≪内容≫
建築家を夢見つつグリーティングカード会社で働くトムは、ある日、秘書として入社してきたキュートなサマーに一目惚れしてしまう。トムは運命の恋を夢見る男の子、一方サマーは真実の愛なんて信じない女の子だった……。好きな音楽をきっかけに意気投合し、いいムードになった二人。そんな中トムは、サマーに対して「彼氏はいるの?」と聞くと、サマーの答えはノーだった。恋愛と友情の間に果てしなく広がるグレーゾーン。人を好きになるって、どうしてこんなに楽しくて切ないんだろう。誰もがまた恋したくなる、二人の(500)日がはじまる!
よく人のブログで紹介されてたり、なにかと目にはついていた本作。
100分を切ってる映画は久しぶり!そして観た感想は、運命がなんぼのもんじゃい!!
運命の恋の相手は恋そのものだぜ
私がトムの友達だったら、
「やれやれ。トム、君が恋してるのはサマーじゃなくて君の想像する運命ってやつそのものさ。サマーじゃない。」
と言うだろうなぁ。
恋愛においてどっちが悪いというのはナンセンスだと思うのでサマーがトムを弄んだとか、トムがサマーに理想を押しつけたとか、そういうのんはまぁ、ほんとにナンセンスですよね。書いてて悲しくなる。そもそも恋愛自体が支離滅裂というか、支離滅裂だから恋愛というか・・・
運命と感じる相手とじゃなきゃ恋愛できなくて、もし運命を感じる相手と出会えたら幸せになれるはず!と思っているトムの目の前に現れたサマーは、ロマンチックなトムとは正反対だった。
1つは自分の長い黒髪
そして髪を切り落としても何も感じないことだ
サマーが幼いときから身に付けたのは、自分が愛したものを失っても動じない心だった。それすなわち、愛するものを持たないということである。
だけど、「愛するものを持たないということ」は裏返すと愛する気持ちは持てるということである。愛を感じられない人なら愛に覚悟なんかいらないもんね。サマーは、美術館に行くし、恋愛映画では大粒の涙をこぼすし、「ドリアングレイの肖像」を読むくらい人間の愛や美について興味がある女の子だったのだ。
人って自分に抑制かけるものほど実は欲しがってたりするよね。だってさ、いつか失うなら最初から求めない方が傷付かないから。最初から求めなきゃ失うことだってない。
そんな不安定な自分を知っているサマーは、たぶん自分でも自分が分からないんでしょうね。そしてトムもそんな不安定なサマーを好きになったから、自分たちの関係に世間的な「恋人」というレッテルが欲しい。
そもそもなんですが、このサマーの魅力は不安定だからこそであり、そんなサマーを好きになる人をサマーは好きにならないと思う。なぜなら不安定な自分を好きになれないでもがいているのに、そんな自分を好きになる人を好きになれなくないですか。好きになれない以前に信用出来ない。
だけど、人に好かれたら嬉しい。だから傍にいてほしい。もちろん相手がそれでもいいなら。だけど、本当の自分を見つけたらこの人が好きになってくれた自分とは別の自分になってしまう。そうやって失う日が来ると分かっているからこそ「恋人」にはなれないのではないでしょうか。
結局のところ、サマーも運命の相手と感じる人と出会うのですが、それは彼女が公にしてない個の時間に出会った人だからなんだと思います。
それにしても二人とも500日で良かったね、と思う。一生気付かずに蓋して生きる人もいれば2000日くらいかかる人もいると思うから。いや、時間って真面目に大事。