≪内容≫
ある田舎を舞台に家族愛を描いた、ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイス、レオナルド・ディカプリオ共演で贈る感動の人間ドラマ。
これ冒頭とラストの描き方がすごく好きです。こういうの大好きです。最後まで見たら、もう一度最初に戻りたくなるやつ。そして戻ってまた感動するやつ。
全て大切に愛せる
本作は、ジョニデ演じるギルバート・グレイプが自殺した父に代わって一家を支える中で、感じる自由への葛藤、知能障害のある弟アーニーへの複雑な思い、父が死んでから食べ続ける母に対しての苛立ち、などなどを描いていると思います。(超ざっくり)
彼は人妻と不倫しているのですが、夫にはたぶんバレてて彼としては身を引きたい。この町にいたいから、いなくてはいけないから。だけど、夫人は追いかけてこういいます。
どんな男でも選べたのよ
だけどあたしはあんたを選んだ
ーなぜ俺を選んだ?
それは
あなたならこの町から出て行かないから
完璧に足元見られてるけれどギルバートは怒りません。もう諦めてるんですね、色んなことを。
自分の望みは「いい人間になりたい」という漠然なもの。具体的に思い付くのはただ家族のことだけ。
ただ、嫌々家族のことを思っているわけではないのです。
たぶん嫌々思えるならまだ少しは楽なのかもしれない。ギルバードを見てるとそう思います。
10歳までもたないと言われた弟はもうすぐ18歳を迎える。
大事な大事な末っ子で、お母さん溺愛の太陽だ。ギルバートの時間はお母さんの食費のための労働と、アーニーの面倒を見ることで過ぎていく。自分のための時間はほとんど見受けられない。だけどギルバートはそんな状況に満足はしていないとしても、お母さんを恨んだりアーニーを嫌いになったりはしない。
二人とも大事なのです。
大事だから、大事にしたいから、それ以上に大事なものを見つけないように生きてる、そういう風にも見えました。
そんなギルバートの町にやってきたベッキー。祖母が運転するトレーラーに乗って放浪の旅をしてる自由っ子。ベッキーと出会ってから、ギルバートはアーニーに自立を期待してしまう。今までの状況に対しての不満が表立って出てきてしまう。
母はおそらくギルバートの苦しみにも気付いていたと思います。もちろんギルバートだけじゃなく、もう一人の姉と妹も二人の世話をしていたのだけど、アーニーの面倒を見てるのは基本ギルバートでした。
ギルバートに対して家族のために自分の人生を犠牲にしてる、と考えることもできると思います。だけど、ギルバートにとって自分の人生と家族を切り離すことは絶対になかったんじゃないのかな、と思います。
それは自己犠牲精神ではなく、ギルバートの愛というか。
暗くて見えない・・・。湖の左下にいるのがベッキーで、木の上にアーニーがいるんです。アーニーは水が怖くて入れない。だけど、ベッキーはあきらめない。何度も呼びかける。そしてアーニーは木から落ちて叫ぶんですが、ベッキーは「ほらね、怖くないでしょ?偉いわ」と助けることなんかしません。
ギルバートがいなくても何とかなるんですよ。
たぶんそのことをギルバートも知った。(知ってたかもしれないけれど)だけど、それでも家に帰るんです。
この言葉を伝えて母は息を引き取ります。
ギルバードは「輝く甲冑だろ?」と笑いますが、母は「お前は光輝いている」と答えます。
母は今までアーニーのことを「私の太陽(サンシャイン)」と呼んでいました。だから光はアーニーで、その光を浴びて輝いてる甲冑が俺だろ?という意味なのかな、と思います。母にとって、というか家族の中での主役はアーニーで、いつもアーニーを中心に回っていたから。
だけど、それは違くて。
ギルバートが光輝く甲冑を着た王子だから、アーニーも輝くのだと、そういうことなんじゃないのかな、と思います。
田舎の小さな一家のお話です。
派手さもない、地味な生活を営んでいる一家です。
だけどギルバートは王子様なんです。
私がこの映画を見て思ったのは、どこかへ行くのに何かを捨てるのではなく、抱えたままでも行けるのだということです。
何かを手にするためには、何かを捨てろという言葉もあるけれど、そうじゃない生き方もある。
自分がやりたいことも、大切にしたい人も失わずに生きることはできる。