深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

一人称単数/村上春樹〜問題は語られていない部分にある。語る側は自分に都合のいいことしか語らない。〜

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《内容》

「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか? 「一人称単数」の世界にようこそ。

 

「UFOが釧路に降りる」を久しぶりに読んだ時、村上春樹がずっと書いているのは’暴力’なのだな、と急に感じた。

 暴力性は「アフターダーク」や「海辺のカフカ」などはすぐにわかるけど、「神の子どもたちはみな踊る」や本作のような短編集ではメタファーの中に隠されている。

 本作の一作目「石のまくらに」で無意識の暴力を行った僕は、最後の「一人称単数」で「恥を知りなさい」とその無意識さを指摘される。

 

 村上春樹の怖いところは、暴力性をスマートに描くところにあると思う。あまりにスマートだからそれが物凄いひどいことでも「ちょっとひどいよね」くらいに格下げされてしまうのだ。暴力の閾値をものすごく下げて読者を泳がせ油断したところに「でもお前は逃げられない」と、宣告する。

 

 主人公たちはみな特有のスマートで事なかれ主義で、あくまでも相手にノっただけ、という巧みな語りで欠点を隠すのが非常に上手い。

 問題は語られていない部分にある。語る側は自分に都合のいいことしか語らない。「一人称単数」という自分一人の世界なんてこの世にはない。

 

 主人公たちは「相手にからまれた」「かつがれた」「僕はそこまでひどいことをしていない」という感覚で生きている。この感覚の根底にある”無意識の暴力”を村上春樹は書いていると思う。

 

無意識の悪

 

 それらは僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事に過ぎない。今となってみれば、ちょっとした寄り道のようなエピソードだ。もしそんなことが起こらなかったとしても、僕の人生は今ここにあるものとたぶんほとんど変わりなかっただろう。しかしそれらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる。森の木の葉を巻き上げ、薄の野原を一様にひれ伏させ、家々の扉を激しく叩いてまわる、秋の終わりの夜の風のように。

(謝肉祭(Carnaval))

 なんというか、全編に渡って「僕は悪くない」感が強い。

 

 「石のまくらに」では、好きな人にセフレとしか見てもらえない女の子と一夜を過ごすわけだが、その際に黙って中出しした僕は、「僕らはもうお互い会わないことをわかっていた」。そして数年後ふと彼女の短歌を思い出し、彼女が生きていることを願う、みたいな感じで綺麗に語っている。

 

 僕は「僕らはもうお互い会わないことをわかっていた」から中出ししたのかまでは知らないけれど、その後彼女が妊娠してたらどうするんだろう?きっとそのことに少なからず罪悪感を持っているから思い出すのではないの?と思う。

 

 「ウィズ・ザ・ビートルズ」では、特段好きではない女の子のお兄さんが、一時的に気を失ってしまう病気を持っていて、そのせいで引きこもっている、というお話だ。このお兄さんは記憶がないとき、誰かを傷つけないという保証はないから、と誰も傷つけないために引きこもる。切り抜かれた記憶、不確かな記憶、というのが「ウィズ・ザ・ビートルズ」のテーマだと思うのだが、ここでもまた自死したサヨコサイドの語られていない部分がある。

 

謝肉祭(Carnaval)」では、醜いけれど魅力的な女性と出会い、彼女と音楽について語り合う。お互い既婚者だけど、二人きりであっても彼女の醜さ故に関係を疑われることはない。女性の家で熱く語り合ったこともある仲だけど、彼女が実は犯罪者であることを僕は気づかなかった。

 この短編を読んで思ったのが、あまり優しくない設定だと話がどんなに面白くても嫌悪感が勝って辛くなってしまうこと。ルッキズムがテーマではないことは分かっているが、主人公の醜い女とも仲良くできて気にしない僕、友達はブスって言ってたけど、僕はそう思うような人間じゃないよ的な僕がムカついた。

 

品川猿の告白」は、名前を盗む猿と出会い、名前を盗む話を聞き、実際に盗まれた女性と出会う話だが、僕は女性が自分の名前を忘れて僕に尋ねる時、鬱陶しそうにする。まるで、厄介ごとはごめんだよ、と言わんばかりに。

 人の話を興味本位でガツガツ聞くだけ聞いて困りごとには手を貸さない人間っているよね。大体において人の話を聞きたがるやつに碌な奴はいない。

 

一人称単数」はふと特別な時にしか着ないスーツを着て、ちょっとの後ろめたさを感じながら初めてのバーに入ると、そこで女から絡まれる、という話。女は「三年前のどこかの水辺であったこと」というが、僕には全然心当たりなんかない。

 水辺、とは記憶のこと。こいつにとって「僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事」が他人にとっては全然ささやかなことなんかじゃないのだ。腹立たしい。

 

 腹立たしいけど、これが人間なのさ、という気持ちにもなる。だって、ささやかな出来事にしなきゃ生きていけないから、せめて他人に害を加えないようにお兄さんみたいにひっそりと暮らすのが一番なんだと思う。

 でも人と関わって生きていくことが、「生きる」の真髄な気もするので、とにかくこういうスカしたやつにだけはなりたくないな、という気持ちで読了しました。