≪内容≫
米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃の日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく――。
ドラッグとセックスという時点で「あぁ・・・辛そうだな・・・」と少し怖じ気づきました。
主人公リュウはどうしようもない生活を送ってるのに、なぜか汚れてる感じがしないんですよね。
退廃=道徳や健全さが失われているさま
濡れている外は優しい。
風景の輪郭は雨粒を乗せて霞み、人間の声や車の音は落ち続ける銀の針に角を削られて届く。
外は僕を吸い込むように暗い。
ちょうどからだの力を抜いて横になった女のように湿っていて暗い。
道徳を大事にするくせに、健全さを求めるくせに、なぜ退廃に美しさを感じてしまうのでしょうか。
歪んでいるからこそ見える風景がどうしてこんなにきれいなんだろうな。
目ははっきり見えた方がいいから眼鏡を作る。
だけど、何もかもがはっきり見えたら私達は迷ってしまうと思う。暗いのが心地いいのはきっと迷う必要がないから。
太陽の光が混ざり合わずに七色のままだったら、私達はどこを向いていいのか分からなくなるだろう。
雨に溶けた世界は境界線が曖昧で、自分達の声も曖昧に搔き消してくれる。
はっきりとくっきりとした世界では弾かれてしまうものも、ぼやけて曖昧な世界なら入っても許されるんじゃないか、そんな気がして胸が詰まった一節です。
限りなく透明に近いブルー
このタイトルっていいなって思いました。
これこそ十人十色の考えが生まれそうなタイトルだなぁ・・・って。
意味は分からないし、正解を探すこと自体が邪道って感じもしますが、この話とにかく「色」が出てくるんですよ。
一回目に読んだときはそこまで色に目が行かなかったんですが、二回目にはすごく目につきました。
これは最後にリュウが「限りなく透明に近いブルーだ。」って言ってるからだと思います。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。
僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。
そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。
僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。
空の端が明るく濁り、ガラスの破片はすぐに曇ってしまった。
鳥の声が聞こえるともうガラスには何も映っていない。
夜明けや夜の中では透明なものは、朝が来て世界が始まると曇ってしまう限りなく透明に近いブルーというのは、自分のやりたいことが見えたけれどそこに不安が混じっている状態を言っているの表しているのかなと思いました。
そう考えると「限りなく透明に近いブルー」ってすごく19歳という感じがします。
社会に入る前の最後の期間。不安や戸惑いや空虚感が不透明にするけど、心は限りなく透明に近いんだと。
いつから痛みは異常だと錯覚していた?
肝臓を悪くして死んだ友達を思い出す。
そいつがいつも言っていたこと。
ああ俺は思うけど本当はいつも痛いんだ痛くない時だってただ忘れてるだけなんだ、痛いってことを忘れてるだけさ俺の腹におできできてるからってそのせいじゃないよ。
誰だっていつも痛いのさ。
ああ・・・そうか痛みは避けたり逃げたりしても意味がないのかもしれない。
たまに「忘れないで!」と訴えてるだけなのかもしれない。
この思考は新しいな・・・って思いました。
もちろん、痛みは身体からのSOSだとは思ってるのでその都度反省するのですが、「本当はいつも痛いんだ」っていうのは何だかグっときました自分のことを分かっているつもりで、本当は反らしまくってるんじゃないかって。
何も問題がないって忘れてるだけなんじゃないかって。
でも変な話?なんですけど、たまにすっごい「痛み」が欲しいときってありませんか?意識していなくても、
思いっきり運動して筋肉を痛めつけてやる→筋肉痛。
思いっきり泣きまくって涙腺壊したる→瞼腫れる。
思いっきり食べまくってやる→胃痛・腹痛。などなど。
結果的に自分で痛みを被るようなことを猛烈にしたくなる。
運動→ストレッチ
泣きまくる→溜めこまない
食べまくる→余計疲れるからやらない
ってことを分かってながら、それが身体にとって優しいことなのに選ばない。
この心理ってもしかして、痛みを求めているのかな?って思いまして。
例に上げた3つのことするとすっきりするし生きてる!って感じがするんですよね。
生きてる!っていうのは、痛みと引き換えなのかもしれない。痛みを予期遮断する世界(ハーモニー)が、ユートピアを目指して出来たものなのに、結果的に意識さえ失う世界になったのは、痛みのない世界では生きてる実感が持てないからなのかもしれない。
リュウは自分で自分にガラスを突き刺したとき生を実感したんじゃなかろうか。
誰かに与えられた痛みじゃなくて。