深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

去年の冬、きみと別れ/中村文則~自分の欲望を持とう~

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≪内容≫

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は二人の女性を殺した罪で死刑判決を受けていた。だが、動機は不可解。事件の関係者も全員どこか歪んでいる。この異様さは何なのか? それは本当に殺人だったのか? 「僕」が真相に辿り着けないのは必然だった。なぜなら、この事件は実は――。話題騒然のベストセラー、遂に文庫化!

 

ミステリー・・・でした。

これ読むには予備知識として、この作品を読むことをお薦め致します。

地獄変

地獄変

 

 kindle無料ですしね。名作です。美しくて残酷な物語。

 

 

芸術で人は人を殺せる?

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うーん。

この作品、よく分かりません。

今まで読んで来た中村さんの作品を考えると、この本が序章に感じるんですよ。

・・・で、物語が始まる・・・!みたいな。

 「地獄変」に出てくる芸術家が絵師であったのに対し、本作はカメラマンという設定です。

絵師が地獄の絵を描くために、地獄を求めたのをオマージュにしているなら「芸術で人は人を殺せるか」もテーマに入っていると思うのですが・・・カメラマンはそこに辿り着けませんでした。

 

辿り着けるわけないよね?

だって被写体を愛していないんだもの。

地獄変の絵師は愛する娘が燃えていたから「地獄」だったのであって、他人であったらきっとその光景は地獄ではなかった。

 

何かもう一周廻って、「地獄変」を賞賛するような作品に感じます。

しかもカメラマンがどんな写真を撮りたいのかも曖昧過ぎて、ただの天才気取りの勘違いヤロウにしか思えなかった。

 

実際、彼は一番親密な姉が焼かれている場面で助けずにシャッターを切っているけど、それは普通の写真だった。

姉だと気付かなかったから?

姉だと気付いていたら芸術になっていたか?

 

私が思う芸術家って、常に自分と戦っているイメージなので、他者に興味がない印象です。地獄変の絵師は見事に悲しかった。

地獄の絵を依頼されるまで、一人娘と絵だけを愛して生きてきた。だからこそ彼の地獄を受け持つのは娘しかいなかった。

 

なんだか、中村さんの作品で一番謎かもしれません。

今まで人間を深く掘り下げて書いてきた人だと思っていたから、どこかに深みを探してしまう。だからこそ私は違和感を感じているのかも。

 

ただのミステリー作品としてはとても面白いのかもしれません。

 

 

復讐って愛か?

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カメラマンとその姉の陰謀に巻き込まれて焼死した元恋人のために復讐する小林。

タイトル「去年の冬、きみと別れ」に続くのは「僕は化物になった」という小林の言葉。つまり主人公は小林です。

 

愛する恋人と泣く泣く別れた男が、恋人が事件に巻き込まれ命を落としたと知る。

不審に思った男は、調査をしていく内に事件の全貌を知り復讐を誓う・・・。

こういう小説やら映画やらってあると思うのですが、殺された彼女と復讐を誓う男って必然的に愛し合っていたと思いがちじゃないですか?

というかそこを疑ったりしませんよね。

 

この小説の気持ち悪いところは、この復讐を誓う男がストーカーのように彼女に付きまとった挙句彼女から別れを切り出され、切り出されたあとも彼女が全盲なのをいいことに監視していたこと。それを彼女が雰囲気で察し、恐怖を浮かべ二度と同じ道を通らなくなったことをきっかけに、彼女から身を引いた存在であるところです。

 

おかしいよね、僕は化物になったはずなのに・・・、僕は今でも、きみが好きだ。

 

それはね、化物になったと勘違いしているだけで、あなたの本質は何にも変わっていないからです。

 

カメラマンは絵師に憧れ絵師になろうとした。

小林は愛する者を失った復讐者になろうとしてなった。

 

お互い他者を自分の欲望を満たす道具としか見ていないんですよ。

そんな人間が変われるわけないでしょう?自分が一番大切で、他人の命や意見を尊重することのできない人間が。

 

ぼくは今でも、きみが好きだ。

→ぼくは今でも、きみを好きなぼくが好きだ。

 

 

欲望のない人間

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ぼくが、その女の子を、泣かせたりして、どこかにおい出したら、でもやっぱり、おまえはにせものだと、いわれるとおもいました。

(中略)

ぼくも友だちから、いいなあとおもわれたいです。

 

これはカメラマンの幼いころの作文だと思われる資料です。

両親がいないカメラマンが、公園で両親と歩く女の子を見たときの心情が書かれています。

少女をうらやましく思い、少女と自分がすり替わっても受け入れてもらえないだろう、怒られるだろう、それは不思議だ、ということ。

 

いつも他者に対して「いいなあ」という気持ちを持つことは、無欲だからなのかもしれない。

「いいなあ」というのは欲張りに思えるけど、自分の欲望が分からないから他者の持っているもの、地位、実力などを羨ましく感じてしまうのかも。

 

ここまで書いて分かってきました。

たぶん本書のテーマはここなのかもしれません。

無欲、故に自分の欲を引き出してくれるようなモノや人間に執着する。

その結果は世の中の文学作品や映像作品と同じ道を辿ってもにせものにしか成り得ない。

なぜなら、そこには「自分の欲」がないから。

 

 

本書に出てくる人形の話。

たぶん、カメラマンと小林のメタファーなんだろうな。

 

そう考えると伏線だらけの作品なのかも。

無欲な人間が一番オソロシイのかも。