≪内容≫
部屋に戻ると、見知らぬ犬が死んでいた―。「僕」は大きな犬の死体を自転車のカゴに詰め込み、犬を捨てる場所を求めて夜の街をさまよい歩く(「世界の果て」)。奇妙な状況におかれた、どこか「まともでない」人たち。彼らは自分自身の歪みと、どのように付き合っていくのか。ほの暗いユーモアも交えた、著者初の短篇集。
たぶん、中村さんの作品で初めて笑った。
笑いが止まらなかった。嫌な意味ではなくて、村上龍さんの69を読んでいるときと同じような笑いです。
是非、読んで欲しい作品「ゴミ屋敷」
男が流動食をこぼす度に、女は罰を与えた。油性ペンで左右の眉毛をしっかりと繋ぎ、男の一重まぶたを二重にした。そして、小型のクリスマスツリーを購入し、その根っこを男の剥き出しの腹に乗せた。
男は屋根に登り、上空を見上げ、「ウラー!」 となぜかロシア式の叫び声を上げた。
あの時、僕は思ったんだ。僕はもう一生、高潔な人間になれないって。僕は一生、ジャンピング・オナニーをした人間として、生きていかなければならないって。
・・・あの時の悲しみは、まだ僕の胸の奥にくすぶってる
中村さんはあとがきで「これも僕の一面で、個人的に気に入っている」と書いています。そして「時々書いていこう」とも。是非書いてほしい。
こんなお話も大好きです。
ドラマとか映画になってほしい。
妻を亡くした夫が動かなくなってしまうところから話は始まり、そこから急に動き出したと思ったら鉄屑を集めはじめ、まるでバベルの塔の如く空に向かって積み上げていくお話です。
しっかり切ないんですが、それをおもしろおかしく書いていて、笑っちゃうんですけど、そこも切ないんですよ・・・。
これ好きだー。
薄くていいからこれだけで本を出してほしい。
ちょっと書いている今も笑いで震えています。
ウラー。
ウラーwwwww強いwwwwwww
なんでwwこれを使ったのww
夜のざわめき
ほら、迷路ってあるでしょう?あれ、実は迷路じゃないんです。
だって、結局出口は一つしかないんですから
出口の話は「1973年のピンボール」でも出てきました。
入口があるなら出口が無ければならない・・・ってな感じで。
本作は結局何しようが出口は一つっきゃないよーってお話だと思いました。
生きていれば、嫌な声を聞いたり不快な現場に遭遇したり、自分の想像で「悪口言われているんじゃないか」とか「良く思われていないんじゃないか」とか考えて憂鬱になったりする。
でも結局そこから逃げても、そこと向き合っても出口は一つなのだ。
そして、その全てを集めたスイッチを押して爆発させたとしても他人はまったく興味を持たない。
世界は思っているより自分に無関心なのだ。
これをしたらどう思われるだろう?
こんなことを言ったら嫌われるかも?
そう思って二の足踏んでも、他人は全然困らないし、一歩踏み出しても関心さえ持たない。
そう考えると、出口が結局一つしかないのなら、無駄な不安を抱えて回り道するよりまっすぐ歩いていこうかなと思ってくる。
負のエネルギー全てを集めたスイッチは、たぶん、誰もが持っているし、誰もが自分のタイミングで爆発させることができる。
世界の果て
自分の未来、生活、これからの、人生。
あるはずだった全てのものが、ここではないどこかへと、自分で行くことのできない場所へと、消えていったのだと思った。
(中略)
ここには、何もない。
これ以上、進むことはできない。
どこかへ行くことができたのは、ぼくの未来だけだ。
変えられるのは未来だけ、なんですよね。
今も、1秒ごとに未来に向かっていて、1秒ごとに過去は積み重ねられている。
世界の果てまでの道のりは近いようで遠い。
自分で決められるようで決められない。
どこかに行きたいと、ここではないどこかへ行きたいと思っても、それって今と繋がっていて、いきなり点として現れることはありません。
悲しいけれど、今は過去の積み重ねであり、後悔しても変えられないし、全てを忘れてやり直したいとか、全てをリセットした世界に行きたいと思っても、絶対に繋がっているのです。
整形して、自分を偽って逃げても、誰かを攻撃して悪意の中に沈んでも、違う世界に飛び込んでみても・・・。
だからこそ、ほんとうに月並みなことしか言葉が出てこないけど・・・逃げちゃいけないんだ、と思う。
逃げるって引きこもりとか登校拒否とか、そういうことじゃなくて、今の自分から逃げちゃいけないってことです。
今の自分が死ぬほどキライでも、他人の言う「いつか」が信じられなくても、未来は今と繋がっているから。
「ゴミ屋敷」以外、暗い話です。
「惑いの森」の植物人間のようなお話があるかなって思ったけど、ありませんでした。
暗いから光が見えるのかな。
・・・ウラー。