
≪内容≫
“人生は食べてみなければわからない、チョコレートの箱と同じ”―――アメリカの激動する歴史を駆け抜けた、トム・ハンクス演じる青年フォレストの青春を暖かい感動で描いて、アカデミー賞(R)作品賞ほか6部門を独占した映画史に残る名作。
今更ながらトム・ハンクスにハマり出す私。この人の作品は「プライベート・ライアン」「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
」しか見てない。でも、顔を見てすぐに小さい頃テレビで見た「グリーンマイル
」の看守だって分かった。こういうすぐに覚えられる顔って才能なのかな。
自分以外の誰かにはなれない
「自分じゃない誰かになりたい」って気持ちは、あいみょんの「風のささやき」という曲の歌詞にもあって、たぶん多くの人が生きている中で一度は思ったことがあるんじゃないでしょうか。
芸能人のOOに生まれてたら、隣のクラスのOOちゃんみたいに可愛く生まれてたら、あの人はいいな、あの人になれたらいいのにどうして私は私なんだろう?みたいなこと。
フォレストは脚が悪く、知能も低かった。
それでも母親はフォレストをあきらめなかったし、フォレストも誰かを羨ましく思う事なく、自分に求められたことを素直にやった。
この映画はそんなフォレストの物語である。
彼は「走れ!」と言われて走り続けたらラグビーの代表になり
大学卒業と同時に誘われた軍隊に入ってベトナム戦争に行き
退役後には軍隊で仲良くなったババと約束したエビ釣り船に乗る。
これらは全て彼が自発的に始めたことではありません。他人から求められて、求めてくれた人に答えるためにやってたらいい所まで行っちゃった・・・という感じ。
フォレストが求めてるのはずーーーと一つだけ。
トウモロコシ畑で一緒に祈ったジェニーと恋人になりたい。
彼女を幸せにしたい。
それだけです。
だけどジェニーはいつもフォレストの前から消えてしまう。
いきなり彼の前にふらりと現れては消えてしまう。世間的にフォレストは成功者だけれど、本当に彼が欲しいものは手に入らない。
自分のマイナス面に目を向けるのではなく、できることに目を向けて生きてきたフォレストと、逃げ続けるジェニー。
大人になっていくフォレストと子供のままのジェニー。
フォレストはそんなジェニーに助言するでも説教するでも追いかけるでもなくただ待っていました。
フォレストはジェニーを待つ間、走っていました。
受動的な人生だろうが能動的な人生だろうが、その境目や違いは目には見えない。
人生とはそのどちらかでは生きられず、両方を伴って生きていくもの・・・なのかな?と思いました。
ジェニーが忌々しい昔の家に石を投げ付けるシーンほんとうに胸が痛んだ。