三部作の三部目となると、キャラクターや作品の雰囲気が分かっている分入りやすいですね。
これは最後の最後まで先読みすることはできませんでした。
え?あれっ?マジかー!!!!となりました。
仏題は"犠牲"
「どん底に落ちることになっても、誰かのためになにかを犠牲にできるっていうのは、そういう誰かがいるっていうのは、悪くないと思う。」
大切な誰かのために自分が犠牲になる。
その連鎖に巻き込まれるカミーユの話。
最後の本書を読んでそもそもこの三部作は一作目のイレーヌの存在によって成り立っていると思いました。
イレーヌはカミーユの伴侶ゆえに殺されました。
一作目の犯人がカミーユに父への憎しみと尊敬を重ねていたため、常に犯人の意識にはカミーユがあり、その矛先はカミーユの一番大切な人であり、自分の作品の被害者と同じ妊婦となったイレーヌ以外にはあり得ない。
一作目はイレーヌを失う物語、二作目はアレックスとの出会いによってイレーヌ事件から立ち直る物語、三作目はイレーヌへの燻った心に火をつけられた物語。
三部読んで、ものすごく筋が通っているというか、考えられているなぁと思いました。
イレーヌという女性の前に、カミーユには母という壁がありました。
145cmの身長は母の不摂生の代償だった。
つまりカミーユの身長は母の芸術の犠牲になったと思える。(カミーユの母は芸術家)
なぜカミーユが145cmという設定だったのか、というのがここで明確になったような気がします。
そして三部作で必ず現れるのが女性です。
イレーヌ→アレックス→アンヌ。
その誰もがカミーユを救い、離れていきます。
これは裏テーマとして、カミーユが女性とどう関わっていくのか、があるのかもしれないなぁ、と思いました。
自分を犠牲にしてでも守りたい誰か。
カミーユが失った母とイレーヌ。
カミーユにはもう守りたい誰かはいない、そんな日常の中で出会ったのは"誰かのために犠牲になる誰か"だった。
その輝きをカミーユは感じたに違いない。
傷だらけであることに気付くとき
おかしなことにカミーユは、いい年をして、不意に母が恋しくなった。どうしようもないほど恋しくて、我慢しないと泣いてしまいそうだった。
だがこらえた。一人で泣いても意味がない。
自分の身長は母に原因があると思っていたカミーユ。
そのことで憎い気持ちもあった。だけど、芸術家の母を尊敬していたし愛していた。
愛しているのに憎い。
許したいのに許せない。
カミーユは表向き「それはしょうがないことだ」と割り切っている風でしたが、実はその傷はしっかり残っていたんですね。
傷っていうのは疼きますよねぇ。
自分では認めた上で前を向いているつもりでも。
一番大きな傷は自分では見えないものです。
はたからみたら「あの人すごく辛そうだなぁ」と感じても、本人は何にも悩みなんかないと思っていることもある。
気付くってことは傷付くってことだ、というのは僕だけがいない街で感じたことですが、自分で自分の傷に気付いたらまた傷付くと思います。
「え・・・私って心狭・・・」と私の場合には思いました。
こんなくだらなくて、小さなことをネチネチうじうじといつまでも・・・自分情けなさ過ぎる・・・という感じで。
だけど傷に気付かないと、前には進まないもんです。
傷はなかったことには出来ないから、目を背けてもずーっと隅っこでちらついている。
三部作はカミーユが自分の傷に気付くための道のりでもあったように思います。
三部は一番グロくなくて、ほんのり温かい感じです。
だけど本作だけ読むと全然分からないと思うので、せめて二部は読んでからの方がいいかなぁと思います。
ここまできたら中編の番外編も翻訳出してくれー!!と思ってしまう。
最後までルイは魅力的でしたが、カミーユをくわない程度のキャラクターで、最初から最後までカミーユが確固たる主役でした。
シリーズものって脇役とか、ヒロインとかが主人公より魅力的に思うことがあるんですが、本作はカミーユがすごく人間臭く書かれていたせいか、他の登場人物と差がありました。
当たり前のことなのかもしれませんが、これってすごいことだよなぁ・・・と密かに思いました。
"誰かのために"って、それが押し付けじゃなくて正当なものなら、すごくそれ自体が贅沢なんだよなぁ。