≪内容≫
『ジョンQ-最後の決断-』のニック・カサヴェテス監督がニコラス・スパークスのベストセラー小説を映画化した純愛物語。アルツハイマー病に侵された老女・アリーの下を訪れた老人・デュークは、17歳の彼女が過ごしたひと夏の物語を読み聞かせ始める。
有名で、泣いたーって人が周りにたくさんいたので、いつか観よういつか観ようと思っていた作品。
泣いた。
誰だって平凡な人生
彼はいい青年よ
だけど・・・クズよ
あなたの相手じゃないわ!
肉体労働者よ!
お嬢様アリーと肉体労働者ノアの恋物語。アリーはお嬢様なので、毎日たくさんの習い事と読書のノルマをこなす日々で「自分が何をしたいのか」を考えることさえ忘れていました。
アリーに一目ぼれしたノアはアリーと話していく内に、アリーはとても不自由に生きていることに気付きます。
お金持ちで美人で明るいアリーは不自由。
貧乏な肉体労働者のノアは自由。
お互いにないものに惹かれあう大恋愛。田舎で育ったノアののんびりとした生活は都会に暮らす人々には無駄に見えるかもしれません。そんな人間がお金で買えないものの価値に気付くには、それを教えてくれる人がいなければ一生気付けないものだと思います。
アリーの周りには「こうした方がいいよ」と言ってくれる人がたくさんいて、アリーも素直に受け止めて進んで行きます。
この素直さこそアリーの愛らしさなのですが、結局自分がどうしたいのかよりも他人が自分にどう望んでいるかを一番に考えるようになってしまいました。自由に生きているように見えて、アリーの心は自分のものではありませんでした。
将来を思い描いてみて
30年後 40年後 誰と一緒だ?
もしヤツなら-行け!
それが君の望みなら俺は耐えていける
無難に選ぶな
人のことは考えるな
俺もヤツも両親も忘れろ
君だよ 問題は
君はどうしたい?
どうしたい?
ノアはアリーが誰かのためじゃなく自分で富豪と結婚すると決めたなら受け止めようと思っています。
事実、アリーを町中で見つけて追いかけた先には、アリーが楽しそうに婚約者とキスしながら笑っているのを見て声もかけずに去って行きました。
しかしアリーはノアの改築した家が新聞に載っているのを発見すると自分からノアの家にやってきました。アリーが自分の意思で動くのはいつもノアに対してだけです。
アリーにとってノアは一緒にいて楽な存在ではないはず。ケンカばかりだし、どうしたいの?って聞いてくる。けど「君はどうしたいの?」と聞かれると、アリーは自分のことを考えることができる。誰かのためじゃなくて、自分のために生きることができる。自分のために生きることを教えてくれたのがノアだったのでした。
私はどこにでもいる平凡な思想の平凡な男だ
平凡な人生を歩み
名を残すこともなくじきに忘れ去られる
でも1つだけ誰にも負けなかったことがある
命懸けである人を愛した
私にはそれで十分だ
これは冒頭のプロローグ的な言葉なんですが、すごく素敵だなぁと思いました。
小説や映画を見て思うのは、自分では平凡な毎日を送っていると思っても、少し視点や重点を変えるだけで大きな物語になるんだということ。
この話だって、他の視点で言えばノアは自分の家を売ったお金と復員兵手当(途中ノアは兵隊になる)で廃墟と化した大きな屋敷を買って大改築をしたという物語にも出来るわけです。
世界を変えるとか、大恋愛をするとか、大金持ちになるとか、玉の輿に乗るとか、そんな大それたことがない人生でも、きっと特別な物語が自分の人生には詰まってるんじゃないかなぁと思いました。
肉体労働者をクズ呼ばわりしたアリーの母も若かりし日に肉体労働者と恋に落ちていたのです。やっぱ自分の身体全てを使って働く人はかっこいい。