≪内容≫
恋愛ではない場所で、この飢餓感を冷静に処理することができたらいいのに。「本当のセックス」ができない結真と彼氏と別れられない美紀子。二人は「性行為じゃない肉体関係」を求めていた。誰でもいいから体温を咥えたいって気持ちは、恋じゃない。言葉の意味を、一度だけ崩壊させてみたい。表題作他一篇。
本作は「星が吸う水」と「ガマズミ航海」の二作品が収録されています。
「星が吸う水」は女というだけで、自分が能動的に動いても、周りからは受動的に取られてしまうことや、商品としての女という考え方に対して、主人公が疑問に思う話。
「ガマズミ航海」は、本当のセックスを探す美紀子と結真の話。
セックスという言葉が持つ意味、女という言葉が持つ意味について掘り下げた話だと思います。一般的な意味に甘んじずに、自分で意味を見つける話。
星が吸う水
主人公・鶴子は武人という恋人がいる。
武人の前に付き合っていた恋人は、恋人であるということにまつわる様々な行為をしなくてはならなかったために時間をとられて、チェーンのレストランの店長になったばかりで忙しかった鶴子には億劫だった。
彼の脳の中の性感帯を刺激するために、手を繋いでデートという服を着た前戯を半日ほどした後、ベッドの中でもその流れに沿った言葉の交わしあいなどをしなくてはいけない。
それが終わって各自の家に帰ってからも、メールのやりとりがいつまでも続く。
相手の頭の中には恋人同士の幸福な流れというものが儀式のように横たわっていて、ペニスの前にまずそれをこすらなくてはならないのだ。
この前の恋人との様々な行為は、まさに恋人らしい行為ではないですか?
億劫な気持ちも分かるけれど、それがないなら付き合うとか恋人ってどこからなんだろう?
まだ学生だったころ、誰かを好きになったり、好かれたりしてカップルになるっていうのは一つの憧れだった。
だけど、憧れと同じくらい嫌悪感もあった。
わざわざ恋人になるってことは、友人という間柄では出来ないことをするためなんだと思った。それは必然的に性行為になるわけで、性行為がなければ仲の良い友人のままでなんら問題がないわけだから。
村田さんの作品の女性はどちらかというと性に貪欲です。
私は真逆で性行為よりも、一緒に眠ったり一緒に映画を見たり、一緒にご飯を食べたりっていう服を着た前戯の方が好きなので、共感は全く出来ないのですが言いたいことは分かります。
だけど、それって私の中では「人間」より「動物」に近いように思います。
原始に戻りたい願望があるなら、裸の性欲だけで満足出来るかもしれないけれど、進化してきた人の性欲は衰退している気がしてならない。
そのうち、セックス自体が変態行為だという時代が来るんじゃないかとも思う。
これだけ妊娠の技術が上がれば、女性がいつかくる妊娠のための予備行為としてセックスをする必要も無くなるんじゃないかな。
男性も男性だからって性欲が強くない人もいるわけだし、人工妊娠や体外受精が当たり前になればセックスの必要性はどこにあるんだろう?
この問題はここで描かれています。
鶴子の思う「人間」と私の思う「人間」は違う。
だけど、鶴子の友人の梓ともまた違う。
「女は、自分をいかに高く売るかってことを考えないとだめなんだよ。対等なんて甘いと思う。女であることを利用しないと、こっちが利用されて終わるんだよ。絶対的に、立場が弱いんだから。戦わなきゃだめだよ。安く見られるなんて、絶対にだめなんだから」
安く売ることは被害者になることだと、梓が心配してくれているのはわかる。けれど、鶴子は膣がついているからといって、自分の肉体を商品だというふうには感じられなかった。
自分の膣は自由で、あえて値段を吊り上げる必要はないように思えるのだった。
梓は「女」を商品としていて、自分を磨くことで、商品価値を磨き、高く買ってくれる人を探している。
だけど、梓の理論だと女の価値は年を重ねるごとに落ちていく。
男は商品価値の高い若い女を欲しがる。年だけは抗えないのでいわゆる女子力という後天的価値を磨き続ける。
世の中の人がどれだけ本気で「女子力」とか「男は絶対浮気する、そういう生き物だから」とかいう言葉を信じているのか分からないけれど、私は本当はみんなそういう言葉に意味なんてないことを知っているんじゃないか、と思っています。
だけど、何かが上手くいかなかったとき、「女子力磨こう!」とか「OOさんは女子力高いから~」と言ったり、浮気されたとき「男ってそういう生き物だもん」「浮気しない男なんていないって!」という具合に使い勝手がすごくいいから流行っているだけだと思っています。
真実を都合よく隠してくれる言葉。
原因を深く掘り下げて傷付くことを回避出来る言葉。
セックスも、女も、男も、万人にとって一番使い勝手がいい意味があてがわれているだけで、それに意味なんてない。
ほんとうの意味を自分で見出していくのは、ほんとうのセックスをすることでもあるし、自分の性と向き合うことでもあるし、真実の愛ってヤツを見つけるためのことのように思った。
ガマズミ航海
手にとって化粧品を眺めながら、なんでペニスを膣に入れればそれがセックスということになるのだろうと考えた。
結真の中では性行為は二つに分かれる。セックスか、そうでないかだ。さっきの行為はセックスではない性行為だ。強いて言えば、「おしゃぶり」くらいが適当なところだ。生きた肉でできた温かいおしゃぶりを、口と膣で咥えただけなのだから。
セックスではない性行為を探す結真。
そんな結真の言葉に惹かれた美紀子。
美紀子は彼氏のことを嫌いだと思いながら離れることができない。
ひょんなことから美紀子の部屋に入り、隠された結真は美紀子とその彼氏のセックスを見てしまう。
そのセックスは完璧なセックスだった。
適切な部分で喘ぎ、適切な言葉を恥ずかしそうにつぶやく美紀子とそれを受け止める男はまさに正しいセックスをしていた。
ananに書いてあるような、こうすれば男が喜ぶとか、こうすれば気持良いとか、そういう教科書通りのセックスは、結真が感じた本物のセックスとはほど遠いものだった。
結真のいうほんとうのセックスとはとても無防備で広大な場所にいるような開放感があった。
美紀子と彼氏のセックスはベッドの中から一ミリもはみ出さず、そこだけで完結していて、それはベッドの上以外どこにも行けないということと等しかった。
セックスではない性行為って、難しいですよね。
まず目的が絞れない。
性的な器官は触れれば反応するように出来ているので、性的反応を伴わない行為をセックスではない性行為とするなら、生殖器に触れたら本末転倒な気がするし、生殖器に触れていてなお反応を示さないことが条件なら、それは身体への反逆とも思えますね。
ここばっかりは個人差がすごいと思いますしね・・・。という何ともコメントしづらい内容なのですが、自分の身体を使って"ほんとうのセックス"を追及する結真の姿はステキでした。
なんでも追及するのっていいことだと思います。ただそれは自分自身に対して。他人を追及したって分からないばかりか相手も追い詰めますからね。
みんなが当たり前にクリアしていそうなことが自分にはとても難しくて、それが悔しくて悲しくて、自分がとんだ落ちこぼれのように感じるときがあったけど、真実は、本書に近いのでは?と思いました。
たぶん、クリアしているように見えて迷ったり見ないようにしたり気付かないフリをしている人が多いだけのことで
だから、迷い続けていいんだ、って思った。