≪内容≫
フランスの巨匠、パトリス・ルコントが手掛けたアニメ作品。自殺用専門店を営むトゥヴァシュ一家に、無邪気で明るい男の子・アランが生まれる。ネガティブ思考の家族は彼に振り回されながらも変わっていき…。
フランスのアニメってこういうのなんだなぁ。あんまりフランスって自殺のイメージなかったけどどこの国でもやっぱり絶望ってあるんだな。
自殺も自由じゃない
自殺を公共の場でするのは禁止されている。もしもその行為が見つかれば罰金。死ねば遺族が払い失敗すれば罰金の支払いと車イス生活。
人生に絶望しても死ぬのは許されず、なおかつ死ぬと決めてももしものために金の心配をしなければいけない。そんな世界の唯一の光は、自殺のためのありとあらゆる道具や薬を販売し、もしも失敗したときには全額返金してくれる"スーサイド・ショップ"だった。
もちろん自殺用具専門店を営む家族たちも絶望している。彼らも死にたいけれど自分たちが死んだら自殺したい人たちが困ってしまう。
そんなネガティブな家に生まれた少年・アランは絶望にまみれた家族とお店の中で全く真逆のポジティブ精神の塊だった。
アランが絶望するのはこの国でも人生でもなく、死んでいく人たちがいることだった。人生は楽しい!痛いのは苦しい!そう思っても誰も信じてくれない。今日も今日とて死にたい客に死ぬための道具を売る家族。
その中で父親は心の病に犯されてベッドで眠り続けるようになってしまうのだった。
自殺用品を売るということは顧客は人生に絶望している人間のみとなり、その死を看取ったり訪問販売をしているうちにすっかり絶望に染まりきってしまった父は、人生に希望を持つ息子を案じて早死にするように煙草をすすめる。
父親にとって子供の寿命を縮めることは子供の幸せを願うことと同義になっていたのだ。アランはそんな父親の愛をまっすぐに受取り、かつ一度も見たことのない父親の笑顔を見るために友達とある作戦を計画するのだった。
フランスらしく女性が裸で踊るシーンが出てきます。やっぱりなんてったってエロティシズムの国です。
生の賞賛はロマンスと性的欲望が欠かせない。自分の周りの絶望している男の子たちには性的欲望を、家族である姉にはロマンスを。そうやって少しずつアランは自分の身近なところから光をあてて行きます。
絶望するってことは希望を持てる人間であるという証明。絶望と希望は表裏一体。絶望したから希望が持てたり、希望があったから絶望したり。生きることも死ぬこともまた同じ。