昔こういう本をよく読んでいたらしい。
復読してみたらこれはちょいちょい読んだ方がいいかもしれない・・・と思ったので書き起こしておきます。
白黒つかない部分を受け入れてこそ大人
だって、人間というのは時として善にもなれば悪にもなりうるわけだし、やむにやまれぬ行ないをしてしまうことだってあるわけでしょう。
(中略)
そのことが理解できない人、受け入れられない人は、もちろん文学もわからないだろうし、芸術もわからないでしょう。
モラルを踏みはずしてしまう「人間の業」のようなものこそ、文学や芸術の中心的なテーマだからです。
この"モラルを踏みはずしてしまう「人間の業」のようなもの"というのが何を指すのかにもよると思いますが、例えば介護に疲れて母を殺し自分も自殺をはかってしまうような事件がありましたが、このような事柄に関してはとても白黒つけられないと思います。
ただ、不倫とかって"やむにやまれぬ行為"かな?って思う。
もし私が結婚していて子どもがいる状態で、旦那さんが浮気したとしましょう。
旦那さんは浮気相手を愛しているけど子どもも愛している。別れたくないけど、浮気相手とも別れたくないという状態としましょう。
ここで白黒つけるとは、自分の意思がそれでも旦那と一緒にいたいのか、いたくないのかの白黒です。
旦那と一緒にいたいなら、浮気相手も受け入れるしかないと思っています。
だって人の気持ちには白黒つけられないから。
だけど自分が当事者なら自分の気持ちは明確に出来るはず。
まぁとりあえず第三者が白黒つけるよう促すのは意味がないということですね。
私にとっての幸せは自分の感情に白黒つけてすっきりさせてから始まるけど、グレーのまま気付かないフリを続けたい人もいるだろうし、人にとっての善悪も変わってきます。
だから自分の白黒つけたい精神を他人に押し付けないこと。
これが大事だと思います。
恋人だと・・・難しいんですけどね・・・。
やってしまったことよりも、謝り方で結果に圧倒的な差が出る
まさに川谷さんと飯田さんのことじゃないですか・・・!!
じつは、謝罪という観点から見ますと、自分の方が正しい、ですとか、自分の考えや意見のほうが筋が通っている、ということは、たいして重要ではないんです。
(中略)
悔しいけど、こちらは何も悪くないけど、それでも頭を下げないといけないとき、本来なら向こうが謝るべきことなのに、それでも謝らなければいけないとき・・・あなただったらどうしますか?
自分に非がなくても謝罪をしなくてはいけないなんて、誰だって嫌に決まっていますよね。
でも、だからこそ、そんなときだからこそ、人間性を試されているのではないでしょうか。
すっごい分かりやすい例がありますね。
ゲスの極み乙女の川谷さんとKANA-BOONの飯田さん。
二人とも既婚を隠し、離婚をほのめかし交際を続けたというゲス不倫さんです。
しかし世間からの評価は同じ内容でも少し違います。
謝罪が伝わらなかった川谷さんと伝わった飯田さん。その違いは"謝り方"ですよね。
もちろん、川谷さんの場合は不倫真っ最中に報道されており、飯田さんの場合は過去の不倫になるので状況は違います。
それでも川谷さんが、ベッキーさんと一緒に謝罪していたら活動休止にまでならなかったのではないか・・・と思います。
私はどちらのファンでもないので、人柄も知らないので報道の情報のみがその人のイメージになっています。
恐らく、芸能人はこういう報道の情報のみがその人のイメージになることがほとんどだと思います。だからこそ不祥事を起こした時の対応で世間の反応は大きく変わるんですね。
正直、川谷さんはファンとか関係者には謝罪したい気持ちはあるけどこれを機に知った人になぜ謝らなければならないのか。音楽を提供しているのに私生活でなぜここまでバッシングされなければならないのか。と思っていたのではないかな?と思います。
人の不幸は密の味で、今まで目もくれなかった人がこの不祥事に便乗して攻撃してくる構図が絶対にあったと思います。
謝るのが悔しい、そういう気持ちがあったのではないかと思います。
だけど、それでも川谷さんには飯田さんのように謝って欲しかったなぁと思います。
自分の悔しさより、ファンのことを考えて欲しかった。
ファンには音楽で返すって、それさえ出来なくなってしまったじゃないか。
やってしまったことはしょうがない。
そこからの道は人間性次第で茨の道にも長い階段レベルの道にも崖っぷちにも変わる。
人が完璧じゃないことなんて、誰でも分かっていて。
だから求めているのはその人の"人間性"なんですよね・・・。
私が川谷さんのファンだったら、裏切られたような気持ちで、自分の応援していた気持ちも踏みにじられた気持ちになったと思う。
誰かの心の支えになるってそれだけ責任も重いこと。
謝る行為はお天道様や八百万の神々に向けてなされたもの
誰かが誰かに謝って、どっちが勝った負けたとかいうことではなく、人間を超越した大きな存在に向けて謝罪がなされた、それなら我々も許しましょう、という非常に巧みな共同体的文化があったのですね。
ここまで大きいスケールで人間関係を考えられたらストレスなくなりそう。
正直「謝った方が偉い」とか「先に謝れる方が大人」とかそういう言葉は全然響かない。偉くなくていいし、大人じゃなくていい。
私がしたくないことをしても傷付かないことが大事なのであって、そうすれば相対的にイイ人という称号が貰えますなんてことは全く必要ない。
お客様に理不尽に怒られた時とか心底謝りたくない。
仕事だから謝るけど、くどくどくどくど言ってくる奴とか、支離滅裂で自分のことは棚に上げて言ってくる奴には更に謝りたくない。
悪いと思ったら何度だって謝るけど、自分が悪くないと思ったら謝ったって自分にストレスが返ってくる。なんもいいことない。
偉いとか大人とかイイ人って結局人の評価だし。
だからこういうもう対人間を超えて対自然と思った方が謝れる。
これから理不尽に謝らなければいけないときは、太陽を想像しようと思った。
世界遺産のアンコールワットや、朝日や夕日や、田舎の田園風景や、そういう壮大なものに対して頭を下げると思えば何の苦でもない。
結局、謝る力というか、人を受け入れる力、責任感、誠実さ・・・そういうものが器を大きくすると思います。
作者は精神科医とのことですが、精神科医ってもっと優しい物言いのイメージでしたが、結構ズバズバと書いていてなるほどな・・・と思うところがたくさんありました。
不倫、浮気、いじめなど色んな場面での対処法が書かれています。
謝れない人、謝るけど腑に落ちない人はぜひ読んでみてください。