深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

女らしいということ/平岩弓枝~大人になるまでどれだけのおばちゃんに助けられてきたか思いだしてみて~

≪内容≫

平凡な主婦として大地に足をつけた生活をし、一生懸命生きていることが、私という人間を育て、豊かにしてくれた…。女であること、やさしさ、いたわり、心づかい、人と人のつながりを大事にしたい、そんな著者が綴る、うるおいのあるエッセイ集。

 

女って素晴らしいよ!!!!

ってゆう本でした。女性には読んでみて欲しい一冊。

そしてこの本で私の結婚への意識が変わりました。

 

 

あなたのなりたい女性とは?

私は女性と言ったら石田ゆり子さん!

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これ夜行観覧車の時の石田さんなのですが、可愛くないですか?

化粧バッチリ!って感じでもなくて気取ってる訳でもなくて自然体

年相応の美しさと、少女の様なあどけなさ。

素敵過ぎます。こんなアラフィフに私はなりたい。

心なしかシワも少なく見える・・・。

 

女は女らしく、男は男らしくの真意

これって何が由来か知っていますか?

日本人なら一度は聞いたことがあるであろう古事記

最初の男女イザナギ(♂)×イザナミ(♀)が結婚する話。

しかし、草食系イザナギは自分からプロポーズすることが出来ず、イザナミから声をかけることに。

そうして子供が生まれるがあまりに醜かったため海に流す。(酷)

しかし、イザナギから声をかけ結婚すると無事に子供は生まれたのだった・・・

というあまりにざっくりと話しましたがこんな話です。

 

つまり、女は女らしく男は男らしくに沿わないと世の中上手く廻んないんですよ!!ってことです。

しかも古事記の時点で解明されているなんて恐ろしくないですか。

基本的に女は強く、男性は受け身なんですね。

だからこそ、女はやさしく、男は強く。持っていないものを持つようにして歩み寄ろうよという話です。

なので、男も強くなくてはいけません。ここぞという時に決断出来る強さをね。

結局は思いやりということですね。

 

結婚したら習い事はやめなきゃだめ?

私の結婚したくない理由の一つに趣味の時間がなくなってしまうんじゃないかというのがありました。

けれど本書にはこう書いてあります。

多くの稽古事は、結婚前より結婚後も続けていることに意義があるのです。

どうせ、やるからには、十年でも二十年でもかけて、人に教えられるだけの実力と、本物の免状をおとりなさい。

 でも、母は申します。好きな稽古に打ち込むことができたから、どんなに不快なことも忘れて、生活にハリが持てたし、毎日がいきいきと迎えられたのだ、と。

 それが、結婚に全く関係のない習い事だとしても。

日々を生き生きと過ごすことを結婚生活に任せちゃいけないんですね。

旦那は旦那。子供は子供。そして自分は自分。

趣味に没頭して家庭を疎かにするのはいけませんが、自分で自分の結婚生活を楽しくしなければいけません。

お母さんが笑うと安心するし、お母さんが怒ってると不安になる。

小さい頃そんな気持ちになったことありませんか?

お母さんって本当に大変です。家事、育児、旦那との関係、子供との関係、親戚関係、近所付き合い・・・

けれど、一人間として人生を楽しむこと。これすなわち他人の幸せにも繋がると見た。

 

お母さんの偉大さ

私が高校生の頃、母に「お母さんって何が楽しくて生きてるの?」って聞いたことがあります。

その時の私の心境といえば、父は毎日仕事や現場で色んな人に会ったりランチを違うもの食べたり、姉は高校から大学に進学して新しい環境で新しい人との出会いが増え、私もバイトや実行委員での活動、バンド活動で忙しく生活していたので、いつも家にいて家で仕事をして外食もせず、友達と出かけることもない母の事を本当に不思議に思っていたのです。

友達とガストに行けば近くの席に自分の母と同じくらいの年代のおばちゃんが3~4人で話していたり、電車に乗れば仕事帰りのようなおばさんがいたり。

その中で母は一人っきりで、毎日食事の支度と掃除洗濯をして、たまに仕事があればして、それ以外はテレビを見たりするだけです。

一人でレンタルDVDも借りに行けない母親です。本もマンガも読みません。

趣味は園芸ですが、そんなに広い庭ではないので毎日する事もありません。

新しい出会いや、友達もいなくて、母の時間だけ止まっているように感じたのです。

 

私の問いに母は「何て事言うのっ!おかしな事いうよ、あんたは全く・・・」と言いました。

 

お母さんはどうして友達とご飯に行かないの?

友達と遊びに行ったりしないの?

一人で家にいてつまらなくないの?

 

そんな事を聞くと母は決まって

だってお父さんといるのが一番楽しいんだもの」と答えたのです。父はサラリーマンなので土日・祝がお休みです。

休みの日はいつも、パチンコか園芸店に二人で行ってました。

たまに大きなショッピングモールに私も連れて行ってくれましたが、その後自宅に私を置いて二人でパチンコに行くのです。

だから子供達はほとんど家にはいませんでした。

姉は誰もいない家を怖がり、彼氏とのデートから帰ってくる時は私に家にいるか確認してから帰るし、私は夜遅くまでスタジオに行っていたり、バイトしてたりで、パチンコの終わる22:30が我が家の一つの指標になってました。

 

いつも運転席の隣には母が居たんです。父も一人で行動することはほとんどなかったので。あの頃そんな風景を当たり前に思っていたけれど、それは二人が作ってきた絆なんだとようやく気付いたのです。

母は、口うるさく父に小言を言いますが父を愛しているのです。それが子供にも分かるし、父もほとんど話さないが母を愛しているのだと分かるのです。

 

本書にこんなお話がありました。

定年を過ぎて、夜勤で警備員として働く旦那さまに奥さまがお弁当を作っているというお話です。

 私達夫婦は、もう年ですし、いまさら、アイ・ラブ・ユーでもないし、日常の会話の中に愛だの、好きだの、信じているの、なんて台詞はとてもキザで使えやしません。それでも夫婦ですから、生活の中でおたがいに愛情を確かめ合う事がなかったら、不安だし、また、味気ないものになってしまうでしょう。この弁当をみると、わたしが妻がわたしを愛してくれているとしみじみ思うんです。弁当を見る度に、長い夫婦の歳月を想います。妻のために、もっともっと生きたい、働きたい、妻に何かしてやりたい、腹の底から愛情が吹きあげてくるんです。それが、私の生き甲斐ですね。

 私が一人暮らしをする理由の一つに、実家は二人の作り上げてきた家という感じがあるんです。

もちろん私の生まれ育った家ですので私の家で間違いないんですが、あそこは二人の作り上げたもので二人のものなのです。二人が居て私の家とも言えますが、二人失くして私の家ではないのです。

たまに、実家に帰った時に、家とはこうやって愛する人と作り上げていくものなんだなと深く感じます。色褪せたパズルや、塗り直したペンキの痕、二人の趣味で彩られた庭・・・そこには二人の生きてきた歴史が息づいているのです。

 

当たり前すぎて何も疑問に思わなかったけど、母がいつも家にいて、「たまには外食したい!」って言葉が出るほど母がご飯を作ってくれて、「何で洗濯してないのよ!」なんて言えるほど毎日洗濯してくれていた。急に「これ明日までに縫っといて!」と渡したゼッケンも「早く言えばいいのに」と言いながら朝にはアイロンまでかけて用意してくれた。

大人になって、お母さんがいつも家を守ってくれたから私達は会社や、学校に行けたんだって、心の何処かで安心出来る何かがあったから私達は前に進めたんだって、それがお母さんだったんだって気付いた。

お母さんはいつも「お父さんがいるから習い事だって出来るんだから」って言って、習い事する時も部活に入る時も必ずお父さんに許可を取るように言った。

お父さんと子供をちゃんと繋げていてくれた。

お父さんは「ちゃんと頑張れるんだな?」って「頑張るか?」じゃなくってもう頑張る気持ちを持ってるって分かってくれていた。

だからお父さんの事ずっと大好きでいられた。お母さんとは何度も喧嘩して何度もキライって思ったけど、大人になってお母さんが一番尊敬する人になった。

 

女の人はそんな素晴らしい人になれるんだよ。

一人で生きていくのではなくて誰かと生きていくのは二倍大変かもしれない。

でもそれ以上に大きな物語になる筈。

 

姑はじゃまもの?

ババヌキという流行語ほど、デリカシーのない、残酷な内容を伴う言葉は、無責任時代とはいえ、他に見当たらないのではないでしょうか。

 ところが、小説やドラマでそうした人間の心の深い部分へつけ入って、嫁と姑の問題を取り上げると、平凡な人間のだれもが、そうであるような先入観を持ってしまい、あたかも姑と嫁は前から敵同士であったようなー万人がそうであるような錯覚を起こしてしまうらしいのです。これは不幸なことだと思います。

さて、私の少ない人間関係の中で姑と仲が悪くて・・・という人はいません。

一人、職場の人でどうしても姑さんが結婚を許してくれなくて恋人と別れた・・・という先輩がいますが・・・。

人間同士ですから、合う合わないはあるでしょう。実際一目見て「合わない」と感じられる人もいます。

だけど、姑さんだからってその人は「姑」って役割ではないんですよ。立場的にはそうなっているけど、私と同じ人間で女性なのです。

だからこそ、同じ悩み、苦しみ、解りあえる部分も男性より多いはず・・・と思う未婚の私。

私の姉の姑さんは多分いい人なんですけど、姉は嫌がっています。

というのも、姉が悪いんです。姉は家族と友達と旦那さん以外の前では借りてきた猫状態・・・というか怖くて自分の意見を言えないのです。

なれない主婦業や、育児の事も「最近やっと立つようになったんですよ」とか世間話ひとつ出来ないのです。

こんな事を言って不出来な嫁だと思われたらどうしよう・・・というのが一番に来てしまうようです。

自分が傷つくことを第一に思う内は相手(姑さん)を勝手に嫌な奴に設定してます。

これで仲が深まるかいっ!と思うのですがまだ5年も経っていないし、幸いそこまで距離の近い方たちではないのでゆっくり仲良くなってほしいなぁと思います。

姉は本当はすごく優しく穏やかなのですが、他人への警戒心が半端ないのですごくもったいないなぁ~と思うし、でもそこがかわいいなぁとも思ってしまうのですが。

 

強く優しいおばちゃん

話が脱線してしまいましたが、私達は大きくなるまでにたくさんのおせっかいなおばさま達にお世話になってると思うんです。

 幼稚園の先生や学校の家庭科の先生、バイトのレジのリーダーといえばおばちゃんだし、見知らぬ土地で困っている時・・・などなど。

ほんとに小さな小さなことだけど、おせっかいなおばちゃんに意外や意外助けられてませんか?

道に迷った時「どうしたの?」と聞いてくれる。

行列に並んでる時に「どこから来たの~?」なんて話しかけてくれる。

レジの清算が上手く出来ない時「変わってみ!」と助けてくれる。

学校を早退する時に母の代わりに近所のおばちゃんが来てくれたり

隣のおばちゃんが髪を切ってくれたり・・・

ここら辺は家のおかんの近所づきあいに感謝ですが、ありとあらゆる所でおばちゃんは強く、優しく、逞しく生きています。

強すぎてたまに横入りしたり、集団で電車のイス取ったりするし、うるさすぎるし、迷惑もありますが。

世界からおばちゃんがいなくなったら本当に無関心の世界になっちゃうよ!と思います。おばちゃんがいるから繋がる赤ちゃんから老人まで。

 だから、何が言いたいかと言うとおばちゃんになろうよ!ってこと

です。

結局女らしいということってなんやねんっていう支離滅裂な話になりましたが、それは「気遣い、思いやり、優しさ」です!!

 

結局、結婚で失うものは何もないんだ!!

ってこの本を読んで心から思ったんです。

著者の平岩弓枝さんの母の口癖で

お料理でも掃除でも夢中になれない人は、自分の人生にも夢中になれない。そういう人はかわいそうだ

というのが紹介されています。

結婚したって、自分で自分の人生を楽しむことに変わりはないんだってことです。

自分の人生を豊かにする一つの道に結婚というのがあって、それが茨の道になるか花園になるかは自分次第なのです。

 

女性は

幼女→少女→学生→社会人→彼女→妻→(おかん)→おばちゃん→老婆

となっていきます。

その中で肌のハリは失われ、シワは深く、シミは増えていくでしょう。

それでも女らしさは永遠です。

男性には男性の楽しみや素晴らしさももちろんあるでしょう。

 

私は正直大人になるのが怖かったんです。

この歳で何言ってんのwと思うかもしれないんですが、結婚して妻になったら色んな責任を持たなきゃいけない・・・とかもう自由に遊べない・・・とか。

けれど、この本を読んで女性の成長する様の何と楽しそうな事だろう・・・と思ったんです。

嫌いな料理も楽しげに思えてきたし、別に家事をしたからって自分の時間が減るわけではないしなとも思えたし、何を怖がっているんだろうと思いました。

おばちゃんになるのも怖かったけど、思えばおばちゃんの思いやりや優しさに何度助けられただろうって思って、自分もそんなおばちゃんになりたいなって思いました。

 

とりあえず、明日からカンボジア行ってくるぞ!!!

女らしいということ―心を奪う魅力と知恵 (1982年)

女らしいということ―心を奪う魅力と知恵 (1982年)