≪内容≫
一本の電話が、六人それぞれの平穏を破る。長いあいだ記憶の底に眠っていたものを、揺り覚ます。二十七年前、ある場所で、あることが起こった。そして、ひとつの約束がなされた。いま、その時がきたのだ。「さあ帰るんだ、故郷の町へ」。だれもそれを止めることはできない。たとえそれが、青天(ブルー)から暗闇(ブラック)へと渡ることになろうとも。
これがエンターテイメンツ・・・と震える。
私の感覚では長編のSFとかホラーって哲学的な落とし所があって、そこに辿り着くまでの肉付け要素に物語があるみたいに感じることが多いんですけど、これは、ただのエンターテイメント。
それ以上でもそれ以下でもない。あっぱれ。ベリークール。かっこよすぎ。
面白くて、心に残るのは名作の条件だと思うけど、私の中では「説教臭くない」という点が一番大事。どんなにワクワクしてドキドキして感動しようが、最後の最後に説教や押し付けを感じたら最後、読者の心は萎む。
映画版感想記事↓
ITはなぜピエロなのか
ペニーワイズでググったら「ペニーワイズがオススメするシリーズ」とか出てきてめっちゃ笑った。私、ネット用語の「ワイ、低身の見物」って言葉がすごく好きなんですけど、これに限らずネット民センスありすぎるだろと毎回思う。あとコラ職人の才能が羨ましい。いつも笑かされる。
はい!ITとは、ホラー小説でして、なんか怖い子どもを襲う化け物であるITは映画版ではピエロ一択になっていますが、原作では狼男になったり瘡掻き男になったりしてます。まあでもピエロが主流なのはIT自身が認めています。そう、小説版ってIT視点の描写があるのです。
これだけでも小説が読みたくなるでしょう?IT喋るんかいwwww的なw
ITはなぜ人を殺すの?悪霊なの?なんなの?
ITは人間でもないし、化け物でもないです。人や物ではなくて、肉体を持たない魂みたいなもんですかね。とりあえず、ITとは食べるものなのです。
ここら辺が謎、というかまずこういう超次元みたいなものに味覚があるのか不思議ですが、とりあえずIT的美食が恐怖なのだと思います。もし感動や幸福の方が美味しかったらITはまた違う姿で我々の前に現れていたはず。
そもそも、なんでITっていちいち変身するのか。
捕食対象の心に潜む恐怖に変身するんですが、まず超次元なのだから、恐怖が美味しいって言ったってもっと大規模な狩りができると思うんですよ。存在がないのだから、変身せずに何かしたら自然現象で片づけられてしまうけど、自然現象だって相当な恐怖です。
なのになぜITはいちいち一人一人の子供の深層心理にコミットしていくのか。
私が思うのは二つ。
一つは自然災害より人間による(もしくは言葉の通じる何か)攻撃の方が怖いから。
もう一つはIT自身が子供を通して自分と言う存在を確認しているから。
ITはデリーという町一帯を狩場として育ててきた。どうやって町一帯を育てるのか。何が育てるのか。それは、憎しみの連鎖です。土着的な呪い、言い伝え、因縁・・・そうした禍々しさの欠片を何百年もコツコツと積み上げていったIT。ITって以外に真面目ですね。
ITは人間が持つ想像力に惹かれてこの地(地球)に住み着きました。それは、想像力の中でなら自分が存在できると思ったからではないでしょうか。姿形のないただ強烈な死の光であるIT。莫大な力を持っていてもただ一方的に奪うだけでは美味しくない、というのは、いわば自分の存在が認識されていないことがつまらない、というのと同じように感じるのです。
彼らは選ばれた子どもなのか?
彼ら、つまりITをやっつける使命を背負った7人は、ビル、エディ、リッチィ、スタン、ベン、マイク、ベヴァリーです。
ビルが弟ジョージィがITに殺されたことにより、6人を巻き込んでITに復讐しようとします。まず最初ビルと仲良し組だったエディ、リッチィ、スタンに関しては、ビルに巻き込まれたのでは?と思っても当たらずも遠からずな気がしますが、その他のベン、マイク、ベヴァリーは明らかに選ばれた存在に思います。
この三人の特徴は、彼らの身近な人間がすでにITによる憎しみの連鎖に巻き込まれていたからです。ベヴァリーは、現在進行形で近くにITの操り人形が近くにいたということでしょう。しかも唯一女性である彼女。なぜスタンドバイミーのように男だけではダメだったのか。彼女は子供と大人の架け橋にもなるのです。ここのところの描写のびっくりすぎた。いや、理屈は分かるけど・・・かなりハードモードすぎてリアリティはないのですが、ITを前にしてリアリティとか言ってる場合じゃないんで、なんかハートフルな感じで読み進めた。(冷静に考えるとどう考えても???という感じ。ダメだ!本を読む時は現実の概念を捨てるんだ!己の価値観を捨てよ!先入観を捨てよ!道徳や倫理の盾を捨て、裸で物語をあるがままに受け止めよ!という心構えが時に読者には必要とされる。)
この小説の面白いところは、選ばれし勇者って感じじゃないところなんです。完全に巻き込まれてる。しかも、それは先人たちが作ってきた歴史や大人の子どもへの無関心さによって引き起こされる。つまるところ、誰だってこの「はみだしクラブ」の一員になっていた可能性があるのです。子どもは親を選べない。そして生まれてくる土地も学校も人種も宗教も。子どもであるうちは。
これは子どもたちの戦いの物語なんです。だから大人になって集結しても、彼らは子どもに戻らなければ戦えない。人間に与えられた能力の一つ、「忘却」は大人を守り、子供を幽霊に変える。彼らの戦いを、町で起きてる出来事を誰も知らない。そんな悲しみがずっと、微かにだけど漂っています。
一番好きだったのがエディのこのセリフ。
「ぼくは腕が折れてんのに、マッシュポテトを踊ってあいつを踏み潰してるんだぞ!」
喘息持ちで一番気弱なエディがITを前に立ち竦む6人に代わってITの目を足で踏みつけるんですが、こういう表現だと、ほんとにポテトサラダを作る時のジャガイモを潰す感じでエディが両足で踏みつけてるんだーって想像できて、しかも面白くてキングほんと好きだ。気弱なエディの勇気に泣きそうになってたところにこの言葉で涙吹っ飛んだ。