深夜図書

書評と映画評が主な雑記ブログ。不定期に23:30更新しています。独断と偏見、ネタバレ必至ですので、お気をつけ下さいまし。なお、ブログ内の人物名は敬称略となっております。

冷血/カポーティ②~私達は答えのない苦しみをずっと抱えて生きていく~

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≪内容≫

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル――。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

 

前回記事はこちら↓

 

www.xxxkazarea.com

 

 

今回はなぜペリーは殺す気なんてなかったのに、殺したのだろうか?について考えて見ました。

 

明白な動機なき殺人

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そのようなとき、たまたま知り合った人間や、まったくの他人でさえもが、"現実の"意味を失い、意識されない外傷の中での主体に擬せられても不思議ではなかった。そこで、"古い"葛藤が再び活性化し、攻撃性がたちまちのうちに殺人の域にまで高まったのである・・・そのような無意味な殺人が起きるとき、それは加害者の中で被害者と接触する前から増大しつつあった緊張と混乱の最終的な結果と見なされる。

被害者は加害者の無意識の葛藤の中にはめこまれ、そうとは気づかぬまま、その殺人の潜在力に点火するのに役立ってしまうのである

 

 

いいかい、これだけは忘れないでほしい。おれはクラッター家の人たちとはほんの一時間だけの知り合いだった。もし、ほんとにあの人たちのことを知っていたら、また気持ちも違っていただろう。とても平気では生きていけないと思う。ただ、ありのままをいえば、あれは射撃場で標的を狙い撃ちするようなもんだったんだ

 

ペリーの"古い"葛藤を呼び起こしたのはディックでした。

ディックがクラッター家に金庫がないと薄々気付いても引き下がらなかったのは、娘のナンシーに性的興味があったからでした。

 

しかしペリーはディックのこの性癖が許せない人間でした。

軍隊では軍曹に性的に見られ、それを受け入れなかったせいで実力相当の階級はもらえませんでした。

 

それこそ、おれが軽蔑してるものです。自分を性的に抑制できない人間っていうのが。ほんと、 おれはそういうことに我慢ならないんです。

 

 このいさかいと、話にあった金庫が存在しなかった事実に二人の中は険悪になっていきます。

そして、その状況を打破しようとしてペリーは銃を撃ちました。

 

 

こういう問題って答えがないんですよね。

私はペリーと永山則夫連続射殺事件の永山則夫がちょっと被るんですよね。

永山則夫は無知の涙という本を出しているのですが

彼の生い立ちはペリーとかぶるところがたくさんあります。

父親の無関心さ、母親の精神疾患、兄弟の多さ、貧困、義務教育さえまともに受けられなかったこと、そして同じ家に生まれながらも正常な生活を送る兄弟の存在。

しかも永山 則夫は兄弟から虐待されて育ちます。

 

こういう家に生まれたからって人を殺していいわけありません。

ペリーも永山も死刑になっています。

 

差別問題も、解決はありません。

事件を知った人間がすることは、考えることです。

こういう事件も差別もいじめも、考えてどうこう出来る問題ではないです。

でもだからって考えることが無駄にはならないと思うのです。

 

いわゆる普通の両親の元に育ち、社会のルールに適応できる常識を学びながら育つ。善悪の判断、思いやり、そういうものを自分は持っている。自分の周りの人も持っている。だから自分の生活には関係ない。普通の家庭に生まれなかった人間や裏口から出た人間は運がなかったとカワイソウだと斬っていいのか。

 

生きている人間は誰でも、世の中にあるそういう差別や事件や痛みを少しずつ背負って、答えのない苦しみをずっと抱えていく。

それがこの世界に生きるってことなんじゃないのかなって私は思います。

 

ヤフーコメントをよく見るんですが、ほんとうに色んな意見がありますよね。

最近見たのは、インフルエンザワクチンについてのニュース。

 

インフルワクチン 供給遅れる | 2017/11/7(火) 20:48 - Yahoo!ニュース

 

 老人と一緒に暮らしていない人間やちいさな子供と暮らしていない人間には分からない情報があります。

意地悪な老人にばかり出会ってきた人間と、やさしい老人に出会ったり、お世話になった人の考えの違い。免疫力の低い人間とはどういった人なのか、その人がどれだけ辛いのか。重症化するのか。知らなければ分からないことはたくさんある。

 

一つのニュースでたくさんの意見、たくさんの視点、たくさんの価値観がありますよね。その中でどれが正解とか、どれが間違っているかなんてないと思うのです。

 

もしも自分の人生の中で老人にいじめられてきたら、老人をいたわれますか?

社会が老人を労わるのが正しい道徳だといっても、その正しさを受け入れられるでしょうか?

 

正しいこと、間違っていること、それはその人の出会ってきた人や環境で少しずつ変わるものです。

だから白黒つけることはできない。

見た目は量産型女子でも、一対一で向き合えば一人一人がまるで違うように、同じ人間や同じ人生はありません。

 

こういう本や、事件を知って私達が考えるべきことは、犯人の生い立ちに鑑みて可哀相だと判断することではなく、自分なりに背負うことだと思うのです。

 

もちろん、そのやり方は人それぞれです。

どうしたら事件を防げたかと延々と考えてみたり、自分だったらどうだろう?と想像してみたり、法律や支援団体について興味を持ってみたり、ふとしたときに思い出したり。興味本位で追いかけるのだって端からみたらふざけてるように見えても、本人はその事件にどこか揺さぶられるところがあるのかもしれない。

自分には理解できなくて想像もできないような事件が起きた時。もしくはそういう人に出会った時に、「おかしいよ」とか「そういう家だからまあ仕方ないよね」みたいに、何も分からないのに否定することはしたくありません。

 

自分の生きてきた環境で価値観は決まるけど、その価値観が正しいかなんて分からない。分からないからこそ、ずっと悩んで考えながら生きていこうと思う。