深夜図書

不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。※18/9/8ブログ内工事中・・・

ふたご/藤崎彩織~好きだから頑張る、それが一番強いし輝いてる~

≪内容≫

彼は、わたしの人生の破壊者であり、創造者だった。異彩の少年に導かれた孤独な少女。その苦悩の先に見つけた確かな光。SEKAI NO OWARI Saori、初小説!

 

 

 

うちの会社に

うがい・手洗い・ドラゲナイ

っていう標識がありました。

私セカオワ知識ほとんどないのですが、このおかげでドラゲナイだけ知ってます。

これsaoriさんとフカセさんの話でいいんですかね?

よく分からないけど面白かったです!

 

 

 

 

 

 

好きなことがある方が稀かもしれない

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「でもさ、俺は思うんだよ。努力出来る充実した人生と、ゴロゴロしながら今日も頑張れなかったって思う人生と、どっちか選びなさいって聞いたら、みんな充実した人生を選ぶでしょう」 

頑張れない人間に対して人は「甘えてる」って判断を下すけど、頑張れた方がいいに決まってんじゃん、という月島。

 

最近よく思うのですが、「好き」とか「努力」とか「頑張り」って人によって幅が違いすぎて共通言語にするのがかなり無理あると思うのです。

上っ面の会話の中で使うなら最適だけど、突っ込んで話したいときに「努力次第だよ」って言われてもざっくり過ぎて、せっかくの深い会話も一気に浅くなると思う。

 

そんなこといったら言葉には深度も長さもないから、何で計るってできないんですけど、そこをしっかり話し手と聞き手で合わせないと重要な部分まで届かないと思うんですよね。

 

だから自己啓発本とか名言シリーズとか、そういったものが響く人は作者や発言者の感覚が似通っているから響くのであって、響かない人、または効果がない人は距離がありすぎるのだと思う。

 

それで、題にした「好きなことがある方が稀かもしれない」というのは、私の周りで好きなことがないと言う人が多いので感じることです。

私の姉もよく言うのですが「いいね、好きなことあって」とか「私には何もハマれるものがない」とか職場の人にも言われるのですが、何かいつも違和感を感じています。

先日読んだ乳と卵の中の「あなたたちの恋愛は瀕死」に出てくる主人公の

趣味はないのと同じだから、日曜日には決まって新宿まで出ていって朝から晩まで化粧品や洋服を見て過ごす。 

 っていうのが私にとっては好きなことなんですよ。

だって好きでもないのに、朝から晩まで化粧品や洋服を見れる?

それって他人とってはもはや趣味と呼んでいい領域だと思うんですよ。

 

うちの姉はゲーマーで、一日中ゲーセンにいるようなゲーマーで、旦那さんと結婚する前のデートと行ったらお互いの車でゲーセン集合、ゲーセン解散みたいな付き合いしてたので、彼女が何も好きなことがない、と言ったときは唖然としました。

 

私が「いやゲーマーじゃん。一日ゲーセンにいるとかちょっと考えられない」と言うと、「違うんだ、好きだけど、そんなに好きじゃないんだ」とか言う。

職場の人も化粧品や美容が大好きなので、「好きなことあるじゃないですか」と言うと「違うよ、好きなことがないからそっちにいってるだけだよ」とか言う。

 

私は正直なところ、頑張れる側の人間で好きなことがある側なので、月島や姉や職場の人たちの気持ちは分かりかねる。

だけど、「頑張れた方がいいに決まってんじゃん」と言ってくれる人が身近にいるので、それが自覚できない苦しみというか悲しみみたいなものは見てきました。

 

どっちの人生がイイってことじゃないと思うのですが、好きってものは思ってたより見つからないものなのかもしれないなぁ。と読んでて思いました。

私の母も「この時代にやりたいことがあるのはとてもいいことだけど」と保守的な母にしては珍しく私に肯定的な言葉を投げかけてくれたこともありました。

 

別に好きがあったって強いわけでもなんでもないのですけどね。

ただ、私にも何も好きなものがない時代があって。

小学生のときですが、そのとき同じ学年の男の子でサッカー選手になりたいという子がいたんです。

彼は一人でサッカーの練習を校庭の隅っこでやってたり、サッカー選手になりたい!と口にしてたりして、市のチームに入って試合してたりして、それがすっごく輝いてて、「好きなことがあるっていいなあ」って本気で本当に彼が羨ましかった。

 

その当時の私といったら、放課後は友達と駄菓子屋に行ったり一輪車に乗ったり、好きでやってんのか流されてやってんのか、ただそこに一輪車があったから乗ってんのか、自分の意思なんてどこにあんのか分からない日常だったので、彼は学年で一番大人に感じたし、私たちより一歩遠いところにいるような気がしていました。

 

彼の存在を知ってから私はしばらく好きなことを探した気がします。

でも簡単には見つからなかったです。

そういう時代があったので、好きなことをしてる人が放つ特別な輝きみたいなもんは分かります。

だけど、この歳になると色んな人を知るので、好きなことをしてると思っていた人が実はやらされていただけだったり、周りに流されてやってたり、好きと思い込んでいただけだったという真実にぶち当たることもあります。

 

そうなると本当に好きなことをしている人や好きなことを好きと自覚していたり、それに正しいベクトルで好きを注ぐことができる人というのはかなり貴重な気がします。

 

別に好きだから努力しなきゃいけないわけじゃないですが、努力して近付きたいと思える好きが職業に繋がったらそれはかなり幸運なことなのかもしれません。

 

夏子が月島に近づきたくて頑張るシーンはすごく切なくて輝いていました。これが本当にsaoriさんとフカセさんなら、saoriさんは本当に本当に苦しい道を歩いてきたんだなぁと思う。好きだから頑張る。そういう素直で純粋な気持ちって強いし、すごく輝く。