≪内容≫
その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは序々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日―。直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。
大好きなお話。
もう何度も読み返してる。
思春期の不安定な女の子同士が手を繋ぐと、切なくて、美しくてどうしようもなく悲しい世界になってくよ。
海野藻屑× 山田なぎさ
※イメージ図(花とアリスより)
あたし自身のありきたりな不幸と藻屑の藻屑らしい非凡な不幸には一つの共通点があった。
あたしたちは十三歳で、あたしたちは未成年で、あたしたちは義務教育を受けている中学生。
あたしたちはまだ、自分で運命を切り開く力はなかった。親の庇護の元で育たなければならないし、子供は親を選べないのだ。
あたしはこの親の元でみんなより一足も二足も早く大人になったふりをして家事をして兄の保護者になって心の中でだけもうダメだよ、と弱音を吐いてる。
藻屑も行けるものならばどこかに行くかもしれない。
大人になって自由になったら。
だけど十三歳ではどこにも行けない。
運命を切り開くための実弾(お金)が欲しい「なぎさ」とただひたすらに愛情が欲しいが為に砂糖菓子の弾丸を撃ち続ける「藻屑」。
中学生に出来ることは、「現実を受け入れる」という名のあきらめること。
自分の力で何かを変えることなんて出来ない。
もうずっと、藻屑は砂糖菓子の弾丸を、あたしは実弾を、心許ない、威力の少ない銃に詰めてぽこぽこ撃ち続けているけれど、まったくなんにも倒せそうにない。
子供はみんな兵士で、この世は生き残りゲームで。そして。
藻屑はどうなってしまうんだろう・・・?
まだ、アルバイトも出来なくて、義務教育の中にいる中学生。
お金がなければ、どこにも行けない。
お金がなければ、助けることも出来ない。
大人は分かってくれなくて、それでもSOSを発信し続けるけど
気付いてくれる大人がいなきゃ生き残れない。
大人になるのは限られた子供だけで、砂糖菓子の弾丸だけでは生き残れない。
砂糖菓子の弾丸は少女だけ
少年が二人で手を繋いで自殺ってないです。
小説でも映画でも二人で逃避行はあっても死にません。
殺人の容疑者であるクラスメイトと逃避行する「山羊座の友人」
貧困の中で暮らす義兄弟の「ぼくんち」
戦争孤児となった双子の少年の映画「悪童日記」
など、男の子二人が主軸の話はあるけど、そこからどうやって生きていくか、つまり未来に向かって歩き出すのです。
過去は変えられないし、悲しみもあるけど、そこに捕らわれながらも生きていく。
死ぬ位ならまず相手を殺してから。
ずるい大人達に理不尽にぶったたかれながらも「なにくそ」と思って生きる。
対して「少女」とはとても弱いのです。
「母親」という自分とは別の「女」。
「父親」という絶対に敵わない「男」。
母親と娘がお互いに「女」だった場合は「敵」。
母親と娘がお互いに「戦友」になった場合は「友達」。
「子は父の背中を見る」とか「いつか父を超える」とか
少年の壁は越えることを前提に作られてるけど
少女の壁は調和することを前提に作られてるから
上手く調和出来ない少女は行き場を失くしてしまうのだ。
私はそこにものすごく美しさを感じるんです。
自分にはどうにも出来ない小さな世界で、自分もいっぱいいっぱいなのに、人の悲しみはあっさりと呑み込んでしまう、たった13才の小さな魂でも。
世界をどうこうしようとか、相手をどうこうしようなんて無理なことと聡明な彼女達は知っている。
だから受け入れて笑う。
受け入れて自分を騙して馴染んだふりをする。
それが少女の戦い方であり、砂糖菓子の弾丸の空虚。
だから自分を騙せなくなった時、大人から攻撃を受けた時、彼女達はやり返す事もなく、あっけなく溶けて消えてしまうのだ。
大人はみんな生き残り
あたしは、暴力も喪失も痛みもなにもなかったふりをしてつらっとしてある日大人になるだろう。友達の死を若き日の勲章みたいに居酒屋で飲みながら憐情たっぷりに語るような腐った大人にはなりたくない。胸の中でどうにも整理できない事件をどうにもできないまま大人になる気がする。だけど十三歳でここにいて周りには同じようなへっぽこ武器でぽこぽこへんなものを撃ちながら戦ってる兵士たちがほかにもいて、生き残った子と死んじゃった子がいたことはけして忘れないと思う。
(中略)
この世界ではときどきそういうことが起こる。
砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。
あたしの魂は、それを知っている。
世界の戦争だけでなく、子供にとって大人になるって事は生き残りをかけた戦争なんだという事をこの本に教えてもらった。
きっと、生き残った私達も今戦っている少年少女も戦争だなんて思ってなかったと思うし、思ってないと思うけど、なるほど。これは確かに戦争だ。
絶対に平等はあり得ないし、上を見れば上が。下を見れば下がいる。
子供は親を選べないし、環境を変えることはできない。
私が少女だった頃、彼女達と同じように砂糖菓子の弾丸を撃ちまくって親や周りの大人や友達に胸焼け起こさせてたと思う。
そんな無意味な弾丸で生き残れたのは親が実弾を持って援護射撃をしてくれていたからだと思った。
親が放つ実弾はお金や暴力だけじゃなくて、安心やぬくもりとか、間違いとか、擦れ違いとか色々あって。
藻屑はお父さんに愛して欲しくって砂糖菓子の弾丸を撃ち続けたけど、お父さんの暴力の実弾で殺されちゃった。
なぎさは撃つより逃げまくっていたけど、藻屑に出会って手にした砂糖菓子の弾丸で兄の目を覚まさせた。
そして、援護射撃してくれる家族が帰ってきたのだ。
大人が持つのはもう全て実弾しかない。
砂糖菓子の弾丸は少女しか持てない。
だから、大人は正しい弾丸を選ばなきゃいけない。
生き残った私達はそんな戦いを生き抜いてここにいるんだと、そして少年少女が生き残りをかけた戦争をしているんだということを忘れてはいけない。
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet (角川文庫)
- 作者: 桜庭一樹
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2009/02/25
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砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない
あたしの魂は、それを知っている