≪内容≫
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
今までの彼の作品を色々思い出していたのですが、この作品はデビュー作への帰還って感じがしました。
これだけの量と内容なのに風通しがいい。不穏をこれだけ爽やかに描けるのすごいなって思う。
騎士団長殺しどんな話し?
①肖像画描きとして働いていた主人公はいきなり離婚を申し渡され放浪の旅に出る。東北に向かって車を走らせるとある街で女と出会う。そしてその女に頼まれ、性行為中に彼女の首を絞める(もちろん彼女を殺してはいない)。そこでスバルフォレスターに乗った男にも出会う。
②放浪の最中、愛車が壊れる。途方に暮れた主人公に旧友の雨田 政彦が父親が使っていたアトリエを提供する。彼はそこに一時身を寄せることとなった。そのアトリエで主人公は、政彦の父が描いたと思われる絵を屋根裏で発見する。離婚を期に肖像画描きは休止したのだが大金のオファーがあり、話を聞くと依頼人はアトリエのすぐ近くに住んでいる男からだった。
③その男は免色と言って金持ちの無職だった。主人公は隠された絵を見つけ、免色のオファーを受けた後、奇妙な鈴の音を聞く。裏の祠の下から騎士団長が鳴らしていたのだった。主人公はその鈴を持ち帰ったことで、アトリエに騎士団長を知らない内に招待してしまった。
④免色の目的は、少し離れた場所にある一軒家に住む少女を観察することだった。免色は彼女を自分の娘かもしれない存在だと言う。
⑤主人公は免色に頼まれ彼女、秋川まりえのスケッチを始める。彼女は免色が彼女の家を特殊な双眼鏡で覗いていることを知っていた。ある日忽然と姿を消してしまう。
⑥主人公は政彦が父親のお見舞いに行くのに連れていってもらい、父親に騎士団長の存在を告げる。すると「騎士団長殺し」に描かれていた人々が騎士団長以外も現実に主人公の前に姿をあらわしたのだった。
やたら金の心配をする主人公と、無職なのに力のある免色
CASE①東北で
まず主人公が東北の旅に出てファミレスで休んでいると、女があたかも知り合いのように反対の席に尻を落ちつけ、勝手に注文し、食べ残し、ホテルに行こうと誘ってくる。(おそらく村上春樹的、生と死の狭間への通過儀礼シーン。主人公は絵を発見してから物事がおかしくなったと言っているが実際に閉じられた環を開いたのはここだと思う。)
どこに行くのかはわからなかったが、私も彼女のあとから起ち上がった。そしてテーブルの上の勘定書を手に取り、レジで代金を払った。女の注文したぶんも一緒になっていたが、彼女はそれに対してとくにありがとうも言わなかった。自分のぶんを払おうという気配もまったく見せなかった。
そしてその女と寝て起きると女はいなくなっていた。主人公は財布の中身を確認したあと、その後部屋代とビール代の精算をし、泊まる予定だったはずのビジネスホテルの勘定の精算を考える。
CASE②報酬で
正直なところ、提示された金額には心をひかれた。
(中略)
しかし私はもう二度と営業用の肖像画は描くまいと自らに誓った。妻に去られたことを契機として、もう一度人生の新しいスタートを切ろうという気持ちになったのだ。まとまった金を目の前に積まれただけで簡単に決心を覆すことはできない。
このセリフの4P後
↓
たとえ意に染まない仕事であれ、実際に手を動かして何かを描いてみるのも悪くないかもしれない。
(中略)
長い旅行もしたし、中古のカローラ・ワゴンも買ったし、蓄えは少しずつではあるが間違いなく減り続けている。まとまった額の収入はもちろん大きな魅力だった。
CASE③祠にて
祠の下を暴くことに恐れを感じた主人公。「中止しよう!」と叫びたくなるが、理性が必死に喉を絞める。
決断は下され、作業は開始されたのだ。すでに多くの人がこのことに関与している。少なからぬ金も動いている。(金額は不明だが、おそらく免色がそれを負担している)。
別に金を気にするな、ってわけじゃないんですけど、今回やけに金を気にするなぁ・・・と思ったんです。東北の旅では、妻の言い分をのみこんでどうにでもなれ!って感じだったのに、金はちゃんと意識に入るのね、って思ったし、報酬のところでは新しいスタートより現状維持の気持ちが勝つのかぁ、と思ったし、祠だけでなく免色の行動に伴うお金に対しての感想もかなり盛り込まれてる。
そして、今回今までの作品に比べて影が薄かったのが食事である。村上春樹と言ったらおいしいパスタだろうが!スパゲティは!?おいしそうな、空腹を呼び覚ますような食事は!!??
まぁ作ってるし食べてるんだけど、全然記憶に残らなかったんですよね。なんだか美味しそうじゃなかった・・・。私は今まで、村上春樹の食事描写の豊かさは食事=生のエネルギーと思っていたんですが、本作の生のエネルギーはお金だった気がする。
主人公が開いたものとは
「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ」
主人公は"死"や、死を連想するものに脅えて生きてきました。それは小さな頃に亡くなった妹・小径の影響でした。おそらく、その恐怖を乗り越えるために妻であるユズを無意識に盾にしていたのだと思います。
だから彼女が離れていった瞬間、彼は自分自身で死の恐怖と向き合わなくてはならなくなった。そしてまた恐怖の反対にある死への興味も彼の中にあったのでした。
彼が開いたのは生と死の狭間です。この物語にはたくさんの登場人物が出てきますが、全て彼の出来事で、彼が誰かを救うとかそういった話ではないと私は思います。
生だけを望むから死に脅える。どちらか一つではなくどちらも在るのだということ。それを無意識ではなく意識的に自分の中に持つことが生きる強さになる。
最後の展開は、次の作品出るかな・・・?って不安になるくらい綺麗に終わっていった気がします。。