≪内容≫
第138回芥川賞・受賞作品。現代の樋口一葉の誕生!
初潮を迎える直前で無言を通す娘と、豊胸手術を受けようと上京してきた母親、そしてその妹である「わたし」が三ノ輪のアパートで過ごす三日間の物語。三人の登場人物の身体観と哲学的テーマが鮮やかに交錯し、魅惑を放つ!
これ男性は読んでどう思うんだろう?
生理とか豊胸とか、卵子とかそういった話なので、苦手な人は苦手かもです。
思春期成長物語
本作は母子家庭の母と娘の話で、語り部は母の妹の夏子。
芥川賞と言ったら自分のことを掘り下げていく話ってイメージだったんですが、この作品は一人称が夏子でありながら、夏子は部外者です。
ホステスの仕事をしている母・巻子は豊胸手術をしに夏子が住んでる東京にやってくる。娘の緑子もついてくるのだが、彼女には一つ問題があった。
口を開かないのだ。会話は全て筆談。
あたしにのませてなくなった母乳んとこに、ちゃうもん入れてもっかいそれをふくらますんか、生むまえにもどすってことなんか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、あたしを生まなんだらよかったやんか、みんなが生まれてこんかったら、なんも問題はないように思える、うれしいも悲しいも、何もかもがもとからないのだもの。卵子と精子があるのはその人のせいじゃないけれど、そしたら卵子と精子、みんながもうそれを合わせることをやめたらええと思う。
緑子の日記には本音が書かれています。
母・巻子は母子家庭のため休みなく働きやせ細っています。そんな母を見て、何とかしたいけどまだ中学生でお金を稼ぐことのできない緑子は自分が女へと成長することを拒みます。
拒んでも生理は向こうからやってくるから、女という業からは逃れられない、と言ったところですかね。
初潮って「これで君も一人前の女さ」みたいなインビテーションであるとも私は思ってて、んで、閉経って「これで君の女は終わりさ」っていう戦力外通告みたいな気がするんです。
で、これから女になるのが娘で、母は終わっていく図。
胸も発達してってくたびれていきますからね、でもそれって人類として普通のことだと思うのですが、女であるために閉経がきたら胸に頼っちゃうのかもしれない。
※本作では特に閉経には触れていません。
んで、母がもし女じゃなくなったら娘を育てられなくなるから豊胸したいのか、豊胸してまた別れた夫とよりを戻したいのか、何の意図なのかちょっと分かりませんでした。
娘サイドの「あたしにのませてなくなった母乳んとこに、ちゃうもん入れてもっかいそれをふくらますんか、生むまえにもどすってことなんか、ほんだら生まなんだらよかったやん」っていうのはたぶん分かる。
まるで豊胸が自分への当てつけみたいに感じるというか。
あんた産んだせいで、あたしの人生こんな辛くなったのよ、みたいな。
私はこの作品はほんとうにショートムービーみたいで、とある親子のぶつかり合いを目撃した感じでした。
私の人生にあんまり「女」ってことが介入してこなかったので、この手の作品は難しいなあと感じます。
一緒に収録されている「あなたたちの恋愛は瀕死」も難しかった。
趣味はないのと同じだから、日曜日には決まって新宿まで出ていって朝から晩まで化粧品や洋服を見て過ごす。何もない一日でも、誰にも会わない一日でも、朝起きて女はすぐに化粧をする。
朝から晩まで化粧品や洋服を見て過ごすって一つの趣味じゃない?それは趣味じゃないの?出来ない人間からしたらすごいことです。
なんか女とか男とかめんどくさいな~って思ってしまうです。
それなりに若いときは、オンナオンナすること自体に楽しみって見出せたんですけど、最近もうどうでもよくなってしまいました。
いつまでもオンナオンナ、オトコオトコがぶれないってほんとうに一つの才能で強みだと思います。
女なのにオンナオンナした小説が分からないときの悲しみ。だけどそこに引っかかる時点で自分が女を意識してるという現実。無限悪循環。あ”ぁ”ッ!