≪内容≫
胸の肉一ポンドを担保に、高利貸しシャイロックから友人のための借金をしたアントニオ。美しい水の都にくりひろげられる名作喜劇。
喜劇・・・だと!?
と思ったんですが、これまた解読の福田さんの言葉で納得させられました。
この動画はすごい喜劇感がありますが
映画版は、重そう・・・。
たぶん、こうやって色んな作風になれるところが名作たるゆえんなのかな、と思いました。
でも喜劇と言うからには笑いたい!
簡単なあらすじ
タイトル、ヴェニスの商人だというのに、ヴェニスの商人であるアントーニオの影の薄いこと・・・。
ここから笑えということかしら?
アントーニオは貿易商でありお金持ちなのですが、友人のバサーニオはお金がない。
困ったバサーニオはポーシャという金持ちの娘に求婚しよう!と思い立つも「お金ないとかっこ悪いから、アントーニオ貸してくれよぉ」と頼む。
アントーニオは「ダチだろ!気にすんなよぉ」と気前良く、ほんとにあり得ないほど気前良く貸そうとするも、自分の財産である船は全て出航中。
致し方なく、悪徳高利貸しのユダヤ人シャイロックに
「おい犬!金貸しやがれ!」
と思いっきり上から目線で言い放つ。
シャイロックからすれば「その言い方が物を頼む立場かい!」と腹が立ってしょうがありません。
物言いもさることながら、アントーニオはシャイロックの金貸し業を尽く邪魔してきました。そして侮蔑も投げつけてきました。
そんな憎きアントーニオの願ってもない頼みです。
シャイロック:「無利子で貸しまさぁ。でも返せなかったらあんたの肉1ポンド貰いまさぁ。」
アントーニオ:「ふん、何とでも言うがいい。犬め。」
そしてバサーニオは全く痛手を負うことなく金を手にいれ、ポーシャの元へ。
ポーシャは死んだ父の言い付けである箱に悩まされていました。
3つの箱があり、そのどれかに当たりがあって、それを引いた男と結婚しろと言うのです。
うっすら記憶にあるバサーニオがもし引いてくれたら・・・と思ったところにバサーニオ参上!
しかしおいさん金目当てなので、こんなことを考えています。
美人を見るがいい、知れたこと、美しさもまた脂粉の目方で売り買いでき、その目方ひとつで世にも不思議な奇蹟が起る。
つまり、顔に塗るものに目方をかければかけるほど、尻はますます軽くなるというわけだ。
そうなれば、蛇のようにうねった金髪の捲毛にしても、あのうわべだけのお化粧美人の頭の上で、みだりがましく風とたわむれてはいるものの、もとを洗えば、わがものならぬ貰いもの、その金髪を養い遺してくれた人の頭は今は髑髏となって墓の下に・・・
バサーニオ:「ポーシャ美人だけど、化粧濃いわぁ。大体金も美貌も自分で手に入れたものじゃなくてオヤジからの財産だしな。綺麗なものほど中身は空っぽだったりする。よっしゃ飾りっけのない箱選んでおこう!」
見事当たりを引き当てたバサーニオ一気にご主人さまへ昇格!
そこへアントーニオから手紙が。
アントーニオ:「船がヤラれちゃったから、お金返せなくなっちゃった。だからシャイロックに肉1ポンドあげなきゃ。そしたら俺死ぬけど、お前のせいじゃないから!!幸せにな!ほんと!全然お前のせいじゃないから!気にしないでね!」
バサーニオ:「ポーシャ・・・俺の親友が死んじゃう!お金貸してぇ!」
ポーシャ:「なんですって!どんどん持って行くがいいわ!(面白いことになってきたぞ!)」
バサーニオ:「ありがと!じゃ俺ちょっと裁判行ってくる!」
ポーシャ:「行ってらっしゃいあなた・・・」
ポーシャ:「ネリサよ、今から男装して裁判に乗りこむわよ!」
ネリサ(ポーシャの付き人):「男装・・・楽しそう!」
~裁判~
バサーニオ:「借りた金の三倍の金だ。これで許してくれ。もともとその金は俺のためにアントーニオが借りたんだ、俺のせいなんだ・・・」
シャイロック:「やです。」
裁判官:「お前には慈悲がないのかぁっ」
シャイロック:「アントーニオの肉じゃなきゃやです。だって証文あるもん。」
アントーニオ:「さらば、バサーニオ・・・」
男装したポーシャ:「ちょっと待ったぁあああ!」
って話です。
そっから一休さんみたいなとんちでアントーニオは助かります。そしてシャイロックは色んなものを失います。
金貸しシャイロック
ユダヤ人は目なしだとでも言うのですかい?
手がないとでも?臓腑なし、五体なし、感覚、感情、情熱なし、なんにもないとでも言うのですかい?
同じものを食ってはいないと言うのかね、同じ刃物では傷がつかない、同じ病気にはかからない、同じ薬では癒らない、同じ寒さ暑さを感じない、何もかもクリスト教徒とは違うとでも言うのかな?
針でさしてみるかい、われわれの体からは血が出ませんかな?くすぐられても笑わない、毒を飲まされても死なない、だから、ひどいめに会わされても、仕かえしはするな、そうおっしゃるんですかい?
アントーニオは徹底的にシャイロックは蔑んでいました。
ゆえにシャイロックの苦しみも読者の共感を得ることとなってしまい、「あー面白かった!」とはならず、何か後味悪いな~・・・という気持ちになります。
この問題は解題で福田さんが説明してくれていました。
キリスト教徒は金貸しを卑しいものとしていたが、当時の英国は広く海外に羊毛貿易を行っていたため事実上、手形取引や債権債務なしにはすまなかった。
そこでこの役を買って出たのがユダヤ人だ、と書かれています。
時代的にユダヤ人を蔑み憎み人でなしとして扱ってもいいという時代だったからこその設定だということなので、現代の感覚で読んでしまうとついていけないですよね。
金貸しに利息がつくのは現代では当然ですが、当時はこの金利に対する道徳的嫌悪もあった。だからこそ、シャイロックがどんなにアントーニオに犬扱いさせられていても、圧倒的悪者になれた。
古典を読むとき、こうやって現代では理解に苦しむ設定に出会うときがあります。
さて、そんなとき、どういう気持ちで読めばいいのでしょう?
登場人物を物語の額縁から外に出してはならない
これも私の持論であるが、舞台に於ける登場人物は総て二重の役割をもっている。一つは、そこに写しとられている「人生における役割」であり、もう一つは、劇的効果としての「作品における役割」である。
前者においては私たちの人生におけると同様、すなわち私たちの周囲にいる人物についてと同様、強い性格だとか、意地の悪い男だとかいう批評が、そのまま適用されるであろう。
が、後者においては、性格や心理の穿鑿(せんさく)は全く用をなさず、一件それに矛盾するような言動をそのままに受け入れて、単純に悪役、道化役、色男役としての効果を楽しむに越したことはないのである。
「人生における役割」と「作品における役割」。
この二重の役割が釣り合いを保ち作品となる。
しかし読者はしばしば「作品における役割」を蔑ろにして「人生における役割」ばかりを追い求めてしまう。
私はまさに、こんな意地悪シャイロックになったのは、元はと言えばアントーニオが非人道的な扱いをしてきたからで、シャイロックばかりが悪いとは言えないと思う!みたいな解釈をしてしまっていたんですね。
しかし福田さんは、作品には「作品における役割」が存在し、シャイロックはそこでは悪人という役割を得ている。
自分の想像で彼を作品の外に出してはいけない、と言う。
現代の経済状況や世界状況で読むのではなく、当時の背景を持ってして読まなければならない。
今は人種差別が非人道的であり、宗教差別が非難されています。
この物語が生まれた時代とは全く違うのです。
だから現代の感覚で読んだら違和感があるのは当たり前なんですね。
この解題を読んで私が思ったのは、読者も作品における読者の役割を忘れてはならないということです。
こんなことを言うと、読書から一気に自由を奪われてしまう感じがしますが、もちろん読む読まないは自由です。
しかし、読むと決めたなら、その物語を外から見るのではなく内から見た方が堪能できると思ったのです。
作中のキャラクターはあくまで役割を貰っています。
私たちは好き勝手に等身大の自分で読みます。
そうすればズレがおこるのは必然な気がしたのです。
恐らく、どんな本もある程度楽しく読めるという人は、その作品ごとにその作品にあった読者になっているのだと思います。
それはある意味で自分を壊すことです。
自分はこういう人間です!!って決め打ちしていると、その一面の自分が好む見方しか出来ない。
だけど、SFを読むときの私、ファンタジーを読むときの私、ホラーを読むときの私、恋愛小説を読むときの私、っていうのは一人の人間でありながら、そのときどきの役割を持っている気がするのです。
人生における役割としてはシャイロックをただの悪者にしたくないけど、読者としての役割においては、憎き金貸しのユダヤ人です。
だから喜劇と思っていい。
笑っていい。
シャイロックこんちくしょう!と思っていい。
まあ、わたしも「やです。」と言いたい派だが。