≪内容≫
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。
この魔女を想像すると、どうしてもターシャが浮かんでくるんです。
キッチンとか、庭とか、もうこの通りに脳内再生されています。笑
でもターシャ英国人ではないんですがね・・・。
魔女修行
ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ、長い時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。生まれつき、体力のあまりない人でも、そうやって体力をつけていくようにね。最初は何も変わらないように思います。そしてだんだん疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起きるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです。
学校に馴染めないまいはおばあちゃんとの暮らしの中で魔女の修行もすることに。
魔女の修業とは、自分の意志を把握すること。
周りに流されるのではなく、そのときそのときの自分の感情がちゃんと自分から出ているか。
そのことに自分で気付いているか。
自分の感情や言葉が自分で理解できているか。
魔女というと、私の中では「ジャンヌ・ダルク」なんです。
強い意志を持つ、清く気高い女性。
それが私の中の魔女像です。
誰かの庇護の元、守られるお姫様じゃなくて、自らを信じて生きていく。
私もなんだかんだ魔女修行中。
まだまだ自分を信じるのはけっこう難しい。
自分で決める。喜びも悲しみも自分の意思が呼応しているということ。
怒りはあって当然。でもその怒りに支配されないこと。
自分の感情なのに、自分でコントロールできないときがあります。
まだまだ修行が足りませんね。
死んだらどうなるの?
パパは、死んだら、もう最後の最後なんだって言った。もう何もわからなくなって自分というものがなくなるんだって言った。もうなんにもなくなるんだって言った。でも、わたしが死んでも、やっぱり朝になったら太陽が出て、みんなは普通の生活を続けるのってきいたら、そうだよって言った
小学校低学年のころ夢を見まして。
私はのび太くんになってドラえもんとタケコプターで街の上を飛んでいるんです。
それで、ドラえもんが「ほらごらんのび太くん。君が死んだって世界は何にも変わらないんだよ」って言うんです。
そこにはいつもと変わらない日常の風景があって。
よく見たらのび太くんである私はオバケがつける天冠をつけて足がないんです。
私は「うそだ!」って思いました。
そのときは自分が死んだら世界も終わるのだと思っていたんです。
だからこのまいのエピソードを読んで「わかるわー!私だけじゃなかったのねー!」となんだか嬉しくなってしまいました。
そういえば、いつから「死」って考えだしましたか?
みんないつ位から「死」を意識するんだろう?
自分が死んだら世界も終わると思っていた頃は、あの世もこの世も一緒くただったと思うのですが、いつからあの世との区別がつきだしたんだろう?
丁寧な暮らし
おばあちゃんはスローライフ。
毎朝、鶏の生み立ての卵や採りたての野菜を使ったり、ハーブを摘んでお茶にしたり、ラベンダーの上にシーツを干したり。
洗うのだって手洗いです。
野いちごを摘んでジャムにしたり、害虫駆除もハーブを付けた水でこなします。
人間に必要な衣食住という生活の模範がここにはありました。
衣食住の先にあるのが、学校の悩みだったり、世間の流行りだったり常識だったりする筈なのに、いつの間にか大切なことが入れ替わってしまった。
社会との関わりには必ず「時間」があります。
しかし、スローライフには「時間」はあってないようなものです。
朝日が登り、夕日が沈む。
それに合わせて動く。
そのことがいかに人間の基本なのかを感じさせます。
まいは、最後におばあちゃんに大好きと言えずに帰って行きました。
そのことを心残りにしていたのですが、最後の最後に素敵なメッセージが窓に残されていたのでした。
魔女修行を何年も積んでやっと見えるものがあると思うんです。
今の私が見てる景色と5年前の私が見てた景色では、場所は同じでもきっと何もかもが違うはず。
何を大切にしたいか、自分はどうやって生きていくのか、どんな気持ちを大事にしたいのか。
それは人それぞれで、血が繋がっていようが関係ない。
まいは大きな愛と、素敵な背中を見つけたんだなと思って嬉しく思いました。
離れていても自分のことを思ってくれている人がいる。
そのことに気付けたまいはきっともう大丈夫だろうなと思います。
その後のまいの物語もあり、まいの成長が見れてほっこりしました。
児童書って懐かしくもあり恥ずかしいけど自分の成長も感じられるので、ちょいちょい読んでいきたいなぁと思いました。