深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

消滅世界/村田沙耶香~人間は生きてるだけで汚い。けれど・・・~

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≪内容≫

「セックス」も「家族」も、世界から消える。日本の未来を予言する圧倒的衝撃作。

 

現代の流れに乗っている内容だな、と思います。

男性も女性も一人で生きていける時代、孤独死が増え核家族が大半の現代で、セックスと家族の必要性ってどこにあるんだろう?

そう思ってしまっても何らおかしくないと思う。

 

本書の世界観

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・今私たちの世界で行われている性行為は交尾という動物的な行為となっており、妊娠するには人工授精が当たり前になっている。

 

夫婦は家族なので性行為は行わない。もし夫が妻に欲情するようなことがあれば近親相姦となる。夫婦は外でお互い恋人を作り、そこで恋をする。すなわち結婚とは利害関係が一致するかで決まる。

 

・千葉県は実験都市・楽園(エデン)になっている。

ここでは全員が全ての「ヒト」の子供でありおかあさんとなる。(男性もおかあさん)

 

ここでの大人の義務は

①葉書がきたら年齢・男女問わず人工授精して繁殖に協力すること。

②全ての大人が子供達に「愛情のシャワー」を浴びせる存在になること。

 

・男性には人工子宮がつけられ、人工授精の精子は選べない。

・こうしてうまれた子供は「子供ちゃん」と呼ばれ、大人は全員の「おかあさん」となり子供は全員の「子供ちゃん」になる。

 

ざっとこんな感じです。

主人公は母と父の近親相姦から生まれ、小さい頃から母親に呪いをかけられていました。

 

「雨音ちゃんも、大きくなったら、好きな人と結婚するのよ。そして、恋をした相手の子供を産むの。とっても可愛い子供よ」

 

私たちにとっては当たり前で暖かい言葉に聞こえるけれど、この世界では罪であり正しいことではありません。

 

人が人に恋をすることが無くなった世界ではなく、恋と結婚が完全に剥離された世界なだけです。そして恋と性行為も。

この世界ではセックスはありません。

妊娠を目的とした挿入行為は必要ないからです。

 

どこかおかしいけど、100%おかしいと否定できない不思議さがあります。

なぜ妊娠を求めていないのにセックスするんだろう?という疑問を持ったことが、私にはあるので、この世界が正しい気もするのですが心のどこかが激しく拒絶します。

 

こんな世界は嫌だ!

・・・と。

 

清潔な世界

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「・・・私があんたを産んだのは、恋をしたからだったわ。でも誰も理解してくれなかった。産まれたときから世界は狂ってた。私だけは正常でいたかったの」

 

恋はめんどくさいものです。

どろどろした嫉妬、羨望、恨み、辛みもあるし、セックスとは汗やら精液やら色んな体液に塗れる行為で綺麗なものとは言えないし。

そもそも恋、つまり誰かを所有したいとか、特別になりたいとか、そういう感情自体汚いとも言える。

 

だから清潔な世界を望むならそういうもの全部切り捨てなきゃいけない。

そして、村田さんの作品はこういうものを躊躇なく当然の如く切り捨てる。

瀬戸内寂聴さんと真逆の精神という感じです。

↓THE煩悩。

これとか、三島由紀夫の春の雪とかね、もう最低だなって思ってたんですよ。

自分勝手で、周りを振りまわして傷付けて、愛だの恋だの叫んでりゃいいんかい!と思っていました。

だから村田さんの世界の方が、私は馴染むと思っていたんですよ。

 

だけど、こんな世界は嫌だ。

ヒトとして、ヒトの繁殖のために子供を産むんじゃなくて、好きな人とのセックスの果てに新しい命を身体に宿したいって思った。

 

村田さんの凄いなって思う所は、容赦なく排除された正しい世界を突きつけてくれるところです。

私の「恋愛ってめんどくさいし自分勝手でなんかいや」っていうところを「分かった。じゃあこういう世界はどう?」と定義して出してくれたものが、完膚無きまでに救いのない世界。

 

これじゃあ今生きてる世界を認めざるを得ないじゃないか。

今の世界で恋愛したいと思うじゃないか。

私・・・この世界が好きだ!!

と気付かせてくれる。

 

汚くていい。

清潔が正しいなら、汗をかかないリアルドールやそれこそAIの開発が進むだろうな。そして人類は滅びる。

だって、人間って生きているだけで老廃物は出ていくし、溜まるし汚いじゃん。

汚いのが人間なんだーーーー!!

 

生命ってなんだ

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私たちの間で「子供ちゃん」の突起が私と子供ちゃんを繋げていた。それは太くて短い臍の緒のようでもあった。

 

膣から臍の緒が伸びて、私の「子供ちゃん」へと繋がっている。私は私の「子供ちゃん」へと手を伸ばした。濡れた手と手が絡み合い、「子供ちゃん」がまるで産声のような笑い声をあげた。

 

主人公が子供ちゃんと繋がっちゃうところで本書は終わりです。

もし、セックスがなくなったら私たちはお母さんの子宮の中で羊水に包まれていた感覚をどこで取り戻せばいいんだろう。

 

今までセックスに対して、子供を産む行為か恋愛の本能としか思っていなかったけど、本質はここなのではないか、と最後に思いました。

 

羊水の中にいた感覚を未だに持っている人間はあまりいないと思いますが、きっと脳か体のどこかに潜在していて、無意識にそこに戻るというような意味合いで性行為というのは繁殖に伴わなくてもしたくなるのかもしれない。

 

あの、おかあさんのお腹の中という恥も罰も何もない楽園への回帰。

苦しみも孤独もさみしさも何もないエデン。

 

そこから生まれたのに、生まれた先もエデンなら私たちにはもう本能は何もない。全てを「作って」生きていくしかない。

 

この「子供ちゃん」が大人になった世界を見てみたいなぁと思いました。

辛くって悲しいことがあったとき、楽園に帰れる方法がないとどうなっちゃうんだろう?って思ったけど、現世界がすでに楽園ならそういうことも思わないのかな。

 

どんな感情で行われていても「セックス」っていう一つの言葉で一つの概念になってしまうからおかしいのであって、セックス自体はとても尊いものなのかもしれない・・・と思いました。

 

この最後の雨音と子供ちゃんの渇きを潤すような行為こそ、本能のセックスなんだろうな、と思いました。

 

村田さんすごいです。

こんなにセックスについて熟考することになるとは。

でも、そもそもセックスがやらしいという発想なりイメージがあるのが問題なんだろうなぁ。